昔、理容店でよく使われていた丸いシャンプー・ブラシが、インターネット販売サイトで、ようやく見つかった。長年の愛用品で、頭の掻き心地がよかった。しばらく用いると突起が折れて、しだいに使い物にならなくなるため、歯ブラシと同じ消耗品である。これで年寄りご用達の七つ道具(孫の手、洗髪ブラシ、ごわごわタオル、歯ブラシ、竹楊枝、爪切り、耳かき)が揃った。いずれも、筆者にはこだわりの逸品である。

 

シャンプーと言えば、ワンコが土塊に顔を突っ込むなどして特に汚れた場合は、そのまま、自宅の風呂で顔や体を洗うのだが、その後が大変である。シャンプー時は、気持ちがよいのか、じっとしているが、洗い終わると、興奮して、濡れたまま室内を走り回る。時折、ブルブルと身震いをして、体にまとわりついた水分を周囲に撒き散らす。こんなときに、座卓に料理を並べるのは禁物だ。ワンコ・シャワーが降りそそぐ。

 

食事の際のワンコ・シャワーの脅威は、シャンプー後以外にもある。降雨時に、庭で用を足すと、当然、ワンコは濡れて戻って来る。私たちが食事をする頃には、もう自分の餌は食べ終えていて、座卓横の息がかかるぐらいの間近に陣取る。そこで、ブルブルをされるとたまらない。思わず、ヒャーッと声があがる。食後に水を飲んだあとも、要注意だ。毛むくじゃらの鼻づらは、料理まで達する水気を十分に含んでいる。

 

今週の室内ランも、先週に引き続き、30分×3回(L4)にとどまったが、30分(L4)の運動自体はだいぶ楽になった。今週は、睡眠の質の低下の主な原因になっている夜間頻尿を克服するために、泌尿器科で薬を処方してもらった。さすがに、病院の薬はよく効く。最初の1錠で嘘のように症状が改善した。ただ、鼻づまりも同時にみられるようになった。なかなか、思うようには行かないものである。ここは我慢しかない。

 

今週の観返し映像は、トム・ハンクスの『フィラデルフィア』(1993)とトム・クルーズの『ザ・ファーム 法律事務所』(1993)である。いずれも弁護士もので、前者はシリアスな社会ドラマ、後者はスリラー・サスペンスである。両作とも、ハッピー・エンド気味ということで、安心して観ていられる。重苦しいだけの社会ドラマや、主人公らが最後に非業の死を遂げるような作品は観たくない。バッド・エンドは要らない。

 

『フィラデルフィア』では、主人公のアンドリュー(トム・ハンクス)は、フィラデルフィアの大手法律事務所に勤める前途有望な弁護士であった。彼はゲイであることを事務所に伏せていたが、ある時、パートナーらと談笑の折に、エイズ特有のアザが額に出ているのを見られてしまう。折から、主人公は重要案件を抱えていたが、期限までに裁判所に提出するように秘書に頼んでおいた訴訟書類が、一時、行方不明になる。

 

その不手際の責任をとるかたちで、アンドリューは解雇される。主人公は、書類の紛失が事務所側の策略と考え、自分はエイズ差別から首を切られたのだと悟る。さっそく、彼は、有能な弁護士を立てて、不当解雇で事務所を訴えようとする。何人かの弁護士にあたったあと、黒人弁護士のジョー(デンゼル・ワシントン)の元に出向くが、彼は、同性愛者が嫌いの上に、エイズ感染を恐れていたため、アンドリューの依頼を断る。

 

弁護人が見つからなかった主人公は、仕方なく、自分で弁護する道を選び、図書館で訴訟の準備を進める。ところが、閲覧書籍のなかにエイズ関連の本が混じっていたことで、図書館員が、彼のエイズを疑い、周囲と切り離すために彼を個室へと誘う。周囲の利用客も気配を察して彼を色眼鏡で見だす。たまたま同じ図書館に居合わせたジョーは、エイズ差別と闘うアンドリューの姿に心を動かされ、主人公の弁護を引き受ける。

 

