ドイツの統計調査会社Statistaによれば、2018年現在で、世界には飼犬がおよそ4.71億頭、飼猫が3.73億頭いるらしい(数値はStatistaのサイトによる)。そんなわけで、最近のロイヤル・カナンの餌の多様性には目をみはるものがある。当社のサイトを覗くと、いつの間にか、公式限定で、ビション・フリーゼの成犬〜高齢犬専用フードまで売りに出されていた。今の餌がなくなり次第、こちらも試してみるつもりである。

 

うちのワンコは、結石体質と肥満体質のため、治癒後も、かかりつけの獣医師の指示で、ロイヤル・カナンのユリナリーS/Oタイプ(満腹感サポート付き)を摂取している。ところが、前に一度、ユーザーIDやパスワードの関係で、獣医師登録された専用サイトに入れないことがあった。通常サイトでもユリナリーS/Oタイプは販売していたが、満腹感サポート付きはなかったため、結石予防を優先して、本製品を購入した。

 

いつも、8kgの大袋を買っているが、価格は、満腹感サポート付きと比べて8,000円ほど安かった。専用サイトから購入のものはフランス本国製であったが、通常サイトのは韓国製であった。韓国製を悪く言うつもりはないが、口コミで韓国製を不安視する声もあり、気になった。その後、専用サイトにアクセスできたため、満腹感サポート付きを8kg購入した。これから老犬期に向うこともあり、お金をケチらないことにした。

 

ロイヤル・カナン側は、サイトで、「製品はすべて本社のあるフランスで開発されており、世界のどこで製造されても同じ規格が適用され、製品特性が変わることは」ないと語り、問題の韓国製品についても、「ロイヤル・カナン韓国工場は、世界中にあるロイヤル・カナン工場のすべての知見や経験を基につくられた最新の工場で」あると言明している。クレームも多いのだろうが、うちのワンコにはロイヤル・カナンしかない。

 

今週の室内ランは、予告どおり、漸増式のメニューで実施した。ただし、以前に指摘した大腿右裏の違和感が残っていたため、無理をせず、30分→60分→90分(L4)の週3回のミニ漸増式に従った。1時間までは何ともないが、90分を超えると、右臀部に凝りが出てくる。かといって、長時間、運動しないでパソコンに向かって作業を続けていると、血流が悪くなり、頸や肩が凝る。そんなわけで、負荷の微調整は欠かせない。

 

新たに、ランニングの際に、つま先を意識しだした。若い頃はこれという運動をしなかったせいか、土踏まずが未発達で、べた足に近かった。その昔、牛馬が未舗装道路を闊歩していた頃に、迷信で、牛の糞を踏むと足が遅くなり、馬の糞を踏むと足が速くなると、言われていたのを思い出した。つま先走りを意識すると、バネが利いて、スピードが楽に出るような気がする。ただし、意識しなくなると、元の走りかたに戻る。

 

今週の運動時は、餌の話から、ワンコが主役の映画が観たくなり、『南極物語』(1983)と『僕のワンダフル・ライフ』(2017)を観返した。2作に共通するキーワードは過酷な境遇である。いずれも、筆者には、涙腺がゆるみ、鼻が充血して詰まる作品で、観返すには覚悟がいる。この種の作品を鑑賞するには、心拍数があがり、血流も増加し、血管が広がって、血圧もさがり、血行がよくなる中強度の負荷の運動時が一番である。

 

『南極物語』では、置き去りにされた樺太犬の死にざまに胸が痛む。タロ・ジロを庇うリキや、流氷と共に流されるが、風連のクマと合流して生き延びながらも、アザラシによって海中に引きずり込まれて死ぬアンコが印象に残っている。『僕のワンダフル・ライフ』では、犬は死後も犬に生まれ変わる設定で、意識は前世を受け継ぐ。転生を4回くり返すなかで、警察犬となって銃弾に倒れる2回目は可哀そうで観ていられない。

 

ところで、登場人物たちがワンコに与える餌には、ブーイングである。若者に合うように濃く味付けされたファストフードを与えすぎる印象がある。『僕のワンダフル・ライフ』では、ピザをメインの餌にする女性がいたし、続編の『僕のワンダフル・ジャーニー』(2019)でも、売りもののソーセージを餌に与える男性がいた。以前に、相棒のワンコにソフトクリームを丸ごと食べさせるコロンボ警部の話もしたことがある。

 

音楽ネタに移ろう。松平晃の「忘られぬ花」(1932)では、『歌謡曲全集』の不完全な原譜で、前奏も後奏もない簡素な譜面のため、なおかつ、3番歌唱を含まない曲のため、1番歌唱と2番歌唱の間で、1番分の旋律のみを演奏させた。また、各番手の歌詞は、4つの句から成る古い昭和歌謡の定番の構成であったが、メロディーは3つに分かれるタイプで、独特の分節であったため、歌唱部の全体を6つに分けて、録音した。

 

鶴田浩二の「雨滴れシャンソン」(1954)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化において、原曲確認がとれなかったため、曲の構成やテンポが便宜上のものになった。最低限のメロディー譜に短い前奏が付くだけの痩せた譜面で、長めの歌唱が2番まである。3番歌唱のないものということで、1番歌唱と2番歌唱の間で、1番分の旋律のみを演奏させることにした。原曲の構成がそうでない場合は、再アップのつもりだ。

