今回の流行り風邪らしき病気の症状はほとんど収まった。しかし、コロナ蔓延・感染以降は、劇症型溶連菌の脅威など、体内の免疫系の地図が遺伝子レベルで書き換えられているような不気味さがある。味覚障害はましになった気もするが、過活動膀胱のような日頃の持病が流行病に取り込まれて、症状が進んだ気もする。重篤な病気を抱えている高齢者は、こういった変異ウィルスに侵入されると、ひとたまりもないだろう。

 

室内ランは先週の水曜日から再開した。病み上がりの30分(L4)は、それだけでハードな運動になった。半月も運動をしないと、心肺能力が大幅に低下する。運動強度を落とす誘惑にもかられたが、一度、下げると、習慣になる懸念から、運動時間で調整することにした。結局、その週は、30分(L4)×2回となった。また、今週の室内ランも、1時間以上運動する気力が萎えて、30分(L4)×3回に終わった。無理はしない。

 

運動時には、以前から気になっていたフォレスト・ウィテカーの『大統領の執事の涙』(2013)を観た。ワーナー・ミュージカル映画の白眉である『マイ・フェア・レディ』(1964)もフォックス・ミュージカル映画の金字塔である『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)も今回、観返しているが、それらの大作については、語り尽くされている印象もあり、また、舞台版とも比べたいので、これらの言及は先送りにした。

 

本作は、アフリカ系アメリカ人のセシル(フォレスト・ウィテカー)が、過酷な黒人差別のなか、身に付けた白人社会を生き残る処世術で、ホワイトハウス執事として、第34代のアイゼンハワーから第40代のレーガンまで7人の大統領に仕えた34年を振り返る物語である。1950年代から80年代までのアメリカの現代史が背景にある作品として、ロバート・ゼメキス監督の『フォレスト・ガンプ』(1995)を髣髴とさせる。

 

ストーリーは次のとおりである。主人公のセシルは、1919年に、合衆国の南東部にあるジョージア州の小作人の家に生まれる。7歳の時に、母親が農園主の息子に凌辱される事件が起き、父親はそれに抗議して殺される。江戸時代における武士の切捨御免と同じで、当時は、白人の気に障れば、いつでも合法的に黒人を撃ち殺すことができた。その後、彼は、農園主の計らいで、しばらく、屋内の使用人見習いとして働く。

 

18歳になると、セシルは、逃げるように農園を飛び出し、町へ出る。某高級ホテルで、客用のデザートが窓越しに並べられているのを見て、空腹にさいなまれた主人公は、窓を割って侵入するが、黒人の使用人頭メイナードに見つかってとがめられる。しかし、それが縁で、彼は、仕事をもらい、そこでホテルの接客を学ぶ。白人客の機嫌を窺うのが基本で、白人用の顔と自分の本来の顔を使い分けることが必須であった。

 

その後、このメイナードの推薦で、セシルはワシントンDCのホテルで働く。白人客から政治の話題をふられても、ユーモアでかわす腕を、たまたま客として居合わせたホワイトハウスの事務主任に買われ、執事の誘いを受ける。黒人が政治の話題を口にすれば、白人から警戒されるのは目に見えていた。こうして、主人公は、1957年からホワイトハウス付きの執事として、まずはアイゼンハワー大統領に仕えることになる。

 

長男のルイスは、親の心配をよそに、人種差別の激しい南部の大学に進学するが、抗議活動の一環で、仲間とレストランの白人専用席に居座り、逮捕される。ケネディの代になっても、ルイスは、抗議活動を続け、途中でKKKに襲われるシーンもある。1963年にはバーミンガム子供十字軍に加わる。こうした事件を憂慮したケネディは、翌年、公民権法を提言するが、志半ばで暗殺され、公民権法はジョンソンの代で成立する。

 

黒人解放運動を指揮するブラックパンサー党の一員になったルイスは、恋人と共に帰宅するが、『夜の大捜査線』(1967)のシドニー・ポワチエに対する評価などをめぐって、父親と対立し、セシルは激怒して彼らを追い出す。同党が過激になると、ルイスは大学に戻り、政治学の修士号を取得する。それでも息子とのわだかまりは解消しない。その頃、政界では、ウォーターゲート事件で追いつめられたニクソンが辞任する。

 

1950年代から60年代にかけて、公民権運動の盛り上がりを背景に、『夜の大捜査線』が大ヒットしたシドニー・ポワチエ(1927-2022)について、セシルとルイス親子の評価は2分する。主人公は素直にポワチエの栄誉を讃えるが、息子は彼が白人社会に漬かりすぎて白人の手先になりさがっていると非難する。シドニー・ポワチエと言えば、『野のユリ』(1963)で、黒人初のアカデミー主演男優賞に輝いた名優である。

