オータニサン、ご結婚おめでとう。昨年のdipのインタヴューのなかで、プライベートも含めた今後の人生設計について尋ねられた大谷は、「平穏に暮らしたい」と語っていた。今回、「普通の人」との結婚を選択することで、その実現可能性は高くなった。それでも、破格の卓越した人材の伴侶だけに、奥さんも、自身のアイデンティティーを得るのが大変かと思われるが、やりがいのある仕事だけに、がんばってもらいたい。

 

いつもの室内ランについては、この2週間は、家財整理でばたばたして、それ自体、少しは運動になっていると考え、60分と120分の週2回(L4)に抑えた。来週からは、30分→60分→90分のミニ漸増式か60分→90分→120分の漸増式に戻すつもりだ。高橋英樹のように、部屋単位で業者に不要?家財を持ち去らせるのは、どれだけ楽かわからない。必要品と不要品をいちいち分けていると、確認に相当の時間がかかる。不亦楽乎。

 

先々週の「ブギウギ」(第20週「ワテかて必死や」)では、敗戦直後の日本で米兵相手に体を売る女性たちとスズ子との悶着が問題となった。週末は、曲をアップしたことのある、「ジャングル・ブギー」(1948)の歌と踊りのお披露目もあり、すでに曲に馴染みのある筆者には、いつも以上に楽しめた。ドラマを観ていると、パンパンの苦労話から誕生した本曲には、「強く生きる」メッセージが込められているのがよくわかる。

 

ラクチョウのおミネ(田中麗奈)の存在感はさすがである。田中と言えば、フジテレビ開局55周年特別番組の「松本清張スペシャル 顔」(2013)でも、鍵を握る目撃者役を演じ、鋭い目線がヒロインの小暮涼子(松雪泰子)を最後まで苦しめる。涼子は、恋仲の飯村を殺害の折に、道中で飯村の幼馴染である瀬川真奈美(田中)に顔を見られたと思い込んで動揺するが、皮肉なことに、真奈美は、彼女の顔をよく覚えていなかった。

 

パンパン絡みの作品と言えば、思い出されるのは、松本清張(1909-92)の『ゼロの焦点』(1958)である。1961年に松竹映画化され、2009年に東宝映画化された。そこで、この新旧2作を運動時に観た。ウィキペディアによれば、東宝版は、「原作に忠実な作劇となっている。時代設定も原作どおり1957年から1958年頃である。」しかし、当時の雰囲気がよく出ているのは、松竹版のほうで、白黒でもあり、昭和を堪能できた。

 

鵜原禎子は久我美子(1931-)と広末涼子(1980-)、室田佐知子は高千穂ひづる(1930-2016)と中谷美紀(1976-)、田沼久子は有馬稲子(1932-)と木村多江(1971-)が、それぞれ、演じている。本作では、室田佐知子がキー・パーソンで、高千穂はブルーリボン助演女優賞を受賞し、東宝版では、中谷の怪演が光った。特に、邪魔になったパンパン仲間の久子を崖から突き落とそうとする佐知子の鬼気迫る演技は、印象に残っている。

 

松竹版では、禎子は、夫が突き落とされた断崖に佐知子を連れ出し、問い詰めると、佐知子は事件の真相を口にし出す。佐知子は、昔、警察で風紀係をしていた鵜原憲一(南原宏治)がパンパンの過去を知って恐喝しに来たと思って、思わず過去を吐露するが、その時の反応で初めて、彼が彼女の顔をよく覚えていなかったことを知る。この皮肉な構図は、先の「顔」の目撃者の役割と似ている。人は、罪の露見を恐れる余り、真実を見誤るものだ。

 

先週の「ブギウギ」(第21週「あなたが笑えば、私も笑う」)も、ブログで取り上げたい内容が満載であった。またしても、仕事と子育ての両立に苦労するスズ子に対するタナケンの思いやりの言葉かけや茨田りつ子の謝罪の言葉が印象に残った。三流の芸能記者鮫島の不快な減らず口に閉口していただけに、彼らの大人の対応ぶりは、スズ子のマネージャーの山下達夫も漏らしていたように、本当に「かっこよろしい」。

 

また、そろそろ、飽きられるから路線変更すべきとの羽鳥に対して、なぜ、スズ子がブギの曲にこだわるのかについても、鮫島が仕組んだりつ子との確執で理解できた。スズ子は、りつ子以上に勝気な性格で、彼女から「ブギはもう終り」と言われて、負けん気を出したわけだ。「朝ドラマニア」によれば、服部が作曲し、笠置が歌った、ブギの名が曲名の一部に付いた曲は17曲あるようだ(「〇〇ブギは何曲ある?」2024.2.22)。

 

「東京ブギウギ」(1947)「さくらブギウギ」(1948)「ヘイヘイ・ブギー」(1948)「博多ブギウギ」(1948)「北海ブギウギ」(1948)「大阪ブギウギ」(1948)「ジャングル・ブギー」(1948)「ブギウギ時代」(1948)「ホームラン・ブギ」(1949)「ジャブジャブ・ブギウギ」(1949)「ブギウギ娘」(1949)「名古屋ブギウギ」(1949)「買物ブギー」(1950)「大島ブギー」(1950)「アロハ・ブギ」(1950)「黒田ブギー」(1951)「七福神ブギ」(1952)。「黒田ぶし」ならぬ「黒田ブギ」の洒落には笑ってしまう。

