相手をやり込める石丸構文が話題になっている。同氏は、安芸高田市長時代に、副市長の数を増やす提案をしたが否決され、今度は、議員数を減らす提案をして否決された経験をテレビで語っている。都知事選でも、マス・メディアが自身を取り上げてくれなかった点に触れ、一部の記者や芸能人に対しても、石丸構文を駆使している。政敵を弁論で打ち負かすのにはよいが、諸刃の剣で、誰にでも用いると、やがては人望を失う。

 

議会は多数決で決まる。選挙で選ばれたトップに包容力がなければ、議員や職員の反発を招き、政策をうまく実行できない。自分の意見を通すには、丁寧に、相手の意向も汲む必要がある。駆け引きや根回しにも弊害はあるが、何かを一方的に押しつけられても、人は聞く耳をもたないものだ。同氏は、優しい顔立ちで、若いとなめられる意識が働いているのか。政治改革を実現するには大人の対応が求められる。老婆心まで。

 

休み期間中に、MRIの癌検査を受けたが、異常はなかった。十分な休養もとれた。年も年だし、意識して静養に努めるのは大切だ。これからも、このペースで行こう。御年8歳のワンコも、動物病院で診察を受けた。週に1度、食欲不振の日があり、検査前日がそうだったので、肥満については注意を受けなかった。結石体質は相変わらずのようで、餌は、結石と肥満の予防を兼ねた現行のものを継続するように指示された。

 

先々週までは、さらなる免疫力の低下を恐れて、運動を控えていた。それでも、通院時には、徒歩区間の早歩きを心掛けた。汗まみれで診察を受けるのが憚られる行きはともかく、帰りは、上り坂を含めて、自宅までの速歩を実践した。このペースで1時間は歩いただろうか。明らかに、ランニングとは異なる脚の筋肉の張りが確認された。最近は、里山登りもごぶさたなので、季節がよくなったら、再開したいところだ。

 

先週の室内ランは、基礎体力の維持のために、奮起して、60分(L4)×3回を全うした。L4の運動負荷自体が30分でもきつい現状では、かなりの達成感がある。しかも、週末の60分はL4の通しで終えるようにした。これなら、60分(L4)通しをベースに、時間を延ばして行くこともできそうだ。と思ったが、今週は30分(L4)×3回に終わりかけた。それでも、今週末には、加えて60分(L4)の通しが達成できた。

 

適度の運動と言われるが、適度が曲者である。筆者は、適度≒ややきつめと解釈している。長年の運動習慣による心肺能力や脚力の向上で、きつかった運動も楽に感じられる。今回も、運動負荷をL3に下げたい欲求にかられたが、思いとどまった。ランニングをジョギングに変えると、時間が同じなら効果は激減する。かと言って、体調不良時に無理をすれば、免疫力の低下につながる。運動は様子を見ながら行う必要がある。

 

今回の運動時には、NHKBS放送の録画分で、ジェームズ・ガーナー(1928-2014)主演のコメディー西部劇である『夕陽に立つ保安官』(1969、以下『夕陽』と略記)と『地平線から来た男』(1971、以下『地平線』と略記)を観返した。『地平線』は、三船敏郎の『用心棒』(1961)やクリント・イーストウッドの『荒野の用心棒』(1964)のパロディー作品である。ブログが長くなりそうなので、『夕陽』の詳説は次週に回そう。

 

三船やイーストウッドの演技は男臭く渋いものだが、ガーナーのそれは、彼らに比べると、陽気で浮ついたものにみえる。しかし、実は、彼の演技も、男っぽく、要領がよくて、良くも悪くも人間のことを知り尽くしているような世慣れ人で、物事の先を読むことに長けている。愛想はよいが人には騙されないし、早撃ちのガンマンだが無用な争いはしない。余裕がユーモアに還元されている。そこが観ていて小気味よい。

 

