今週の室内ランも、先週と同じ、30分→60分→90分のミニ漸増式(L4)に終始した。先週から、つま先走りを意識し出したため、さっそく、普段は積極的に使っていない腓腹筋の下部に筋肉痛が出ている。つま先走りに慣れてきたら、重心を内に移して、足の親指の付け根寄りに軸足の加重をかけようと考えている。がに股気味のせいか、靴を履いて歩いていても、靴底が内向きにクリンとなって、足首を捻挫しやすい。

 

先週末に、息子夫婦が孫娘を連れて拙宅を訪れた。幼稚園の年少保育で、人慣れしたせいか、活発に室内を跳ね回る。ユーチューブから流れる幼児向けの曲に合わせて片言で歌い踊る。「ブギウギ」のミニ・ミュージカルのように家族は観客として楽しめる。第一ステージはルーム・ランナーの床上で、第二ステージはソファー上である。たまに、勢い余って、ソファーから転がり落ちるが、体重が軽いため、大事にはならない。

 

その間、ワンコは、吠えることもなく、大人しくしている。ブンブン唸る掃除機にはワンワン吠えたてるのに、キャーキャー騒ぐ孫娘には、ウンともスンとも言わない。息子夫婦も家内も、存在感を消した静かなワンコに、「どうしたの?」と声をかけるほどである。以前、知人宅を訪問した際に、物知り顔の老犬がいて、ノソノソ動いたりはするが、無音で無表情だったのを思い出した。老犬には、人間社会の理屈がわかるのか。

 

孫娘は、トレッドミルの横に置いた水分補給後のペットボトルを並べてボーリングをした時期もあったが、現在は、本来の使いかたにも気がついたせいか、手の届かない位置にある操作パネルを指差して、ルーム・ランナーを動かせと言ってくる。しかし、自分で勝手に動かすと怖いので、ある程度、成長するまで、操作法は見せないようにしている。最高速度は20km/hまで設定できるため、壁に激突も予想されるからである。

 

彼らが来たときは、できるだけ、オムライスやトンカツなど手料理でもてなすようにしていたが、以前に言及したように、味覚障害がコロナの後遺症として残っていて、甘味はともかく、塩味を敏感に感じるようになり、料理は何を作っても、極力、薄味になった。これは、今後、腎臓に負担のかかる塩分を控えることにつながるので、個人的にはむしろ喜ばしいことだが、孫や若夫婦に手料理をふるまうには、支障がある。

 

今は亡き祖母も、お祖母ちゃん子である筆者の若い頃は、若者が喜ぶような味付けで、料理や弁当を作ってくれたものだが、晩年には、たとえば、彼女の味噌汁は、塩分制限のせいか、味噌風味のお湯になっていた。祖母は別にコロナで亡くなったわけではないが、筆者も、もはや、若者の喜ぶような味付けができなくなったようだ。そんなわけで、今回から、夕食は、家内の手料理のほかは、焼肉、寿司などの外食に切り替えた。

 

週明けの「ブギウギ」(第24週「ものごっついええ子や」)では、梅吉との永遠の別れを描いた先週の暗いムードを吹き飛ばすような、善一の2000曲記念パーティーでの、参加者全員ではじける様子が伝えられた。日頃はぶっきらぼうなりつ子までサプライズでラインダンスに参加させられ、盛り上がりは最高潮に達した。ドラマは後2週程で終了するが、「終わりよければすべてよし」で、最終回もこんな風に終わってほしいものだ。

 

笠置シヅ子の「ジャングル・ブギ」(1948)がドラマで登場したときから、笠置も出演し、本曲の歌と踊りを披露している、黒澤明の『酔いどれ天使』(1948)の存在が気になっていた。この度、DVDを取り寄せて、運動時に観てみた。三船敏郎(1920-97)が新人の頃の作品なので、もちろん、筆者の世代の映画ではない。筆者にとっては、「ブギウギ」のドラマがなかったら、おそらく、観る機会のなかった作品である。

 

主演は『生きる』(1952)の志村喬(1905-82)で、口は悪いが、実直な飲んだくれ医師真田の役である。周囲の者に悪態をついても、志村の顔から滲み出る人柄の好さが感じられ、悪人には見えない。三船は戦後の闇市を牛耳る若頭の松永を演じる。惜しむらくは、三船の吐き捨てるような押しの利いた台詞が早口で聴き取りにくいため、会話の流れを正確に把握するためには、邦画ではあるが、日本語字幕が欠かせない。

 

タイトルの「酔いどれ天使」は「飲んだくれ先生」と結びつかないが、主人公の真田医師を指すようである。「酔いどれ」は、アルコール依存の中年男性を思わせるが、「天使」は、「白衣の天使」のように、若い女性の看護師を思わせる。対照的な2語をぶつけるオクシモロン(撞着語法)的な命名で、表現的な言い回しだ。真田自身、松永に、「やくざの命まで助けようとする自分は、まさに、酔いどれ天使」だと言い放つ。

 

終戦直後の腐った社会を象徴するような闇市前の澱んだ沼地の描写のあと、真田が、ピストルで手を撃たれた松永の傷の手当をする場面から映画は始まる。その後の診断で、松永の結核が判明し、真田は、本人の前では毒舌を吐きながらも、使命感からなんとか彼の命を救ってやりたいと思う。この男気の出しかたは、同じ黒澤の医師ものである『赤ひげ』(1965)に通じるものである。『酔いどれ天使』は『赤ひげ』の原点だ。