 

セシルは、同僚の黒人スタッフの昇給と昇進を事務主任に訴えていたが、レーガンの口ききで、ようやく、要求が実現する。それでも、彼は、大統領がアパルトヘイトを実施する南アフリカへの経済制裁に否定的だったことが不満で、執事を辞任する。その後、主人公は息子の抗議活動に賛同し、アパルトヘイトに反対する抗議運動に加わる。彼らは、共に逮捕され投獄されるが、それは親子が分かり合えた至福の時であった。

 

2009年に、ようやく、黒人初の大統領が誕生する。長年の功績から、主人公は新任のオバマとの面談の機会を得る。セシルは、過去にケネディ未亡人から贈られたネクタイやジョンソン大統領から贈られたタイピンを勲章のように誇らしく身につけて、通い慣れた大統領執務室へ向かう。このときの主人公の感慨はいかばかりであったろうか。一年前には妻が病気で亡くなり、息子のルイスは念願の議員の仕事に就いていた。

 

本作のラストで、オバマに面会する前に、鏡に向かって身だしなみを整えているときに、セシルは、その昔、メイナードから教わった白人客との接しかたを思い出す。「相手の目を見て、何が望みか察しろ。」「相手の心を読みとるんだ。」「察して動け。」「振る舞いはボスが微笑むように。」自分を抑えた生きかただが、その我慢強さに敬服する。『大統領の執事の涙』は地味だが、『フォレスト・ガンプ』のように壮大な作品である。

 

筆者は、主人公の執事のように、相手に気を遣いながら、長年、地道に職務を遂行するストーリーが大好きだ。キング牧師は、本作で、「執事も戦士」と評価したが、筆者も同感である。ともすれば、主人公の息子のように、差別と真正面から立ち向かい、抗議運動に終始すると、白人との対立は深まる一方である。主人公のように、白人の顔色を窺い、政治に無関心を装い、時代が変化するのを待つことも、賢い生きかたである。

 

忍耐こそ無血の革命の源泉のように感じられる。人種差別の根強い圧倒的な白人社会のなかで、黒人が中枢にいる施政者の信頼を勝ち得るには、これしかなかった気がする。一方で、積極的な抗議活動も、改革実現の要因になり得るが、他方で、深い思慮と良識にあふれた黒人執事が代々の大統領の目に留まったことが、人種差別をなくす方向に動く一因になったとも考えられる。筆者には、この種の地味な貢献が偉大に映る。

 

ここで、ワンコネタを挟もう。以前に電動爪削りの使用で、優しい衝撃で、ワンコが爪切りをそれほど嫌がらなくなったこと点に言及した。今回は、ワンコの歯磨き問題の一時的な解決について語ろう。新たに購入したビーフ味の練り歯磨きを歯ブラシにつけて、飼主が磨くのではなく、ワンコ自身に磨かせる作戦をとった。といっても、ワンコとしては、歯ブラシを噛んで歯磨きをなめているだけだが。個人の感想である。

 

飼主自身は、ここ数十年来、エビスの歯ブラシ(硬め)と、ナタマメ歯磨き(三和通商)を愛用している。昔、老齢の歯科医師から、硬い歯ブラシでしっかり磨くと、歯茎が丈夫になる話を聞いて、それ以来、筆者も実践している。食後は必ず磨く。歯茎はしっかりしていて、歯槽膿漏になりにくい。スルメでも、干し貝柱でも、自分の歯で噛める。入浴時に硬めのアカスリタオルが癖になるのと同じである。個人の感想である。

 

音楽ネタに移ろう。宝田明の「大学の侍たち」(1957)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にSLOWの指示があったが、スコアメーカーの初期値の60では、遅く感じられたので、84までアップした。岡本敦郎の「人工衛星空を飛ぶ」(1957)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があったが、84では、遅く感じられたため、108までアップした。同じ作曲者(古関裕而)のため、この一貫した対応が望まれた。

 

「人工衛星空を飛ぶ」では、ハプニングが起きた。編集ソフト上で、伴奏ファイルと歌唱ファイルを合わせてみた折に、テンポが合わない。伴奏ファイルは遅く感じられ、歌唱ファイルは速く感じられる。歌唱ファイルも伴奏ファイルもテンポを確認すると、108であった。ところが、電子楽譜をよくみると、譜頭のモデラートの指示がそのままで、これではスコアメーカーのデフォルト値である84で演奏されるはずだ。

 

