庭の花々も見頃になり、日頃は介護施設にいる義母を食事に招いた。その母が、最近はワンコを避けている。以前は可愛がっていたが、今は、ふらついて倒れるのを恐れているせいか、ワンコの手厚いお出迎えをはねつけるようになった。うちのワンコは猫のように玉を取るため、高齢者だと足をとられかねない。ワンコ自体は、うるさい子どもより大人しい年寄りが好きだが、足腰の弱った老人は活発な犬の動きが苦手のようだ。

 

ワンコにしたら歓迎の表現で、避けられると傷つくようで、心なしか、離れたところですねているように見える。ワンコが傷つくと言えば、他に、長男の愛娘が来たときも、長女が自身の愛犬を連れてきたときも、同様の反応を見せる。家内や筆者も含めて、みんなが孫娘や娘のワンコを可愛がると、うちのワンコは向うを向いて無視を決め込んでいる。彼らが帰ると、私たちは、愛犬に愛情注入の儀式とケアを怠らない。

 

今週の室内ランは、できれば、30分→60分→90分(L4)の漸増式をとりたかったが、いかんせん、心肺能力と持久力不足で、先週に引き続き、30分×3回(L4)に終わった。単体機器で心拍数を計測していたわけではないが、トレッドミルに付属している簡易の計測機器のデータから推測すると、平均心拍数は100bpmに満たないだろう。睡眠の質の関係で、まだまだ、30分(L4)がけっこうきつい。まあ、気長にやろう。

 

今週の運動時の気晴らし映像としては、ロビン・ウィリアムズ(1951-2014)の『グッドモーニング、ベトナム』(1987)と『ミセス・ダウト』(1993)を観返した。ロビン・ウィリアムズと言えば、何よりも、テレビで鍛えた話芸を活かす役を得意とするコメディアン志向の役者で、その魔法のような、よどみない話術が、とうてい、演技にはみえない独特の俳優である。そんな彼の特性が最も発揮された作品が、この2作である。

 

『グッドモーニング、ベトナム』は、1965年のベトナム戦争下で、軍のクレームにも耳を貸さず、ロック調で、ハイに語りかける、異色のDJの物語である。本作で、ロビンは、長引く戦争で疲弊した米兵らを特異なユーモアで癒した実在のラジオ番組「米軍ベトナム放送」のエイドリアン・クロンナウアを演じている。台本どおりにしゃべっているようにはみえないと思っていたら、やはり、彼にはアドリブが許されていた。

 

ウィキペディアによれば、「彼には脚本なしに演じる許可が出ており、実際、その台詞の大半は即興劇であったという。作中、ウィリアムズは、[中略]エルヴィス・プレスリーなど、様々な人物の物真似を披露した。製作を務めたマーク・ジョンソンは『僕らはただカメラを回すだけだった』と振り返り、ウィリアムズは『どのテイクでも何か新しいものをひねり出していた』と述べている。」(「ロビン・ウィリアムズ」の項を参照。)

 

そんなわけで、本作の観どころは、酒や薬の力を借りているようなDJ本番時の圧倒的な主人公の能弁ぶりである。普段の静かな日常との落差も感じられてよい。たいていのコメディアンはオン/オフの切り替えが得意である。NHKの朝の連続ドラマ『ブギウギ』における、エノケンモデル役の喜劇シーンでも、日頃は自然体の仏頂面で、いざ、舞台にあがると、お笑いのスイッチが入るのが、小気味よかったのを思い出した。

 

実際、ロビンには次のようなエピソードもある。「スタンダップコメディを演じるストレスも相まって、キャリア初期から薬物乱用や飲酒に逃れていた。ステージ上では飲酒も薬物使用もしなかったが、二日酔いで舞台に上がったことはあると認めている。コカインを使用していた時期には、舞台上でパラノイアを起こしたこともあった。[中略]『創作的過程が完全な崩壊に繋がらないか』心配する者もいた。」(前掲サイトによる。)

 