先の2作と前後して同じくNHKBSで放送された『墓石と決闘』(1967)も観てみたが、頭の固いワイアット・アープ役ということで、まだ、ガーナーの憎めないいい加減な魅力は露わになっていない。英国風の洗練されたユーモアなら、『007』シリーズ(1973-85)で3代目ジェームズ・ボンドを演じたロジャー・ムーア(1927-2017)に軍配があがるが、アメリカ的なとぼけたユーモアなら、何と言っても、ガーナーである。

 

相手役の女優は、『夕陽』ではジョーン・ハケット(1934-83)、『地平線』ではスザンヌ・プレシェット(1937-2008)である。二人とも、文字どおりのゴールド・ラッシュ時代の成金娘役で、とんでもないじゃじゃ馬娘役である。言い寄る男がいると、敵意を剥き出しにして身を守ろうとする。泥んこになって男たちの喧嘩に加わったり、求婚男たちを片端から撃ち殺そうとしたりと、「攻撃は最大の防御なり」を地で行く演技が展開する。

 

2作における真の相棒は、この時期の西部劇に欠かせない名脇役ジャック・イーラム(1920-2003)である。『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)のアーネスト・ボーグナイン(1917-2012)のような独特な風貌の持ち主で、嫌みがなく、気さくさが顔に滲み出ていて、好感がもてる。彼が出てくると、人情味にあふれた昭和の佳き時代を感じずにはおかない。『ウエスタン』(1968)では悪役を務めたが、彼には善人が似合う。

 

『地平線』の筋を追おう。意に添わない女性と結婚寸前に列車内から逃げ出したヒモ同然の主人公スミスは、ある騒動の町に降り来る。町の中心部を金脈が走り、二人の鉱山主が利権を争っていて、ダイナマイトの爆破音と衝撃が絶えない。通りでは、男たちから「毒ヘビ」と恐れられる、鉱山主の娘ペイシェンスが、群がる求婚男らにライフルをぶっ放している。駅員らは「あれで名前がペイシェンス[我慢]か」とあきれ顔だ。

 

当地に着くと、主人公は、宿を確保してから、すぐに医者を探す。前の婚約者とのあいだで、酔ったはずみに入れた「愛するゴールディー」のタトゥーを消すためである。金髪女性の名前がゴールディーで、主人公にとってこの女性が金蔓以外の何物でもないことを象徴しているように思われる。その後、ルーレットでこだわりの23番に全所持金の4600ドルを賭けて負ける。どこかで、早くお金を調達しなければならない。

 

主人公は、鉱夫で賑わう酒場の女主人の話を耳にして、前の婚約者のように、彼女に取り入ってお金をせしめようとする。そんな矢先に、いきなり、早撃ちガンマンらしい男から決闘を挑まれた主人公は、まともに戦わずに、背後から頭を殴って気絶させ、銃が使えないように、右手の人差し指をアイロンで潰すが、左利きだとわかって、左手の指も潰す羽目になる。少々ブラックだが、コメディーだから許せる範囲である。

 

どうやら、相手方の鉱山主が雇ったスゴ腕ガンマンの到着が遅れ、主人公は彼と勘違いされたようだ。先の間抜けな決闘男は、対立する鉱山主の雇った用心棒だったが、使いものにならなくなったため、相手側の用心棒を5000ドルの現金で釣ろうというのだ。さっそく、スミスは、渡りに舟と頭を働かせ、以前に100ドルをめぐんだ空腹男をそのスゴ腕ガンマンに仕立てることを思いついた。こうして、5000ドルが手に入る。

 

ルーレットで23番に4600ドルを賭けてまた負ける。折しも、前の婚約者が主人公を追いかけて酒場まで来る。婚約者は、女主人と対面し、事情を話して情報を求める。二人の女性は、同じ作り話をされて、主人公に乗せられたのを知って復讐を誓い合う。一方、鉱山主の娘は、医者から「彼は胸を患っている」と聞き、結核だと思って優しくしていたが、前の婚約者のネーム入りのタトゥーを消すためとわかって失望する。

 