斎藤京子の「流れのソーラン娘」(1957)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化において、一部の音が正常なかたちで出なかった。「三味をこわきにヨー」「聞いてくれるなヨー」「どこへとぶのかヨー」のヨーのオを並べた小節の一部で、32分音符の3連符で、直後にも32分音符が2連結されている。伴奏部も違和感があり、歌唱部の不自然さが目立っていたが、外見上は問題が見あたらなかったため、現状アップとした。

 

松山恵子の「港の夜風」(1957)では、『歌謡曲全集』の原譜にスローの指示があったが、スコアメーカーのデフォルト値60ではかったるく感じられたため、昭和歌謡のセカンド・スタンダードである84に合わせると、テンポが適正化した。前奏部を2番歌唱と3番歌唱の前でくり返さなくても、標準演奏時間である3分前後は確保できたので、1番歌唱と2番歌唱間の間奏としての前奏部の反復は避けることができた。

 

三橋美智也の「かすりの女と背広の男」(1959)では、『歌謡曲大全集』の原譜の電子楽譜化に問題はなかった。ただ、三橋の曲は息の長い唄いが特徴的で、「北海の終列車」(1959)の時のように、歌三昧の録音には苦戦した。「かすりの女(むすめ)と背広の男」「都と小島に三年すぎた」「浮世の常さと汽笛が鳴った」の箇所は、80~90%の声量で歌おうとすると、息が切れるため、60~70%に抑えて、軽く歌うように心がけた。

 

本曲の作詞は黒田すすむで、横井弘が補作詞を担当している。原詞の状態はわからないので、決定稿との間でどのような異同があるかは不明だが、詞は洒落ている。「小島の鷗も 椿の花も 見て見ぬふりした その涙」「泣き泣きかすり(=かすりの女)は お嫁に行った」「あきらめなされと 南(=南風)が吹いた」「かすりと背広(=かすりの女と背広の男)は また涙」そこでは、ユーモラスな擬人と換喩の使用が効果的である。

 

三田明の「ごめんねチコちゃん」(1964)では、『歌謡曲全集』の原譜に位置の誤植らしきものがあり、原譜どおりの電子楽譜では、正常に演奏できなかった。推移記号to Codaと反復記号の位置がワン・フレーズだけ後ろにズレていたのを修正すると、すべてがうまく行った。テンポはスコアメーカーの初期値120のままで自然だったので、特には動かさなかった。『歌謡曲全集』では、原譜どおりの電子楽譜化が図りにくい。

 

梶光夫の「可愛いあの娘」(1965)と、水前寺清子の「花の都の渡り鳥」(1965)でも、『歌謡曲全集』の原譜どおりだとDSが機能しなかったので、閉じる反復記号の位置までDSをずらしてから、伴奏ファイルを作成し、手作業で不要部をカットした。マヒナスターズ&すずらん姉妹の「オホーツクの海」(1965)でも、to Codaが機能しなかったため、一度記号を除去して、後で、編集ソフトで余分なフレーズを取り除いた。

 

ヒデとロザンナの「粋なうわさ」(1969)では、『歌謡曲全集』の原譜からの電子楽譜の作成において、多少の音配当の手間もあったが、原曲を確認しながら、歌詞の配当の適正化を行った。テンポも昭和歌謡のセカンド・スタンダードである108に設定すると、ほぼ原曲の演奏時間2:45に一致した。コーラスや合いの手の男女分けも原曲に準拠し、一部の重唱箇所については、歌三昧が高音部を、ボカル嬢が低音部を担当した。

 

西田佐知子の「星のナイト・クラブ」(1969)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、歌唱部の主旋律に付くオブリガートの2か所がチェーン型ゴースト4連符をなしていた。実際は16分音符の4連符が3度くり返されるものだが、全てが8分音符の4連符に化していて、それらがすべてチェーンのように絡まっていた。このような複雑なケースでは、オブリガートを消して1から入力しなおしたほうが得策である。

 

なお、西田の本曲では、原譜に「DS後10小節間奏リピートなし」の指示があり、間奏付きのままで、伴奏ファイルを作成してから、編集ソフトで当該箇所をカットした。また、いしだあゆみの「今日からあなたと」(1969)でも、『歌謡曲全集』からの原譜に「DS後8小節間奏リピートなし」の指示があり、同様に、手作業で削除した。いずれも、筒美京平の曲で、発表年も同じということで、同じような構成になっている。

 

ピンキーとキラーズの「星空のロマンス」(1969)では、『歌謡曲全集』の原譜どおりだと、反復記号とダル・セーニョがきちんと機能しなかったため、第2反復記号を外して、代りにコーダを配置し、第1反復記号の前にto Codaを置いた。コーラス部については、原曲を確認の上、二重唱になっている箇所は、歌三昧が高音部を、ボカル嬢が低音部を担当した。高低別になっていない重唱箇所については、そのまま合唱とした。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。