ブルース・リーは、武術鍛錬の一環か、武術演技の迫力を増すためか、腕にそれなりの電流を流して、反射的な電撃を鍛えたと言われているが、この電気ショックがロビンにとっては酒と薬であったように思われる。なんとも痛々しい限りである。まさに命がけの演技である。寿命を縮めずにはおかないこのような危険な手法は決してほめられたものではないが、身を挺した完全主義の演技には、最大限の敬意を払う必要がある。

 

『ミセス・ダウト』では、ロビンが演じる主人公の声優ダニエルの天才的な話芸は、家族ドラマのなかで、まずは否定的な響きを奏でる。舞台はサンフランシスコで、3人の子どもたちにとって、ダニエルは楽しい父親だが、仕事では、台詞にアドリブを挟む癖があって、ディレクターから睨まれ、ついには失職する。妻のミランダは、生真面目なインテリア・デザイナーで、日頃から家庭でもふざけすぎの夫に閉口している。

 

ダニエルのように、空気を読まずに、話し続けるタイプは、話し相手がいる場合、会話のキャッチボールが成立しにくい。聞き上手が話し上手であるとすれば、マシンガン・トークは、少なからず、相手の話を遮ることにもなるので、ほめられた話しかたとは言えない。そこから、主人公の生きる不器用さが透けてみえる。彼の饒舌は、ピエロのように、道化の奥底にある悲哀やペイソス、孤独や断絶を感じさせずにはおかない。

 

ある日、ミランダは、帰宅後、夫が、息子の誕生会で、子どものように浮かれ騒いでいるのを見て激怒する。日常的な夫の道化は妻には不真面目にしか映らない。夫の冗談についてゆけない彼女は離婚を決意する。親権をめぐって対立するが、夫が無職のため、親権は妻に渡る。ダニエルは、ハローワークで就職先を探すが、担当者にまで冗談を言い、顰蹙を買う始末である。最愛の子どもたちと過ごせなくなった彼の思いは募る。

 

折から、子どもたちとの面会時に、ミランダが家政婦を探していることを知ったダニエルは、お得意の話術と声色の使い分けで、電話で、変な家政婦たちを演じたあとで、最後に、まともな家政婦を演じて、彼女に自分を売り込むことに成功する。彼女から電話で名前を聞かれたダニエルは、そばにあった新聞の見出しにDoubt Fire(放火容疑)とあったことから、戯れにMrs. Doubtfireを名乗る。これが原題の由来である。

 

その後、映画の特殊メイクの仕事をしている弟の助けを借り、老婦人に扮してミランダと子どもたちのいる家を訪れる。あれだけ、夫には道化アレルギーがあったのに、ダウトファイア夫人が家政婦として働きだすと、ミランダは、いい人が来てくれたと大喜びである。下の子どもたちもすぐに馴染むが、反抗期の長女だけは、風変わりな老婦人に警戒心を抱く。しかし、途中で、夫人がパパだとわかって彼女も安心する。

 

ミランダ役のサリー・フィールド(1946-)は、本作の製作時には47歳前後だが、ちょうど、『ホーム・アローン』(1990)でケビンの母親を演じていたキャサリン・オハラ(1954-)のように、愛嬌と味がある。筆者が興味をそそられるのは、一人の俳優というよりは、作品のなかで、主役と脇役、夫役と妻役、親役と子役、若者と老人など、対照的なキャストの配置である。「似たもの夫婦」より、「破れ鍋に綴じ蓋」が面白い。

 

『ミセス・ダウト』を最初に観たときは、ロビンのグロテスクな女装に抵抗があった。『ヘア・スプレー』(2007)のジョン・トラポルタの女装にも当初は違和感があって、感情移入がしにくかったが、観返しているうちに、ヒロインの女の子同様、愛着を感じるようになったのと似ている。仲たがいした夫婦が、紆余曲折あって、元の鞘に収まるハッピー・エンドのストーリーは嫌いではないため、今回は気持ちよく観直すことができた。

 

