今週はパリ・パラリンピックも開催されたが、通常の放送では深夜でも録画分しか観られないため、録画している。結果がわかっているため、どうしても、日本選手の活躍が目立った競技を優先的に観てゆくことになる。オリンピックのライブ観戦は大変だったが、パラリンピックは、後で時間のある時にゆっくり観られるので、助かる。どんな場合でも、スポーツ選手が全力でがんばっている姿は、観る者にエネルギーを与える。

 

今週の室内ランは、60分(L4通し)が2回に終った。これが週3回以上、楽にできるようになれば、ベターだが、現状では、3日は空けないと、続けられない。頻尿はましになったが、最近は、夜間の鼻づまりの程度に、睡眠の質が左右される。一時しのぎの鼻炎薬はあるが、長く使うと効かなくなる。1~2時間の有酸素運動をすると、しばらく、鼻がすっきりする。運動が長続きしている一因には、この鼻の爽快感もある。

 

よく言われることだが、夜間は、副交感神経が優位に立つことで、鼻づまりがひどくなったりする。そのせいか、筆者は仰向けには寝られず、鼻呼吸のしやすい側の横向きで休む。夜間に鼻呼吸がしにくいと口呼吸になるが、朝起きて、口が乾いているときは、安眠ができていない状態である。詰まりを早く取りたいときは、肘枕をする。しばらくすると、手が痺れてくるが、楽に肘枕ができるように、ヨギボーの補助枕を導入している。

 

我々夫婦は、寄る年波で、食が細くなってきたが、うちのワンコは、相変わらず、凄まじい食欲だ。自分の餌を早々に平らげて、さらなる食べものにありつこうと、食卓横に陣取る、ワンコの荒い鼻息とともに、猫パンチが飛ぶ。猫の性質も併せ持つビションのパンチは強い。昔、猫を飼っていた頃は、細かい引っ掻き傷が絶えなかったが、今は、当時が思い出されるほど、食事中に爪で引っ掻かれた二の腕の線状傷が目立つ。

 

運動時には、観たいと思っていた『孤高のメス』(2010)が、今週、NHKBSで放送されたので、録画分を観た。主人公の外科医、当麻鉄彦は堤真一が、ヒロインの看護婦、中村浪子は夏川結衣が演じる。他に、息子が交通事故で脳死状態になり、臓器提供を望む武井静役の余貴美子や、その肝臓を使って生体肝移植を受ける俗物市長の大川松男役の柄本明、悪徳外科医の野本六男役の生瀬勝久らが、脇をしっかり固めている。

 

山田哲太の医療漫画『メスよ輝け!!』(『ビジネスジャンプ』誌連載1989-92)も、医師で先の漫画の原作者でもある大鐘稔彦の小説『孤高のメス―外科医当麻鉄彦』(栄光出版社2005)も、WOWOWの同名の連続ドラマ(2019)も観た(読んだ)ことがなく、純粋にシリアスな医療ドラマを予想していたので、ユーモアはまったく期待していなかったが、本作を観始めて30分が過ぎた頃に、最初のコミカルなシーンの登場となった。

 

堤の演じる当麻医師が、手術前に、スタッフに背を向けて、オペのイメージ・トレーニングをしているときに、看護婦が声をかけると、カセットを指差して、「上の段の右から2番目のやつ」「えっ、音楽かけるんですか?オペ中に?」「はい」看護婦が、カセットをレコーダーに入れ、スイッチを押すと、都はるみの「アンコ椿は恋の花」(1964)が流れ出し、皆はマスクの下でクスクス笑い出す。場の雰囲気は一気になごむ。

 

場違いな空気の醸し出す面白みは、いささか、不謹慎ではあるが、ユーモアの骨頂である。別な手術シーンでは都の「好きになった人」(1968)も流れる。原作者の大鐘稔彦氏は1943年生れで、60年代後半の昭和歌謡だと、20代で初めて耳にする。そして、少し前に、テレビで、当時の小渕官房長官による新しい元号(平成)の紹介があることから、この物語の時点は1989年である。いずれにしろ、この演歌聴きながら手術の場面以降、筆者は本作に一気に引き込まれて行った。

 

都はるみの話題はその後も続く。4名の医療スタッフとのオペ後の食事の席で、当麻は、看護婦の丘から、「先生、お願いがあるんですけど。オペで流すのやめませんか?都はるみはちょっと」「変わってるね、丘さんは、都はるみが嫌いだなんて」「クラシックとかじゃ、だめですか?」「だめだよ、クラシックは眠くなる」「私、正直、苦痛なんです。古くさいし、なんたってこぶしが強烈すぎて仕事に集中できないんです」

 