法廷では、事務所側は、あくまで、原告の能力不足から解雇に至った点を強調し、エイズは知らなかったと主張する。被告側の女性弁護人は、証言台の原告に鏡を見せて、「アザは見えるか」と問う。当時4つあった顔のアザは消えていた。すかさず、ジョーは、「どこかにアザが残っているか」と尋ねると、原告は「胴体にある」と答える。そこで、彼は「シャツを脱いで見せて」と促す。アザは胸に点々と拡がっていた。

 

事務所の代表が証言台で従来の主張をくり返すと、原告弁護人は彼の根深い差別意識をあぶりだそうとする。「あなたはゲイか?」のジョーの質問に激昂した被告は、本性を剥き出しにして原告を非難する。その矢先に、アンドリューは卒倒して病院に運ばれる。ここから裁判の流れが一気に変わる。パートナーのひとりが、彼のエイズ感染を疑ったことを認める証言を行い、陪審の同情も誘い、原告に有利な判決が申し渡される。

 

その後、主人公は、静かに息を引き取るまで、家族やゲイ相手に見守られて、わずかだが幸せな最後の日々を過ごせた。それは、負け犬の死ではなく、あきらかに、勝ち誇った死であった。本作の観どころは、同性愛者でエイズ患者の弁護士役という難しい役どころを無難にこなした37歳のトムの抑えた演技に尽きる。それを、原告弁護人役のデンゼル・ワシントンや、ゲイ相手役のアントニオ・バンデラスが脇で支える。

 

『ザ・ファーム 法律事務所』では、ロースクールを優秀な成績で卒業した主人公のミッチ(トム・クルーズ)は、メンフィスにあるランバート法律事務所から、思いもよらない好条件で迎え入れられる。高収入も約束され、家や高級車も与えられて、ミッチとアビーの若夫婦は、いきなり、セレブの仲間入りをする。彼の指導係のエイヴァリー(ジーン・ハックマン)は、魅力的なアビーに気がある様子で、何かと彼女に付きまとう。

 

折から、事務所の若手弁護士二人が、ケイマン諸島でダイビング中に水死する事故がおきる。エイヴァリーの指示で同島に出向いた主人公は、事務所のコテージで、マフィア資産関連書類の入った隠し部屋を見つける。ミッチは、正当防衛が認められずに殺人罪で服役中の兄レイに面会し、怪しい事務所の話をすると、私立探偵を紹介される。しかし、探偵は、事務所のことを探り始めるととすぐに、お抱えの殺し屋らに始末される。

 

ミッチは、FBIのタラント捜査官から、事務所の背後にいるのはシカゴのマフィアで、裏帳簿を入手してほしいと頼まれる。その見返りに、彼は、兄の保釈と謝礼を要求し、FBI側は要求をのむ振りをして、協力を仰ぐ。しかし、弁護士のミッチのほうがFBIより上手であった。マフィアの報復を恐れた彼は、あとで、彼らとの取引材料に使うために、隠し資産関連の書類を全て事務所のコテージから盗み出す計画を立てた。

 

ミッチから島の娘との一夜の浮気を告白されると、アビーは怒って実家に帰ると言い出すが、最終的に事務所に関する彼の独白を信じた彼女は、隠し部屋の全書類を盗む作戦に協力する。アビーは、自分に気のあるエイヴァリーを誘惑して、コテージに泊まり、ベッドで彼を睡眠薬で眠らせたあと、書類を盗み出す。目を覚ましたエイヴァリーは、彼女に騙されたことに気づくが、惚れた弱みか、後の祭りと考えたからか、そのまま彼女を行かせる。

 

ミッチの働きで裏帳簿が手に入ったFBIは、レイを釈放し、謝礼の半額を彼に送金する。マフィアの隠し資産書類をコテージから持ち去ったミッチは、彼らのボスと取引し、捜査の手がマフィアには及ばない旨を粘り強く説明し、報復を免れた。こわもてのマフィアと、一歩も引かない主人公との駆け引きは一番の観どころである。レイは謝礼金とともに姿を消し、若夫婦は颯爽とメンフィスを後にした。めでたし、めでたし。

 

31歳のミッチ役のトムも30歳のアビー役のジーン・トリプルホーンも若くて初々しく、応援したくなる。ジーン・ハックマンが演じた老獪な弁護士は、アビーの偽装不倫に気づきながらも、薬を盛られても、彼女に仕返しする気にならなかったとみている。本作で最も印象に残ったのは、ベッド上で目を覚ましたエイヴァリーが、組織から消されると覚悟したのか、アビーのことでも考えながら、ぼんやり佇むシーンである。