音楽ネタに移ろう。今週の水曜日は「アコーディオン演奏のみ」のアップの代りに、カラオケセットシリーズの臨時の更新を行った。今回は、村田英雄の「無法松の一生」(1958)と「度胸千両」(1958)と「無法松の一生(度胸千両入り)」(1958)の関連する3曲を扱った。そのうち、「無法松の一生(度胸千両入り」については、放歌三昧とボカロ嬢の時期にアップ済だが、改めて、テンポの適正化のために再アップを行った。

 

本曲の原曲の演奏時間は4:11であったのに対して、過去のアップ曲のそれは3:36で、この30秒を超えるズレは重要と考えた。なぜなら、古賀メロディーに特有の細かい小節回しは、速いテンポほど簡素化され、遅いテンポになればなるほど、口にしやすくなるからである。もちろん、遅すぎるとかったるくなるため、限度はあるが、少なくとも原曲のテンポには近づける必要がある。その結果、テンポは64に落ち着いた。

 

1曲あたり、「アコーディオン演奏のみ」、「ボカル嬢による伴奏入り歌唱」、「歌三昧による伴奏入り歌唱」の3つのファイルと、最後に、「無法松の一生(度胸千両入り)」の原曲に準拠した歌三昧の歌唱のみのファイルをアップすることで、計10曲になる。通常の「アコーディオン演奏のみ」のアップも1日に10曲程度なので、今回は、これに代えた。「アコーディオン演奏のみ」のアップを期待していた向きには申し訳ない。

 

元々、同曲は、A面「無法松の一生」とB面「度胸千両」に分かれていたものを1曲にまとめた曲である。その際に、古賀は、多少の編曲を行っていて、特に、「度胸千両」の箇所を中心に、歌唱部のメロディーも微妙に変化している。そこで、筆者は、「無法松の一生」→「度胸千両」→「無法松の一生(度胸千両入り)」の順に、同曲を吟味しようと思いたった。特に、有効なのは、「度胸千両」単体での歌い込みであった。

 

「無法松の一生」のメロディーは覚えやすいが、「度胸千両」のそれは、独特な節回しで、前回のアップではうろ覚えのまま、いわば、ぶつ切りで録音してしまった経緯がある。また、昔、スナックカラオケで、本曲を歌う機会があったが、調子よく歌い出したものの、途中でメロディーがわからなくなって、歌い慣れた大学の先輩に代ってもらった苦い経験がある。今回は、その微妙な歌い回しを完全にマスターしたかった。

 

ところが、「度胸千両」には大きな問題が見つかった。それは、原曲と『歌謡曲全集』の旧譜のあいだに、少なからず、メロディーの異同があることだ。具体的に言えば、大きく変化しているのは、「たたく太鼓の勇み駒」「今日は祇園の夏祭り」「玄界灘の風受けて」の箇所である。残りの箇所も多少は異なるが、それらは、最終的な旋律と大差はないため、そのままにできる。しかし、上掲の箇所だけは原譜修正の判断を迫られた。

 

「度胸千両」を歌いあげるうえでの一番の難関は、息継ぎの箇所が、通常の句切れとは異なることだ。次の歌詞では、スラッシュ部で息継ぎを行うようにすると、うまく行く。「山車の竹笹提灯は 赤い/灯にゆれて行く 今日は/祇園の夏祭り 揃いの/浴衣の若い衆は 綱を/引出し音頭とる 玄海/灘の風受けて ばちが/はげしく右左 小倉/名代は無法松」今回の歌い込みで、歌三昧はようやく適正なブレス位置を体得できた。

 

曽根史郎の「あつかん一本たのみます」(1957)と藤本二三代の「清正さん」(1957)では、共に『歌謡曲全集』からの原譜で、歌詞は4番まであったため、DCを設けずに、1、2番分と3、4番分のファイルを作成し、手作業で合体させた。伴奏ファイルは作成された半分のものを編集ソフトで、コピーすれば済む。テンポは、前者がモデラート、後者がミディアム・ファーストの指示があり、そのまま、84と120にした。

