最近は、ありがたいことに、電子楽譜化の作業が楽しく、在職時と同じくらい、時の経つのが早く、絶対的に時間が足りなく感じている。今回は、充電期間の確保の意味で、ブログと新規の曲のアップを丸2週分お休みする。日頃、ブログやユーチューブでご贔屓いただいた方には感謝申し上げる。次回のアップは、4月26日と28日を、ブログは28日を予定している。アコーディオン演奏のみのアップは、お休み期間中も、通常どおり行うつもりである。このノンビリズムが、筆者には性に合っているようだ。

 

3月末から夏の陽気が続いた。自毛の分厚いコートを着たワンコも舌呼吸の機会が多くなり、散歩で暑そうと言われたこともあって、異例のサマー・カットに踏み切った。犬は人より体温が高めである。入念な毛づくろいを実施すると、表面はきれいに整っていても、奥はもつれが目立つ。ワンコの毛並みが世の中の裏表の真理を示しているかのようだ。丹念にもつれを解くが、どうしても解けない箇所は、ハサミでカットする。

 

今週の室内ランは、先週に引き続き、60分(通し)×3回(L4)になった。同じ1時間の通しでもきつく感じるときもあれば楽に感じるときもある。比較的すっきり目覚めた朝は足取りも軽いが、疲れがとれない朝は身体が重い。とにかく、トイレが近くて困る。そんなときでも、プチ昼寝をしてからランニングに臨むと調子が戻ることもある。運動時の映画も、近頃は、調子に応じて、少しずつ分けて鑑賞するようにしている。

 

今週の運動時の映画は、ペナント・レースが始まったこともあり、いつものNHKBS録画分でロバート・レッドフォード(1936-)の『ナチュラル』(1984)を観た。レッドフォードと言うと、『明日に向って撃て』(1969)、『夕陽に向って走れ』(1969)、『スティング』(1973)、『華麗なるギャツビー』(1974)など、1960年代後半から70年代前半にかけて作られた作品は観ているが、野球映画は苦手で本作は観ていなかった。

 

原題のThe Naturalは「天才」の意味である。原作はB.マラマッドの同名小説(1952)で、舞台は1920年代から30年代のアメリカである。主人公ロイのモデルは、1919年のワールドシリーズで八百長事件に巻き込まれ、球界を永久追放された一人で、シューレス・ジョーの愛称で知られるジョー・ジャクソンとされる。ケヴィン・コスナーの『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)にもジョーらは無念の亡霊として登場する。

 

シカゴ・カブスと契約に漕ぎつけたものの、銃撃事件に巻き込まれて、16年間、プロ入りがかなわなかったロイ・ホッブス(レッドフォード)が、35歳で奇跡の新人としてニューヨーク・ナイツで復活する姿を描く。手作りバットで本塁打を量産したり、強い打球が縫い目から裂けて中身の紐玉が飛び出たり、球場の壁に右翼手が激突して壁が大破したりと、時代が時代だけに、全てが古式ゆかしいが、そこがレトロで新鮮である。

 

ロイは、雷に打たれた木を切って手製のバットを作り、ワンダー・ボーイの銘とサンダー・マークを刻む。後に、この稲妻マークはロイへの敬意から所属するニューヨーク・ナイツの全員が肩章のように身に付けることになる。また、彼は、特製バットを欲しがる球団の雑務手伝いの少年のために、バット作りを伝授する。このバットも裂けたワンダー・ボーイに代り最後の仕事に一役買う。木の時代の温もりが感じられる。

 

冒頭では、少年ロイが父親の指導で投球をくり返している。父親が鶏小屋の壁に的を描き、ロイがそこをめがけて速球を投げると、板壁は小さく割れて砕ける。後半には、右翼手が捕球動作で球場の壁に激突した際も、板壁は大きく割れて砕ける。ロイがホームランを打つたびに、何かが壊れる印象がある。ボールやバットはもちろんのこと、球場の大時計、マスコミ席のガラス窓、最後に、ナイター照明と、枚挙に遑がない。

 

これだけ破壊シーンが続くと、派手な演出に深い意味を感じずにはおかない。これらは八百長で腐りきった球界への無言の抗議、激しい怒りの表現と映る。実際、ロイは、ナイツの監督や球団オーナーの判事、賭博の元締めに対しても容赦ない。試合に負け続ける選手たちに催眠療法を取り入れる監督は、講師の話を聞かずに部屋から出てゆくロイに二軍落ちを命じるが、自分は野球をしに来たのだと言って聞く耳をもたない。

 