 

音楽ネタに移ろう。フランク永井の「たそがれシャンソン」(1957)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラート・スローの指示があった。初期値では、テンポ84と60で、そこから、72前後が思い浮かぶが、実際には、遅く感じられる。原曲の演奏時間(3:40)に合わせると、テンポ84で適正化されるように思われた。モデラートのセカンド・スタンダードが108前後だとすると、本曲のテンポ数値は妥当であろう。

 

なお、本曲の歌詞は4番まであるため、いつものように、歌唱ファイルは1、2番分と3、4番分とに分けて作成し、手作業で合体させた。また、伴奏ファイルは、その半分量のデータ(演奏時間にして1:50程度)をコピーで倍にして対応した。2番とか4番とか総数が偶数になる歌詞には気を遣う。原曲の確認がとれれば、それに従うが、とれない場合も多く、そのときは、ケース・バイ・ケースで、対応せざるを得ない。

 

大津美子の「東京は恋人」(1957)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があり、当初、テンポ84で調整したが、とんでもない遅さで、原因をさぐると、モデラートの脇には括弧付きでin 2がついていた。調べてみると、どうも4分の4拍子ではなく、2分の2拍子相当になることが判明した。4分音符が1拍で、各フレーズに4拍の代りに、2分音符が1拍で、各フレーズに2拍になるということだ。

 

さっそく、84の倍数のテンポ168で試してみたが、それでも、歌唱部がゆっくりに感じられる。原曲(3:30~4:00前後)に比べると、演奏時間もまだ長い。最初に84で試したときは、実に6分強の演奏時間になっていた。そこで、昭和歌謡におけるモデラートのセカンド・スタンダードである108×2=216で試すと、ようやく、原曲に近いものが得られた。Moderato(in 2)は、モデラートの2倍のテンポにすればよいようだ。

 

コロムビア・ローズの「プリンセス・ワルツ」(1957)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にスロー・ワルツの指示があったが、原曲を聴いていなかった段階では、テンポ120でも速い印象はなかった。歌詞は2番までだが、そのままだと演奏時間が短くなるため、テンポを110にして、1番歌唱と2番歌唱の間に、演奏を挿んで調整した。念のために、スロー・ワルツを調べると、テンポ84~90の説明があって、84に落とした。

 

久美悦子の「アリューシャン小唄」(1965)では、『歌謡曲全集』の原譜が不完全で、歌詞は4番までだが、3番歌唱までしか対応しておらず、抜けていた閉じる反復記号を配置するなどして、調整した。譜頭にはモデラートの指示があったが、スコアメーカーの初期値である84では遅く感じられ、セカンド・スタンダードの108にアップした。最終的には、原曲の演奏時間(3:00前後)に合わせるため、100に落ち着いた。

 

「アリューシャン小唄」(1965)には、先にアップした三沢あけみ版もある。元唄は作詞・作曲者不詳だが、替歌や採譜・編曲を実施して、競作に漕ぎつけている。三沢版は宮川哲夫と渡久地政信で、久美版は高月ことばと山田栄一のコンビである。和田弘とマヒナスターズ&すずらん姉妹の「オホーツクの海」(1965)と言い、津山洋子の「サハリンの風」(1968)と言い、北国で生きる厳しさから来る独特の哀感は半端ない。

 

原耕二の「関の弥太っぺ」(1966)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、1番歌唱と2番歌唱の間の間奏の主旋律の一部にゴースト3連符が隠れていた。原譜は16分音符の4連結符だったが、最後の1音が8分音符のため修正しようとすると、ゴーストが顔を出した。あと、原譜どおりだと、DCがきちんと機能しなかったので、例によって、閉じる反復記号の位置までずらしてから、手作業で不要部をカットした。

 

加山雄三の「夜空を仰いで」(1966)では、『歌謡曲全集』の不完全な原譜で、歌詞に落丁があり、2番歌詞の音配当に苦戦した。抜けていたのは、句末の「昏れゆく波間に 君を呼んでる」の「君を呼んでる」の箇所である。一部に原曲と異なるメロディーもあり、原曲に合わせた。「いてくれるの」「いてくれるね」の歌詞が当てられた箇所である。ヘ長調の曲で、原譜はF3G3G3B3D4C4だが、G3G3B3C4D4C4に修正した。