 

「喜びも悲しみも幾歳月」(1957)が代表曲である若山彰の「星空千里」(1958)では、『歌謡曲全集』の原譜に誤植らしきものが2か所あった。原譜のとおり電子楽譜を演奏すると、前奏部の一部と歌唱部の主旋律の一部に、不協和音を感じたため、前者は1音上げ(B3→C4)、後者は1音下げて(D3→C3)調整した。後者については、問題の音符はほぼC3の位置にあったが、横線が入っていなかったため、D3と判断した。

 

雪村いずみの「ピリカピリカ」(1958)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭に珍しく数値(69)によるテンポの指示があったので、助かった。阿寒地方のアイヌ民謡だが、うろ覚えで覚えていたメロディーとはかなり異なっていた。昭和歌謡には少ない斜め平行線タイプのトレモロ記号が一部に使用されていて、初めはとまどった。全音符間にまたがる3並線のもので、調べると、「32分音符での同一音程の演奏」を意味していた。

 

こまどり姉妹の「アリラン波止場」(1965)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化において、原譜どおりだとto CodaとDSがきちんと機能しなかったため、いつものように、to Codaを消去し、DSを閉じる反復記号の位置までずらしてから、手作業で、不要部をカットした。『歌謡曲全集』の1960年代の曲では、ある程度、楽譜の体裁が整ったかたちで提供されるが、1番歌唱分だけの歌詞記載も誤植も多くなる。

 

橋幸夫の「恋のメキシカン・ロック」(1967)では、『歌謡曲全集』の原譜に記号ずれが見つかった。原譜どおりだと、Codaの位置にある歌詞は「メキシカン」の「キシカン」から始まっているが、to Codaの位置にある歌詞は歌唱末になっている。Coda部と照らし合わせて、「メ」で終わるフレーズを探した。DSも機能しなかったため、to Codaを取り払い、DSを閉じる反復記号の位置までずらしてから、不要部をカットした。

 

日高吾郎の「流れ者小唄」(1967)は、岡林信康の「山谷ブルース」(1968)にも似て、単調なメロディーが続くなか、各番手の歌唱の中締めの主旋律と、締め括りのそれが微妙に似通っていて、それらが交互するため、歌三昧の録音では、歌い間違いに苦戦した。中締めはF3G3B3G3F3E3だが、締め括りはF3B2B3G3F3E3で、2音目のG3とB2が異なっているだけで、後は同じ旋律が計12回くり返されることになる。

 

鶴岡雅義と東京ロマンチカの「星空のひとよ」(1969)では、『歌謡曲全集』の原譜に記号の抜けが見つかった。閉じる反復記号は付いているのに、それに対応する開く反復記号が不記載になっていた。また、電子楽譜化の過程で、後奏部の一部にゴースト3連符が見つかった。フレーズ内の見た目の帳尻は合っているのに青警告が出ていたため、確認すると、16分音符の4連結符の内の3つがゴースト連符になっていた。

 

松任谷由実の「埠頭を渡る風」(1978)では、『歌謡曲全集』の原譜からの電子楽譜の作成において、歌唱部の主旋律の一部に単純なゴースト3連符が見つかった。また、楽譜の体裁は、ある程度、整っていたが、譜面下には1番歌唱分の歌詞記載しかなく、曲の構成がやや複雑で、2番の歌詞の音配当に苦労した。さらに、別記載の歌詞についても、抜けがあったために、ボーカル音源による歌唱ファイルの作成には苦戦した。

 

譜頭にはAndantinoの指示があったが、スコアメーカーのデフォルト値は72で、遅く感じた。セカンド・スタンダードの108にすると違和感はなくなった。それでも、演奏時間を原曲に合わせると120に落ち着いた。松任谷の楽曲のなかでは、失恋大交響曲のような「翳りゆく部屋」(1975)とともに、1、2位を競う大作で、彼女のこの頃の曲はたいてい失恋のテーマだが、旋律は壮大で、昭和の陳腐な素材がアートに昇華している。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。