 

フランク永井の「13,800円」(1957)では、『歌謡曲大全集』の原譜に、一か所、誤植らしいものが見受けられた。2番歌唱と3番歌唱のあいだの間奏部の一部の音符の音程が1音低く(A3→G3)なっていた。後奏部にも似たような音符群のリフレインがあったことで、発見できた。「戦後昭和史」のサイトによれば、1956年における都市勤労者所帯の月平均収入は「30,776円」とあり、親子三人で月13,800円での生活は厳しい。

 

島倉千代子の「明日になれば」(1958)では、『歌謡曲大全集』の原譜の電子楽譜化に大きな支障はなかったが、一か所、原譜のままでは、フレーズ内の音長の辻褄が合わず、調整を行った。ハ・ナ・ア・ワ・ア・ア/ナ・カ・ア・ズ・ウ・ウ/コ・イ・イ・ワ・ア・アのメロディーが収まるフレーズで、余計なオブリガートを外すと、音長不足が露呈した。結局、ワ/ズ/ワの歌詞があてられた無点4分音符を付点つきに変えた。

 

島倉千代子の「忘れ得ぬ人」(1958)では、同じく『歌謡曲大全集』からの電子楽譜化に大きな破綻はなかったが、歌唱部の何か所かに長音の暴走が生じた。いずれも大暴走ではなかったため、これまでなら、そのままアップしていたレベルのものだが、伴奏部と歌唱部の合体時に、編集で暴走を目立たなくするコツを身につけたこともあり、今回も、その手法を用いて暴走部の音量調整を行った。

 

コロムビア・ローズの「夜霧はラベンダー」(1960)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にSenza Tempoとあり、原曲確認もままならなかったため、テンポの判断に苦しんだ。センツァ・テンポとは自由なテンポを意味する音楽記号だが、原曲確認ができないと、この自由が一番困る。結局、昭和歌謡のセカンド・スタンダードである108にした。もし、原曲と大きくテンポが違っていることがわかれば、再アップのつもりだ。

 

田代京子の「水色のスーツ」(1960)では、『歌謡曲全集』の不完全な原譜の電子楽譜化ということで、曲の構成も不明で、原曲確認もできなかったため、昭和歌謡の一般的なテンポと構成をとった。つまり、演奏時間を3分前後に整え、DCの活用によって、前奏部を2番歌唱と3番歌唱の間で反復するというものである。なお、曲末の主旋律に付くオブリガートは、原譜どおりだと、どうしても音長の辻褄が合わず、削除した。

 

同じ田代の「雨の桟橋」(1960)でも、「水色のスーツ」と同様、原曲確認がとれなかったので、一般的な判断を行った。ただし、「水色のスーツ」はテンポを84にしたが、「雨の桟橋」はそれでは演奏時間が短くなりすぎるので、標準の3分に近づけるために、66まで下げた。前奏部を2番歌唱と3番歌唱の前でくり返すこともできたが、いずれにせよ、原曲の構成は不明なので、とりあえず、スローテンポ化を選んだ。

 

守屋浩の「大学かぞえうた」(1962)は歌詞が12番まであり、ところどころ、1音程度の増減があるため、ボーカル音源による歌唱部の作成には気を抜けない。また、2番歌詞の一部に現代では女性が不快に感じかねない容姿差別的な歌詞の存在が気になったが、先週アップした「ヤットン節」(1951)にも似たような表現がみられ、そちらはそのままアップしたため、本曲についても、原曲の歌詞のままとした。

 

梶芽衣子の「怨み節」(1973)では、『歌謡曲全集』の原譜に、幾つかの大きな誤植がみられた。まず、くり返しの開始を示す記号が脱落していて、テンポの判断に手間取った。次に、付点8分音符と無点16分音符の組み合わせになるべき箇所が付点16分音符と無点8分音符の組み合わせになっていた。最後に、アドリブの指示のある曲末の13連符に連符を示す数字がなかったため、スコアメーカーの赤警告が出ていた。

 

さだまさしの「関白宣言」(1979)では、『歌謡曲大全集』からの原譜の電子楽譜化の過程で、新しいタイプのゴースト連符が見つかった。16分休符と3連の16分音符の前の2個がゴースト3連符になっていたが、その刻印を消すかのように、オブリガートの一部が覆いかぶさっていて、ゴーストの存在に気づきにくくしていた。敵も巧妙に身を隠すようになっている。なんだか、生きもののようで、愛着さえ湧く。不亦楽乎。

 

さだまさしの曲は、語りかけるように歌うものが多く、「関白宣言」もその典型で、似たような歌詞が微妙に変化する箇所も複数あり、うろ覚えの箇所もあって、一気に録音することは困難で、3回に分けて録音した。ただし、「雨やどり」と異なり、『歌謡曲大全集』の全ての歌詞の譜面下に整備された原譜のため、2番手以降の歌詞の音配当に苦しむことはなかった。また、演奏時間が長いこともあり、原譜にない曲末のコーラス部は割愛した。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。