 

弘田三枝子の「ヴァケーション」(1968)では、観月ありさの『ナースのお仕事』(2002)で観月自身がアレンジされた同曲の主題歌を歌っていたこともあり、以前から、未アップが気になっていた。しかし、全音の『歌謡曲大全集』にも『歌謡曲全集』にもスコアが収録されていなかったため、アップを先延ばしにしていた。今回、楽譜販売サイトから本曲の2種類の楽譜をダウンロード購入したので、アップに踏み切った。

 

原譜は不完全で、ある程度、工夫しないとアップに堪えない代物であった。しかし、この厄介な原譜には、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」(1967)のときのように、林知之氏による編曲版の楽譜が用意されていたので、2種類を揃えて、見比べることにした。前奏と後奏は原曲にもないが、間奏とオブリガートは、ありがたいことに、編曲版で初めて付けられた。原譜はヘ長調で、編曲譜はそれより2半音低い変ホ長調である。

 

電子楽譜化する際の原譜の問題点は次のとおりだ。1. 歌唱末の4度の反復箇所「ヴイ・エイ・スィ・エイ・ティ・アィ・オ・エヌ、楽しいな」の譜面記載がない。2. オブリガートがないのはともかく、「待ち遠しいのは春休み」と「待ち遠しいのは冬休み」の間に間奏がないため、そのままだと唐突になる。3.「マッシュポテトを水辺で」の箇所に代表されるように、歌詞の音配当や一部の音構成に原曲と異なる箇所がある。

 

1.の問題については、煩を避けるために、単純に付け足した。同じ音構成の箇所もあるので、それらを活用することもできようが、そのためには、元からある原譜の構成を変えねばならなくなる。2.の問題については、「山に行くことも素敵なことよ」「山びこが呼んでいる」の歌詞に対応する箇所を演奏させることで、間奏代りとした。3.の問題については、林氏の編曲譜を参考にしながら、原曲に合わせるかたちで修正した。
 

林氏の編曲版のほうも、アップを前提にして、電子楽譜化した。こちらは、間奏も、オブリガートも付いて、原曲に近づけるための譜面の完成度は高かった。しかし、未編曲の原譜にはなかった、一部のかけ声については、はやし言葉と同じで、ボーカル音源による再現が難しく、割愛せざるを得なかった。Go! やWoh! やOne more time! である。本歌唱に組み込まれているGo! Go! Go! Go! については、その限りでない。

 

なお、本曲の歌詞にある「マッシュポテト」は、ジャガイモの調理形態ではなく、ゴーゴーダンスの基本ステップのひとつであるようだ。足の動きがすり潰す動作にみえるところからの命名らしい。詳しくは、一音九九楽さんのサイト記事「『マッシュポテトを水辺で』の『マッシュポテト』って何?」(Hatena Blog、2023.7.8.)を参照されたい。筆者は、滑稽にも、この歌詞を「マッシュポテトを煮詰めて」だと思い込んでいた。

 

舟木一夫の「京の恋唄」(1969)では、『歌謡曲全集』の原譜からの電子楽譜化の過程で、歌唱部の主旋律に付くオブリガートの一部に、2か所でゴースト3連符が隠れていた。原譜に合わせて3連結符もしくは4連結符に修正しようとすると、不自然な変化があったため、選択確認をしてわかった。to Codaもうまく機能しなかったため、記号を消去して、ファイルを作成後、手作業で、長い不要部をカットした。不亦楽乎。

 

古賀政男の「三百六十五夜」(1948)と佐々木俊一の「月よりの使者」(1949)との一部メロディーの類似を指摘したことがある。佐々木は古賀に事前了承を得ていたようだ。本曲にも「三百六十五夜」の旋律が一部に使われている。作曲者の竹岡信幸は、明治大学のマンドリン倶楽部出身で、古賀の後輩にあたる。古賀の許可を得ていたのだろう。本曲は「人妻椿」(1936)にもよく似ているが、「人妻椿」の作曲者は竹岡である。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。