連休は子どもの日前後に、息子夫婦が孫娘を連れて遊びに来た。私たちはワンコと共にいつもの自然公園に出向いた。前回と同じで、丘の上のパーキングは一杯で、少し離れた駐車場でも1台分しか空いていなかった。いつもの長い階段をあがり、広場の先にある遊具の置かれた場所まで行くと、そこは似たような子連れの若夫婦でいっぱいだった。それにしてもここだけ見ていると、日本の人口が減っているようにはみえない。

 

丘の上の広場に着くなり、ワンコがウンチを落とした。公園での犬糞の持ち帰りはマナーになっており、私たちはそれに従っているが、飼主によっては、公園のゴミ箱に捨てるのを厭わない人も少なくない。ウンチは生ゴミに近いから、「なんでゴミ箱に捨てちゃいけないの?」と、疑問に思う合理的な飼主もいる。公園のトイレに流すのは推奨する自治体もあるようで、詰まらせるような流しかたでなければ、問題はない。

 

ウンチネタを続けよう。3歳の孫娘もウンチを連呼するようになった。もちろん、便意を知らせる発言ではなく、排泄物のことを口にするのが楽しい時期ということだ。娘が可愛くて仕方のない息子は、彼女に怒るのをみたことがない。そんな彼に甘えて、孫娘は何かにつけ、「パパ、ウンチ」とこき下ろす。「今はプリンセスよりもウンコ」の時期と筆者が言うと、家内はさっそく、3~4歳用の『ウンコ・ドリル』を買って来た。

 

今週は流行り風邪らしきものが筆者を襲った。症状は、微熱、悪寒、頭痛、関節痛、筋肉痛、胃腸の不調、全身の倦怠感と数えきれない。熱は高くないため、自宅で栄養補給と静養に努めている。回復しないようなら、病院に行こう。室内ランについては、初回の60分(通し)の際に、すでに症状が出ていたせいか、30分でギブアップした。通常は我慢できる尿意が、10分毎にトイレ中断になるため、落ち着いて運動できなかった。

 

症状は続いており、倦怠感のせいで、電子楽譜の作成やブログ書きに集中できない。そんなわけで、大事をとって、また2週間ほど、新規の曲のアップやブログ書きを休ませてもらう。次回の新規の曲のアップは5月31日(金)からで、ブログの再開は6月2日(日)を予定している。なお、アコーディオン演奏のみのアップは、負担が軽いため、通常どおり行う。日頃、応援いただいた方には感謝申し上げる。

 

運動時に映画を観る余裕はなかったが、症状がまだ軽かった時点で、NHKBS放送分の録画による『マイ・フェア・レディ』(1964)を観返した。前回、『恋の手ほどき』(1958)の完成度の高さを再認識した関係で、再度、本作に向かうのは必然であった。若い時分に観たときは、生まれ変わったオードリーの艶やかさにばかり目が行っていたが、今回は、コックニー方言を使うイライザや、音声学者のヒギンズ教授に目を向けた。

 

イライザ役のオードリー・ヘプバーン(1929-93)は35歳、ヒギンズ教授役のレックス・ハリソン(1908-90)は56歳時の作品である。24歳時に『ローマの休日』(1953)で若きアン王女を演じたオードリーも汚れ役を演じきれる齢に達していた。本作の舞台版で当たり役となった『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)のジュリー・アンドリュース(1935-)と比べられるのを嫌って、オードリーは一度は出演を断ったようだ。引き受けて正解だった。

 

レックスは、役柄も外見も、往年の三船敏郎のような男っぽい風貌をしている。男性優位の価値観が渦巻く本作だが、女性ならではの結束もある。ヒギンズの母親は社交界を仕切る老貴婦人で、息子が連れてきた庶民の娘を毛嫌いしてもよさそうだが、彼女は、イライザには好意的で、最後には息子との仲もとりもつ。「なぜ女は男のように振舞えない。」とイライザに憤る息子の頭の固さをたしなめ、陰でイライザの力になる。

 

英語純化論者のヒギンズは、各地の英語方言を録音、収集して、独自に音声記号化していた。友人のピカリング大佐も、当時でも百数十はあると言われたインドの諸言語を研究していた。今は、方言は言語を豊かにするという考え方が優勢で、OED(『オックスフォード英語大辞典』)と三省堂の『言語学大辞典』の熱心な信者である筆者には、動機はともあれ、ヒギンズの研究は、有意義なものであったように思われる。

 

作中では、ヒロインのイライザのコックニー方言を矯正するために、それぞれ5つの重母音と6つの[h]音を含む母音押韻と頭韻法の詩句が活用される。ひとつは、“The rain in Spain stays mainly in the plain.” 「スペインの雨は主に平野に降る。」であり、もうひとつは、“In Hertford, Hereford, and Hampshire, hurricanes hardly ever happen.”「ートフォードやレフォードやンプシャーではリケーンはとんど生しない。」である。このように、後者は、訳文でも頭韻効果を発揮できる。

 

コックニー方言では、[eɪ]が[aɪ]になるなど、重母音の独特な崩れに特徴があり、まずはその発音矯正に詩文を利用する。また、同方言では、[h]音は無音化する傾向にあり、語頭に[h]音を含む語を並べてうまく発音できない彼女に練習させる。実際、イライザは、ヘンリー・ヒギンズを何度もエンリー・イギンズと発音する。英語を代表する音声である歯摩擦音[θ][ð]も唇歯摩擦音の[f][v]に置き換えられたりするようだ。

 

本作へのオマージュについては、今回は、倦怠感のため、ここまでしか書けなかった。頭も少し朦朧としているので、心なしかまとまりがないように思える。『マイ・フェア・レディ』は間にインターミッションを含む、3時間を超える大作で、しかも緻密な構成をもっているため、ここで終わっては不完全燃焼になる。そこで、中心人物たちの印象に残る台詞や、ミュージカル・ナンバーへの言及については、次回に回そう。