オーナーは、話があると、ロイを自室に呼び出す。そこは、灯りもつけず、ブラインドを閉ざした暗室状態で、隙間から漏れるわずかな外光も逆光となって判事の顔はよく見えない。彼は「昔は闇が苦手であったが、今は光が苦手だ。」と意味深長な話をする。判事は大幅な年収アップの契約更改を提示するが、ロイは誘いを一蹴し、わざわざ部屋のライトをつけて出て行く。判事は光を忌み嫌うドラキュラのようにまぶしがる。

 

ロイは、スポーツ記者の仲介で、賭博胴元のガスとも会う。ガスは、自分には心眼があって、1ドル以内の誤差でロイの懐の金額を当てると言う。10ドルと予測し、100ドルを賭ける。ポケットには1ドル札が8枚あった。「硬貨は?」とガス。足して10ドル。ガスは得意の表情を浮かべる。ロイはあっさり負けを認める。ところが、ロイは、横に座っていた女性の背後から、手品のように1ドル銀貨を2枚取り出してみせる。

 

何でも賭けないと気が済まない風潮がなくならない限り、スポーツ界は浄化されない。例の通訳問題でも、日本は大谷に好意的だが、アメリカでは大谷に批判的な意見も多い。この違いはメジャーリーグの闇の大きさを物語る。ホワイトソックスの8名が八百長に関わったとして永久追放された1919年のブラックソックス事件の存在が大きい。今でも、野球選手が野球賭博にかかわると、処分が重いのは、この戒めである。

 

本作に色を添えるのは、ロイを取り巻く三人の神秘的な女性である。一人目は謎の女性ハリエット(バーバラ・ハーシー)で、二人目はナイツの監督の姪で、試合中に壁に激突して死んだ右翼手の愛人であったメモ(キム・ベイシンガー)、三人目は幼なじみのアイリス(グレン・クローズ)である。三人の女性はいずれも謎めいており、アガサ・クリスティーのミステリー作品でも観ているかのように、何かと胸が騒ぐ。

 

カブスと契約したロイは、ホテルの部屋にいたハリエットにいきなり銀の銃弾で胸を撃たれて生死の境をさまよう。直前にはスポーツ選手への相次ぐ銃撃事件を報じる記事による伏線もあった。彼女はロイのトラウマになり夢にも現れる。後に、ロイは、事件を調べた記者から直後の二人の倒れた写真を見せられ、脅迫のネタにされるが、彼女は自分を撃ったあと自殺したのだと語る。ロイは最後まで謎の女性と銀の銃弾に苦しむ。

 

ナイツに復帰後のロイは、右翼手のバンプ・ベイリーが激突事故で亡くなり、すぐに正右翼手のポジションを得る。このベイリーの愛人であった女性がナイツのポップ監督の姪にあたるメモで、ベイリー亡きあと、メモは急速にロイに接近する。彼女の背後にはパトロンとなった闇の元締めのガスがいる。姪と付き合う者は不幸になるとポップは警告するが、ロイは既に魔性の女の虜となっている。ロイに長いスランプが訪れる。

 

グレン・クローズ(1947-)の本作での実年齢は37歳で、改めて観ると、『危険な情事』(1987)の怪演もチラついて、ミステリー色は一気に高まる。それでも、アイリスだけは幸運の女神で、長い打撃不振に陥ったロイを奮い立たせる。最後も、球場で応援する彼女からの衝撃的な告白メモを読んで、ロイは力を振り絞り、ナイター照明に着弾の特大ホームランを放つ。砕けたライトの火花は花火のように何度もロイを祝福する。

 

音楽ネタに移ろう。大津美子の「銀座の蝶」(1958)と青木光一の「ふるさと列車」(1958)とは、『歌謡曲大全集』の見返りにある譜面同士で、以前にも言及したように、それは、本書の編集方針に鑑み、この2曲がヒット性などにおいて同レベルの曲であることを予想させる。実際、両曲とも当時のヒット曲らしく、メロディーの一部はかすかに幼時の筆者の耳に残っていたものの、曲名や歌手名は最後まで思い出せなかった。

 

メロディーをかろうじて覚えていたのは、両曲の歌唱冒頭である「ほこりまみれの巷の夕陽 ビルにかくれりゃ灯がともる[...]すがって泣いちゃ[...]」「ふるさとへふるさとへ 汽笛鳴らして汽車は行く」の箇所である。多少、聴き覚えがあるものの、これらは、筆者にとっての青春歌謡ではない。この頃の曲で筆者がメロディーを最後まで覚えているのは、子ども向けのテレビドラマかアニメの主題歌ぐらいである。

 