 

笠置は、ブギを歌う女の役で、キャバレーのステージで「ジャングル・ブギ」を歌い踊るだけの出演であったが、本物の笠置の当時の歌いかたや踊りぶりの一端を垣間見ることができた。三船が若いのにも恐れ入ったが、TBS系のテレビドラマ「それぞれの秋」(1973)で、小林桂樹の妻、林隆三や小倉一郎の母を演じた久我美子(1931-)がセーラー服姿の女学生役で登場するのはそれにも増して新鮮であった。不亦楽乎。

 

電子楽譜ネタに移ろう。霧島昇と小川静江の「サム・サンデー・モーニング」(1950)では、『歌謡曲大全集』の原譜の電子楽譜化に破綻はなかったが、最後の最後で、ボーカル音源による歌唱部のファイルで、促音のッが通常の五十音のツになっているのに気がついて、歌唱部の作り直しを迫られた。本曲はデュエット曲ということで、歌三昧とボカル嬢の共唱にしているのだが、問題の箇所は、ボカル嬢の担当箇所であった。

 

石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」(1958)は、石原のドラムを叩きながらの歌唱や長台詞が肝の曲のため、ドラムの演奏がないと寂しく間がもたない。それでもあえて、アコーディオン音源による伴奏と、歌三昧の歌唱と台詞で本曲に挑戦してみた。早口の長台詞は、1番歌唱と2番歌唱、また、2番歌唱と3番歌唱のあいだで、くり返される。長台詞を口にしている間は長い無伴奏時間が続き、伴奏部との間の調整が難しかった。

 

三沢あけみの「南国の花」(1965)では、当初、タイトルを見てもどのような曲か忘れていたが、電子楽譜化に伴い、アコーディオン伴奏やボーカル音源による歌唱を耳にするうちに、代表曲の「島のブルース」(1963)同様、聴き覚えのある曲であることがわかってきた。ただし、『歌謡曲大全集』の原譜はハ長調だが、高音寄りの歌唱になるため、ト長調へ5度下げを行った。それでも、三沢の歌唱よりキーが高い感じがする。

 

先週アップの北島三郎の「浪人独り旅」(1965)と「浪人まかり通る」(1969)に続いて、今週は「素浪人 月影兵庫」と「素浪人 花山大吉」で焼津の半次を演じる品川隆二の「風来坊笠」(1969)についても、アップしてみた。この2作品は筆者の永遠のお気に入りで、寝る前に、くり返し観直している。どちらもコミカルな時代劇だが、剣豪ドラマとしてみた場合、筋の凝っているのは、初期の「月影兵庫」のほうである。

 

なかでも、特に、印象に残っているのは、第一シリーズの第七話「赤鞘だけが知っていた」である。筋は、DVDボックスのパンフレットによれば、「ある宿場町を訪れた兵庫に、見知らぬ浪人が勝負を挑んで来た。その気のない兵庫だが、斬りかかってきたため、仕方なく斬り捨てる。その浪人は関口五人兄弟の末弟・万五郎だった。悪名高き道場荒らしとして知られる兄弟は兵庫に果たし状を突き付けた。」とある。

 

面白いのは、十剣無刀流の達人であるはずの兵庫が、兄弟の挑戦をまったく相手にせず、突き付けられた果たし状を物ともせずに、逃げの一手を決め込む点である。兵庫は、道中で、造りは立派だが寂れた道場を見かねて、場所を借りて剣術指南をする。奇しくも、そこは、かつて関口五兄弟に道場破りをされた道場であった。道場の跡取り息子は、子どもながら、関口兄弟に戦いを挑むために、兵庫から剣術を習う。

 

そこへ、兵庫の噂を聞きつけた兄弟が道場に来る。その話を聞いて、跡取り息子には戻ると言っていたのに、兵庫は、道場になかなか顔を見せようとしない。飲み屋で兵庫を見つけた焼津の半次は、兄弟から逃げてばかりの兵庫に愛想が尽きた風で、逃げる理由を尋ねると、勝負に敗れるかもしれないといった弱音を兵庫は漏らした。兄弟は槍と刀と小柄と鎖鎌の達人で、一気にかかって来られると、さすがの兵庫でもかなわない。

 

その後、跡取り息子が連れ去られたとの一報を受けて、兵庫はやむなく、道場へ向かう。こうして、兵庫は四兄弟と一戦を交えるが、そこでも、四人を一度に相手にしないで済むように、細い路地裏に逃げ込む。一人ずつ倒す作戦のようだ。それでも兵庫はやられそうになるが、半次の助けで、なんとか関口兄弟を倒す。こんなよくできた時代劇があったろうか。45分に満たない時間的な制約のなかで、見事な起承転結である。

 

田端義夫の「十九の春」(1971)では、歌詞の内容から、本来は、若くして嫁いだ女性側の気持ちを吐露した曲ということで、ボーカル音源に歌唱部を演奏してもらおうと考えた。実際、アップ用のMP4ファイル「ボカル嬢の『十九の春』(簡易伴奏入り)」まで作成したが、同じ田端の「島育ち」(1962)のように、本曲にも馴染みと愛着があるため、途中で、筆者自ら歌いたくなり、歌三昧の歌唱でのアップに切り換えた。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。