 

電子楽譜ネタに移ろう。伊藤久男、松原操、松平晃の「歌で暮せば」(1939)は、同年の松竹映画『純情二重奏』の主題歌で、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にはFox Trotの指示があった。Fox Trotとは、元々、トロットが馬の速歩を意味する語で、音楽用語としても、1910年代に流行った社交ダンスのステップで、通常の人が歩くスピードより少し速いテンポで二人が踊るための4分の4拍子または2分の2拍子の曲を言う。

 

ディック・ミネの「雨の夜の喫茶店」(1939)では、『歌謡曲全集』の原譜からの電子楽譜の作成において、原曲の確認がとれず、テンポと曲の構成は、一般的な想定に従った。テンポについては、一般的な演奏時間の3分から3分半に鑑み、4分の2拍子で無点32分音符やその3連符がけっこう見られることから、かなりスローであると考え、84から始めて、通常の昭和歌謡の最低ラインである56まで下げると、落ち着いた。

 

コロムビア・ローズの「慕情の香港」(1960)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にはスローの指示があったが、デフォルトの60では遅く感じられたため、84にテンポ・アップした。すると、演奏時間は2分強になったので、曲の構成を考え直してみた。歌詞は2番までなので、反復記号とDSを使って、1番歌唱と2番歌唱のあいだに、1番分の無歌唱の演奏部を入れ、演奏時間を標準の範囲の3分強に延ばした。

 

森山加代子の「じんじろげ」(1961)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、歌唱部の主旋律のフェルマータの付いた2分音符の後のフレーズ群が、間延びしたため、頭にア・テンポを付けた。同じような箇所がもう一つあって、そちらには最初からフレーズ頭にア・テンポが付いていたため、誤植だと判断した。ほかにも、譜末のフレーズで、3休符の音長が合わない箇所があり、1つ減らした。

 

前回アップのこまどり姉妹の「未練ごころ」(1962)でも、『歌謡曲大全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、1番歌唱と2番歌唱の間の間奏部のオブリガートの一部にゴースト3連符がみられた。西郷輝彦の「星娘」(1965)でも、『歌謡曲大全集』の原譜の電子楽譜の作成において、主旋律の一部にゴースト3連符が見つかっている。単純なゴーストの登場には驚かないが、発生頻度などを確認する意味で、一応、記録している。

 

橋幸夫の「恋と涙の太陽」(1966)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があったが、テンポ84でも、108でも遅すぎて話にならなかったため、120から上げてゆき、原曲の3分弱の演奏時間に合わせると、150までアップすることになった。メキシコのマリアッチから派生し、60年代のアメリカで流行した軽快なリズム(アメリアッチ)が絡んでいるとはいえ、モデラートの中くらいはテンポの幅がありすぎる。

 

加山雄三の「霧雨の舗道」(1966)でも、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にモデラートの指示があったが、84も108でも遅かった。電子楽譜における曲の構成は原曲と大きく変わらなかったので、原曲の演奏時間2:15に合わせると、135までアップした。120も試したが、一部の音符の繋がりに滑らかさが失われていたため、当該箇所を原譜のままで演奏する場合は、不自然さが目立たなくなるまでアップする必要があった。

 

こまどり姉妹の「こんにちは人生」(1966)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化において、原譜どおりだと、to CodaとDCが機能しなかったため、前者を取り払い、後者の位置を閉じる反復記号の箇所までずらして、発生した複数の不要部については、原曲の演奏時間を考慮しながら、フレーズ単位で、手作業で削除した。多数の強め記号については、ソフト音源で効果が感じられないため、やむを得ず割愛した。

 

弘田三枝子の「恋はノン・ストップ」(1966)では、『歌謡曲全集』の原譜からの電子楽譜化において、2番歌詞と3番歌詞の音配当を1番歌詞に対応させるのに手間取った。また、1番歌詞の音配当についても、一部に、不自然な箇所があり、滑らかな歌唱をめざして調整した。さらには、「恋のノン・ストップ」だけに、ボーカル音源による電子楽譜の演奏でも、無点2分音符の細かい暴走が相次いだ。手作業で調整した。

 

リズムの関係で無点2分音符に2つの五十音が割り当てられる箇所も多く、2つが離れて発声されることを懸念したが、大きな違和感は生じなかった。原譜の譜頭にはFastの指示があり、速めなのは理解できるが、どれくらいのテンポにするかは難しく、曲の構成はさておき、原曲の演奏時間3分弱?を目安にせざるを得なかった。結局、170に落ち着いたが、違和感があれば、再アップだ。意外と曲調が暗い。不亦楽乎。

 

森進一の「女の波止場」(1967)では、『歌謡曲全集』の原譜のキーであるト長調では前奏の高音部が高くなりすぎて(G5)、電子楽譜によるアコーディオン音源の高音域の一部の音符の無音化が予想されたため、当初、5度下げ(ニ長調)を行った。ところが、今度は、低音域に無音化が発生したため、2度下げ(ヘ長調)に変更した。1音下げ程度の移調だと、原曲の雰囲気は保たれるため、やや歌いにくいが、仕方があるまい。

 

加賀城みゆきの「あの人の船が来る」(1967)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、前奏と間奏の一部の主旋律に付くオブリガートの音長が合わない箇所があり、いろいろ試したが、演奏しても不自然さが残るため、当該フレーズ内のオブリガートをすべて取り払った。音符の密集フレーズで、アコーディオン音源では、元から、音ががちゃがちゃしていて、ボーカル音源による演奏の妨げになると考えた。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。