折から、本物のスゴ腕ガンマンが町に到着し、偽者に会いに行く。ガンマンを演じるのは、『ライフルマン』(1960-63)のチャック・コナーズ(1921-92)である。主人公は、知恵を絞って、この早撃ちガンマンと自分だけ馬上で対峙する。発砲と同時に、酒場で爆発が起き、ガンマンは誤って自分の足を撃つ。思いがけず金脈も見つかり、スミスは大金を手に、同じ23番に10000ドルを賭けて、今度は三度目の正直となる。

 

なるほど、よく観れば、『地平線』は、黒澤明の『用心棒』のようでもあり、セルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』のようでもある。しかし、若いころの筆者は、『用心棒』は観ていなかったものの、マカロニ・ウエスタンには目がなく、『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』シリーズは何度も観ていたが、『地平線』が『荒野の用心棒』のパロディーであることには気づかなかった。それくらい、雰囲気的に別物だということだ。

 

電子楽譜ネタに移ろう。曽根史郎の「裏町のプリンス」(1957)では、4番まで歌詞があったため、偶数歌詞曲の基本原則に沿って、前奏部は2番歌唱と3番歌唱の間でのみくり返した。ただし、調子をとるために、前奏部末の2フレーズを、1-2番、3-4番間の間奏として活用した。また、歌詞の一部にかつての差別用語が使われていたので、そこだけ表現をぼかした。原譜に示されたモデラートは、初期値の84のままにした。

 

若原一郎の「歌で別れる港町」(1957)でも、4番歌唱までの構成で、単調になるのを嫌って、前奏は2番歌唱と3番歌唱の間だけで反復した。テンポについては、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭に「軽快に」の指示があり、120から試したが、やや速く感じられたため、また、100だと軽快感が少し損なわれる気がしたので、譜面の音符構成を見て、110に設定した。原曲と大きく異なるようであれば、再アップのつもりだ。

 

鶴田浩二の「美しい灯に」(1958)では、原譜の譜頭にSLOWの指示があったが、初期値の60ではかったるく感じられたため、いつもの84に設定すると、ちょうどよい速さになった。ただ、原曲の演奏時間を確認すると3:26と、もう少し遅めなので、72前後でもよいかもしれない。それでも、伴奏部の長さが、原曲と原譜とでは、元々、異なっていたりするため、一概に演奏時間だけ合わせても、帳尻が合うとは限らない。

 

松山恵子の「初恋郵便」(1958)でも、石井千恵の「女心の恋の鳥」(1958)でも、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があり、3分前後の演奏時間を目安に、テンポ84に設定した。前奏が8小節と長めのため、曲の構成も第2間奏で前奏をくり返す一般的なものとなった。石井の曲では、タイトル画像の作成時に、たわいもないハプニングが起きた。視認文字の小ささもあって、「女心の恋の島」だと思い込んでいた。

 

フランク永井の「面影のブルース」(1959)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にスローの指示があり、60ではかったるく感じられたため、標準の84に設定した。オブリガートの悪影響か、歌唱部の主旋律に本来あるはずのない不自然な切れ目が生じたので、助奏の一部を取り払った。「お前のひとこと」「その日の別れ」「二人の運命」の箇所のメロディー全体にかぶさる全音符のみを取り去ると、問題の切れ目はなくなった。

 

村田英雄の「柔道水滸伝」(1965)では、『歌謡曲全集』の原譜からの電子楽譜化において、原譜どおりだと、DCがうまく機能しなかったため、閉じる反復記号の位置までずらして、ファイルを作成してから、手作業で不要部をカットした。原譜にテンポの指示はなく、当初、標準の84にしていたが、原曲の4分を超える演奏時間に近づけるために、74に落とした。66も試したが、若干の間延びを感じたため、74に落ち着いた。

 

高倉健の「網走番外地」(1965)では、『歌謡曲全集』の3番歌唱までを想定した原譜からの電子楽譜の作成において、4番歌詞まである曲の構成にとまどった。伴奏部のメロディーも原曲と少し異なっていた。原曲を聴くと、3番歌唱と4番歌唱の間には、馴染みのリフレインのみが入っており、原曲の構成に倣った。A3で始まりD3で終わる「その名も網走番外地」の箇所の本歌唱の旋律は、1オクターブ高くなっていた。