スーパー・ドクターとクラシックの名曲なら、絵になるし、様になるが、面白味には欠ける。クラシック音楽が子守唄とは思わないが、ここは、やはり、演歌でなければならない。人を引きつける作品には、何らかの表現の落差が必要と考える。善は悪で際立ち、光は影で引き立つ。主人公の実直な外科医が輝くには、俗物市長やヤブ医者の存在が必要であったように、腕がぴか一であるほど、憎めない性格の表出が求められる。

 

男性スタッフ:「先生、じゃあ、都はるみを流すかどうか多数決で決めたら、どうですか?」「ああ、そうですね」[中略]「それでは、都はるみでいいという人?」当麻以外、誰も手を挙げない。浪子だけが、遅れ気味に、手を挙げる。「あれ?矢野君」「ごめんなさい、ロックとかじゃだめですか?」「とんでもない、メスが暴れてしまうよ。信じられんな、君たち、彼女は日本の宝だぞ」そう言って、当麻は、食卓を後にする。

 

浪子は当麻のことを日記に書いた。「[その時の]おもちゃを取り上げられた子どものような先生のふくれっ面が面白かった」「[先生と仕事をしていると]日記から愚痴が減って行く」「それを敏感に感じとるのだろうか?泣いてばかりいた[息子の]公平がよく笑うようになった」最初の出会いでは、手術器具を乱暴に扱っているところを当麻に注意され、第一印象は最悪だったが、彼女は、当麻の手術の手際の良さに敬意を抱くようになる。

 

物語は、ナレーターで看護婦役の、浪子の火葬の場面から始まる。医師となった公平(成宮寛貴)は、亡母の部屋で日記を見つけ、それを読み進めるなかで、物語は彼女の過去に遡る。浪子は、自分の勤務する滋賀の市民病院に赴任してきたスーパー外科医の当麻に、しだいに信頼を寄せる。そんななか、市議会での演説中に市長の大川が肝臓病で倒れて、当麻は、身近に臓器提供者もいたことで、生体肝移植を思い立つ。

 

生体肝移植は病院のリスクが大きいため、事務長は野本に止めさせるように頼む。警察から殺人罪で告訴すると脅されるも、当麻はオペを決行する。大手術のときも、「アンコ椿は恋の花」が流れる。緊張時ほど、リラックスが必要である。患部を凝視する、マスクをした当麻(堤)の精悍な目鼻立ちは、『白い巨塔』(1966)の財前五郎(田宮二郎)に似ていなくもない。手術は成功し、告訴も避けられたが、当麻は病院を去る。

 

浪子は、感謝を伝えるために、当麻を乗せた車に近づき、別れ際に言葉をかける。「ありがとうございました」「こちらこそ、オペの連続で、ずいぶん苦労をかけたね」「私、先生のオペが待ち遠しかった。私、先生に近づきたくて、オペの間、先生の一番身近な人間になれた気がして。今まで、ずっと言えませんでしたけど、私、本当は都はるみが好きなんです、好きになったんです」「ありがとう、君は素晴らしいナースでした」

 

筆者は、フジテレビの連続ドラマ「やまとなでしこ」(2000)での、内気で不器用な数学者の中原欧介役の堤を思い出した。このときも、彼の研究肌の飾らない役どころに惹かれたが、患者第一主義の実直な当麻鉄彦も、すっかり、堤のはまり役になっている。当麻の役に立とうと、必死で看護医療の勉強を重ねる浪子のひたむきさとともに、観ていて、清々しい思いに満たされる。堤も、夏川も、何とも魅力的な役に巡り会えたものだ。

 

やはり、本作では、生々しい手術シーンの生体肝移植もさることながら、一番の影の立役者は、都はるみである。母が働いていた市民病院に勤務することになった公平が、院長室に通される。院長を待つ間、彼が部屋の周囲を見渡すと、机の上には、当麻が使っていた当時のものと思われるソニーのカセットテープレコーダーとともに、『都はるみ大全集』のカセットが置かれている。最後まで、都はるみにこだわった演出である。

 

昔、院生研究室内に私物の『歌謡曲全集』(全26巻+索引巻、以下『全集』と略記)を持ち込んだことがあった。他の仲間に不謹慎を咎められて以降は、すぐに持ち帰った。筆者としては、研究の合間に、音楽でリラックスしたい思いで、参考図書の棚に紛らせたものであったが、生真面目な院生の目に触れて、この計画は頓挫した。筆者にとっての『全集』は、『孤高のメス』の当麻医師にとっての『都はるみ大全集』だった。

 

以前のブログでも言及したように、この初代の『全集』は、その後、音楽から遠ざかっていたときに、自宅の物置に入れ放しにしていて、原形をとどめないほど、見事に紙魚に喰われた。現在、電子楽譜の原譜基礎データの一つとして大活躍している『全集』は二代目で、たまたま、同じ26巻+索引巻のセットで、格安な古書が市場に出ていたので、迷うことなく、買い直した。不完全な譜面集だが、今の趣味には欠かせない。