いずれにせよ、記憶の奥底に追いやられている昭和歌謡を手当たり次第に電子楽譜化する醍醐味はここにある。曲名や歌手名を聞いても、未知の曲にしかみえなかったものが、電子楽譜化をとおして、全ての伴奏やメロディーやボーカルが忘却の流れに逆らって蘇る。これは掛け替えのない体験だ。プルーストの「無意志的記憶」にも匹敵する至高の瞬間である。この時代に生きていてよかったと思える歓喜の時間である。

 

フランク永井の「公園の手品師」(1958)では、『歌謡曲大全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、キノコ型ゴースト3連符が生成された。譜面では、オブリガートの一部をなす2個の無点8分音符が、主旋律の一部をなす1個の無点4分音符の上に挟むかたちで、8分音符のゴースト3連符に変化していて、真ん中の8分音符を原譜どおりに4分音符に戻すと、残りの2音符となった連符がゴースト4連符化した。不亦楽乎。

 

スリー・キャッツの「三本のバナナ」(1960)では、『歌謡曲全集』の不完全な原譜で、原曲確認もできず、曲の構成やテンポは一般的な類推に頼らざるを得なかった。歌唱用の主旋律に4小節ほどの短い前奏が付いただけのシンプルな譜面で、3番歌唱まである。2番歌唱と3番歌唱の前でも前奏をくり返す構成をとった。テンポについては、昭和歌謡のスタンダードの84では遅すぎ、セカンド・スタンダードの108に設定した。

 

松尾和子の「天使も恋をするかしら」(1960)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、伴奏ファイルと歌唱ファイルとの間に不一致がみられた。譜頭にはモデラートの指示があって、テンポ84に合わせた。歌唱部を作成するときは、異音が混じらないように、主旋律に付くオブリガートを全て外している。伴奏部は助奏も入れるため、一部の小節で音長の異なりがみられた場合、こんな不具合が生じるのではないか。

 

そこで、歌唱ファイルの作成では、主旋律のオブリガートを温存したまま、音だけプロパティーで無音化した。助奏部の音符が多いため、けっこう面倒な作業になった。作業を終えて、ボーカル音源による演奏をさせてみると、また、問題が発生した。一部のフレーズに不純な音が混じったため、都合3小節だけ、やむを得ず、オブリガートを外した。もし、その箇所が不一致の元凶であれば、アウトである。結果はどうか。

 

今度はうまく行った。原因は、オブリガートの1音符に付いたフェルマータの影響であった。フェルマータは当該音を「程よく伸ばす」意味がある。この「程よく」が曲者で、オブリガートの1音であっても、フレーズ内の音長を例外的に変化させる。歌唱ファイル作成に際して、この1音を記号ごと取り除いたために、その分だけ、当該フレーズ内の音長が伴奏部の同一フレーズより短くなったからであった。不亦楽乎。

 

藤正樹の「忍ぶ雨」(1973)では、『歌謡曲大全集』の原譜に主旋律の誤植がみられた。「いしだん」「みれんを」「うらんで」のイ、ミ、ウにあてられた音が1音高くなっていた。藤正樹(1957-)と言えば、「スター誕生」で美川憲一の「新潟ブルース」(1967)を歌って、第6回(1973)のグランドチャンピオンに輝いた人物で、その後、15歳の歌手デビューを果たした。「忍ぶ雨」は美川が歌っても似合いそうな曲である。

 

岡林信康の「山谷ブルース」(1968)では、『歌謡曲大全集』の原譜からの電子楽譜作成に大きな問題はなかった。ただ、メロディーは単調だが、1番歌唱から5番歌唱まで延々と続く感じで、意外と、歌三昧の録音に手間取った。各番手の歌唱末を伸ばすと伸ばし過ぎになり、縮めると次番手の歌唱頭まで間が空いてしまう。この辺のさじ加減が難しい。結局、全体を5つに分けて、1番歌唱分ずつ録音せざるを得なかった。

 

新谷のり子の「フランシーヌの場合」(1969)では、「フランシーヌ」が8回登場する。原語はFrancineで、パリを含む北フランス特有のル[ʁ]音と鼻母音を含むFran-の発音の再現はともかく、新谷は、フランスィーヌと発音している。フランス語では、chiの綴り字ならシ[ʃi]だが、ciはスィ[si]である。そこで、『歌謡曲大全集』の原譜に記載の「フランシーヌ」は、電子楽譜上では、すべて「フランスィーヌ」に変えた。

 

末筆ながら、台湾東沖地震で亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、負傷された方々や被災された方々にはお見舞い申し上げる。台湾に近い沖縄の島々に津波警報が発せられたときから、震源は台湾ということで、沖縄もさることながら、台湾の被害を心配していた。ただ、日本同様、地震の巣のような土地がら、発生後の報道では非常時の対応が迅速で行き届いているように思われた。日本も、見習いたいものである。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。