 

原譜にある3番歌唱末のリフレインに近いラストを活用した。ただし、このリフレインは、末小節が曲を締めくくる構成になっており、4番歌唱の前では、1オクターブ高めた先の本歌唱の旋律に換えた。また、原曲では、2番と3番の歌唱間に、やや長めの独特な間奏が来るが、電子楽譜では、1番と2番の歌唱間に来るため、原曲に合わせて修正した。原曲では、1番と2番の歌唱間も、単純なリフレインになっている。

 

石原裕次郎の「王将・夫婦駒」(1965)では、『歌謡曲全集』の原譜において、1番歌唱末の付点2分音符に付くオブリガートの一部に、誤植らしきものが見つかった。原譜どおりだと、当該小節内の最後の1音に不協和音を感じ、1音高く(G4→A4)すると収まった。テンポの指示はないが、原曲の演奏時間が3分前後ということで、それに合わせて84とした。本曲は、同年の連続テレビドラマ「王将物語」の主題歌である。

 

こまどり姉妹の「南国哀歌」(1965)では、『歌謡曲全集』の原譜に、複数箇所に誤植らしきものが見つかった。1番歌詞で言えば、ウ・ソ・オ・オ・モにおける真ん中のオとウ・ブ・ウ・ウ・ナにおける真ん中のウにあてられた1音、及び、第1間奏と第3間奏における同一リフレイン旋律の1音の都合9か所で、不協和音が感じられたので、1音下げを行った(B3→A3)。歌詞は4番まであるが、原譜の構成に狂いはなかった。

 

畠山みどりの「人情一代」(1965)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、前・間奏にゴースト3連符が隠れていた。3連結された16分音符で、形も変であった。原譜は、8分音符と2つの16分音符で、修正しても青警告が消えず、ゴーストが姿を見せた。間奏分は、8分音符の単純なゴースト3連符であった。また、DCが機能しなかったので、閉じる反復記号の位置までずらしてファイルを作成し、不要部を除いた。

 

三保みどりの「ひなげし小唄」(1965)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の際に、3rd DSが機能しなかった。本曲は5番歌唱まである。原譜では、歌唱末の同一小節内に数字付きの反復記号が4まであり、5番歌唱末は別なフレーズが用意されるため、結局、6番歌唱までの対応になっていたので、反復記号の4を除いて、1~3を残した。こうした作業を行って、ファイルを作成してから、手作業で、順番を調整した。

 

「人情一代」と「ひなげし小唄」の譜頭には、それぞれ、「堂々とした感じ」、「哀愁をこめて」とあるだけで、テンポの指示はなく、原曲確認もとれなかった。前者では、昭和歌謡のスタンダードである84をあてがうと、演奏時間は3:30前後になった。後者については、昭和歌謡のセカンド・スタンダードの108でも速く感じられたため、演奏時間と相談しながら、最終的には100に落ち着いた。演奏時間は3:24程度になった。

 

日野てる子の「星かげの浜辺」(1965)では、『歌謡曲全集』の原譜にナチュラル抜けの誤植が見つかった。「恋人の胸に抱かれる」「汐風の甘い吐息に」「別れてもむせび泣く声」のネ/マ/セの1音が、不協和音を生じていたため、原譜を確認すると、ト・オ/ゼ・エ/テ・エのオ/エ/エの1音に付いたシャープが生きていて、当該音を半音高くしていた。原譜にはSLOWの指示があったが、初期値では遅く、84に設定した。

 

美空ひばりの「むらさきの夜明け」(1968)の再アップについては、前回のアップ曲の演奏時間(4分弱)が、原曲のそれ(3分20秒前後)と比べて、かなり遅いことがわかった。『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にはモデラートが付いていて、前回は、それでも、スコアメーカーの初期値の84ではなく、速めのスタンダードである108に設定していた。そこで、今回の再アップにおいては、テンポを130まで速め、原曲に合わせた。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。