 

今週の電子楽譜ネタに移ろう。三船浩の「夜霧の滑走路」(1958)は同名の大映映画の主題歌であり、同じ三船の「東京ブルース」(1958)も挿入歌である。「東京ブルース」というと、筆者の世代では、水木かおると藤原秀行のコンビによる西田佐知子版(1964)が耳に残っているが、西條八十と服部良一のコンビによる淡谷のり子版(1939)に加え、矢野亮と山口俊郎のコンビによる三船版もあった。どの版も、雰囲気がある。

 

藤本二三代の「浜辺の子守唄」(1958)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があり、複数のテンポを試した上で108に調整した。原譜には、フレーズ内の音長の帳尻の合わない箇所が3か所あり、誤植だと判断して、修正した。内ふたつは8分音符の3連符だと音長が揃う主旋律が、後ひとつは同じく8分音符の6連符だと帳尻の合う助奏部が、いずれも16分音符になっており、そこだけ速く感じられた。

 

野村雪子の「娘浜唄」(1958)では、『歌謡曲全集』の原譜からの電子楽譜化において、大きな問題はなかったが、歌唱末のタイで結ばれた無点2分音符が暴走に近い状態になり、編集ソフト上で調整したものの、多少の違和感が残った。最後の「おくれ」のレだけが不自然に力の入った声に聴こえるものであった。テンポについては、原曲の確認がとれず、一般的な演奏時間(3分前後)を念頭に置いた上で、84に調整した。

 

初代コロムビア・ローズの「悲しみよグッドバイ」(1958)では、『歌謡曲全集』の原譜の1音にシャープが抜け落ちていた。聴いたことのない曲でも、1音の狂いは意外と耳に残るもので、半音の上げ下げの可能性のある箇所については点検した。ト長調の譜面で、シャープが点在していたことが誤植を誘発したようだ。譜頭にワルツの指示があったが、スコアメーカーのデフォルト値の120のままで、3分強と問題はなかった。

 

大津美子の「哀愁の湖畔」(1958)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があり、84ではやや遅く感じられ、108ではやや速く感じられたため、原曲の演奏時間(3:50前後)を念頭に置いた上で、中間の96に調整した。モデラートだと100→90→80という選択も考えられるが、120→108→96→84→72→60のように、スコアメーカーのデフォルト値に基づいて、12ずつの刻みでの調整になることが多い。

 

北見和夫の「僕の東京」(1959)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があり、当初、スコアメーカーの初期値である84を試したが、やや遅く感じられたので、108を試すと、今度は速く感じられた。中間の96も試したが、それでも、やや速く感じられた。そこで、90に微調整した。演奏時間は3分半弱となった。原曲の確認はとれなかったが、北見の他の曲は3分半を超えるものが多く、このあたりと判断した。

 

林伊佐緒の「さすらいのマドロス」(1959)と天城英雄の「利根のみなしご」(1959)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があり、原曲の確認もとれなかったので、3分前後の標準的な演奏時間を念頭に置いて、初期値84のままとした。曲の構成も、8小節分の前奏が確保されていたため、2番と3番の歌唱間のみで前奏をくり返す一般的なものとした。前者では、作曲も林で、哀愁を帯びた曲調になっている。

 

舟木一夫の「成人のブルース」(1965)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、原譜どおりだと、DSが正しく機能しなかったので、閉じる反復記号の位置までずらしてから、MP3ファイルを作成後、手作業で不要部をカットした。原曲の演奏時間は3分半強で、それに近づけるために、削除分を織り込んだ上でテンポを84とした。通常の和製ブルースとは一線を画すが、これはこれで魅力的な曲に仕上がっている。

 

バーブ佐竹の「銀蝶ブルース」(1967)は、川内康範(1920-2008)の、「週刊バイタリー」連載小説『銀蝶ブルース』(東京文芸社1967)を原作とする。梶芽衣子も、東映映画『銀蝶渡り鳥』(1972)の挿入歌として、同名曲を歌っており、詞は川内のものだが、メロディーは別物である。川内は、『月光仮面』(1958)の原作者・脚本家で、「骨まで愛して」(1966)、「君こそわが命」(1967)などの大ヒット曲の作詞を手がけた。

 

本曲では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、原譜どおりだと、to CodaやDSが正常に機能しなかったため、関連記号をすべて取り払って、かなりの余剰を含むかたちで、MP3ファイルを作成せざるを得なかった。歌詞は4番まであり、番号付きの反復記号が付いていたが、No.4は、to CodaからCodaへの移行に繋がるもので、No.3までで4番までの歌詞に対応できるため、No.4の反復記号も併せて削除した。

 

原曲の確認はとれなかったが、原譜の構成は適正に思われたので、それを元に都合4箇所の不要部の削除と有効部の切り貼りを手作業で行った。必要に応じて、編集ソフトで、ズーミングを行い、ルーペで確認するかのように、慎重に作業を行った。それは演奏時間を4:40前後から3:30前後に縮める筆者最大のアナログ外科手術であった。後で原曲の確認ができて、テンポが異なっていても、さすがに再アップは憚られる。

 

都はるみの「待ち呆け港」(1967)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、原譜どおりだと、DCが正常に機能しなかったため、閉じる反復記号の位置までずらしてから、MP3ファイルを作成し、その後、手作業で4小節分の不要箇所を削除した。テンポについては、原曲の確認がとれず、一般的な演奏時間を念頭に置きながら、体感的に、108を選択した。本曲には聴き覚えがなかったが、すぐに親しめた。

 

奥村チヨの「花になりたい」(1968)では、『歌謡曲全集』の原譜からの電子楽譜の作成において、原譜どおりだと、DSが正しく機能しなかったので、閉じる反復記号の位置までずらしてから、MP3ファイルを作成し、その後、手作業で不要部をカットした。テンポは、とりあえず、原曲の演奏時間(3:20前後)に合わせて、100とした。一部の歌詞の音配当に誤配があり、修正した。本曲は朝日放送のホーム・ソングである。

 

橋幸夫の「星の三度笠」(1969)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭に、Medium Tempoの指示があり、速くも遅くもない起点のテンポと解釈し、スコアメーカーの初期値の120に設定したが、演奏時間が4分を超えていたため、当初、もう少しアップテンポでもよいかと思われた。それでも、原曲を確認すると、その演奏時間も4分強であったので、120に確定させた。今後は、Medium Tempoについては、120を意識しよう。

 

水原弘の「恋のかげろう」(1969)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があり、当初、初期値の84にしていたが、演奏時間がやや短くなった。原曲の演奏時間を確認すると3分前後あり、それに近づけるために、76まで落とした。モデラートの範囲は、おおよそ100~90~80とされ、日頃はスコアメーカーに合わせて108~96~84で設定することが多い。今回は例外的な措置だが、大きな違和感はなかった。

 

ペギー・マーチの「忘れないわ」(1969)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があり、初期値の84から試したが、一発で、原曲の演奏時間(3分前後)と一致した。ただし、2番の歌唱末では、「忘れないわ」のワは、タイで繋がれた4つの全音符と1つの4分音符の長さ分が伸ばされるが、ボーカル音源による演奏では、設定しているビブラート深度の悪影響が出るため、全音符3個分の音長をカットした。

 

荒井由実の「ルージュの伝言」(1975)では、電子楽譜の作成において、前奏部がアコーディオン演奏では単調になったため、やむを得ず、割愛した。ボーカル音源による歌唱ファイルの作成においても、最後のMy Little Darlin'のくり返しによるコーラスが、実際に演奏させると、不自然になったため、これも省略した。テンポは、160で、原曲の演奏時間(2:50前後)に近づいた。やはり、おなじみの前奏がないのは寂しい。

 

EGO-WRAPPIN'の「色彩のブルース」(2000)では、完全な原譜からの電子楽譜化に破綻はなかった。テンポも数値(127)で示されていたし、誤植も見当たらなかった。強いて言えば、ボーカル音源による演奏では、一部の音で暴走したが、編集で目立たなくできた。歌詞の内容はわかりにくいが、この種の曲は、意味を理解して楽しむよりも、五感で感じるものであり、耳通りの悪さはむしろ、プラスに働いている。

 

ところで、インターネットの記事(「スポニチ・アネックス」8/26)によれば、日本語学者の金田一秀穂(1953-)と教育学者の斎藤孝(1960-)は、某テレビ番組で、「歌詞が美しいヒット曲」として、それぞれ、井上陽水の「少年時代」(1990)と松本隆作詞・筒美京平作曲の「木綿のハンカチーフ」(1975)を挙げた。以前のブログで、「リバーサイドホテル」(1999)などについて言及したように、陽水の詞は、たしかに、凝っている。

 

金田一氏は、「少年時代」について、「聞いてても自分のイメージがちっとも浮かんでこない。《風あざみ》とか何をするのかちっとも分かんない。でも、言葉として美しいから、言葉が生むイメージだけで歌ってる。言葉の美しさを上手に作ってるのが詩人」(同上記事)と評した。筆者なら、EGO-WRAPPIN'の「色彩のブルース」を選択するだろう。一種の共感覚(五感の相互隠喩)により、詞が旋律の邪魔をせずに、溶け合っている。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。