 

『オリジナル盤による服部良一全集』(日本コロムビア、2019、7CD)には、「ヘイヘイ・ブギー」「ジャングル・ブギー」「三味線ブギウギ」「ホームラン・ブギ」「カルメン・ブギー」「買物ブギー」の6曲しか収録されていない。重なる曲も多いが、これは、もう、昨年、新たにSP盤で見つかった「大島ブギー」以外の16曲を収録した『笠置シヅ子の世界~東京ブギウギ』(日本コロムビア2023、2CD)を買うっきゃない。

 

今週の「ブギウギ」(第22週「ああ~しんど♪」)は、先週から、登場していきなり存在感を発揮し出した年輩の家政婦大野晶子の苦労話を、紹介者の茨田りつ子がスズ子に話してきかせるところから始まった。先週の愛子の破った障子を、修復後、彼女の作った切り絵を貼ることで二度と破らないようにする工夫といい、今週の擦ったニンジン入りのがっぱら餅でニンジン嫌いをなくす工夫といい、ほほえましくて癒される。

 

また、スズ子は引退する山下から頼まれて甥の柴本タケシを新しいマネージャーとして採用する。彼の仕事ぶりは頼りないが、愛子には優しいお兄ちゃんで、ニンジンを嫌う彼女に、自身も幼時に実践してきたかと思われる鼻をつまんで食べる方法を伝授する姿も、懐かしく映る。今週末は、そんななか、「買物ブギー」のワンマンショーでのお披露目で終わる。歌詞の情報量が多く、やはり、覚えるのは大変だったようだ。

 

ワンコネタと音守ネタを挟もう。換気のために、扉を開け放しにしておくと、ワンコは、音守内に単独で出入りしだした。狭い空間なので飼主同様、落ち着くようだ。犬小屋のつもりでいるのだろう。床の形状に合わせたカーペットは裏面を両面テープで止めているだけなので、接着面が溶けてズレだした。また、開閉をくり返すせいか、扉部が傷んできている。ドアノブと受け手は金属製だが、接合部は段ボールにネジで仮留めしただけなので、外れやすい。腫れものに触るような扱いをしている。

 

電子楽譜ネタに移ろう。東海林太郎の「椰子の実」(1936)では、『歌謡曲大全集』からの原譜の電子楽譜の作成において、原曲の演奏時間に合わせようとすると、テンポが遅すぎるため、演奏時間を3分強に止めた。また、3番歌唱の最後の歌詞「いずれの日にか 国に帰らむ」では、「帰らむ」をそのままカエラムとすると、語末母音の影響を受けて、発音が不自然になるので、「帰らん」とした。この場合、語末母音は無音化する。

 

上原敏の「いろは仁義」(1938)では、『歌謡曲大全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、都合3か所のゴースト連符が発生して難儀した。表面上は辻褄があっていて、音の詰まりもなかったため、最終確認まで気づかなかった。また、本曲では、「いろは」はイロワになったりイロハになったりする。「いろはしらゆき」「いろはにほへど」「いろはくずし」「いろはしじゅうはち」において、前2者はワで、後2者はハのままである。

 

久保幸江の「ヤットン節」(1951)では、『歌謡曲全集』の不完全な原譜に苦しめられた。例によって、譜面には1番歌唱分の歌詞しか記載がなかったが、最後に示されていたメロディーの異なる歌詞はフレーズ頭に合唱の指示があり、4番歌唱に続くものであった。おまけに、肝心の歌詞は3番までしか掲載されておらず、3番の歌詞まで入力しても、「三日前の古新聞」に始まる最後の合唱部とは内容的に合わないものになる。

 

結局、原曲を聴いて、4番歌詞まで入力して、合わせた。くり返し記号とDCとDSを駆使して、4番歌唱まで持って行き、最後の合唱部と繋げた。おまけに、2~4番の歌詞は、1番歌詞の音配当では、字余りや字足らずになることが多く、原曲を確認すると、長音に聴こえない箇所でも、電子楽譜では、長音化せざるを得ない箇所が何か所もあって、2~4番の歌詞の音配当は一筋縄では行かなかった。不亦楽乎。

 

島倉千代子の「東京の人よさようなら」(1956)では、『歌謡曲大全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、一部の連結符にゴースト3連符が現れた。また、同じ島倉の「乙女流しは寂しいね」(1957)では、同じく『歌謡曲大全集』の原譜に、音長の誤植が一か所、見つかった。一部の付点8分音符が無点になっていたため、フレーズ内の音長の辻褄が合わずに、スコアメーカーの青色警告が出ていて、判明した。

 

三浦洸一の「さすらいの詩」(1960)では、『歌謡曲全集』の不完全な原譜の、4小節の単純で痩せた前奏と1番分の歌唱のみ記載された譜面で、2番歌唱と3番歌唱の前でも前奏をくり返す構成をとった。原曲の確認がとれず、テンポの見定めが難しく、120でも自然な感じがしたが、演奏時間の関係で、3分前後に近づけるために、94まで落とした。もし、適正テンポが後日、判明すれば、再アップするつもりだ。

 

本曲には、「涙せききて」「蹴とばされても」「男泣きして」の箇所の頭にはespr.の指示があった。espr.はespressivoの略語で、「表情豊かに」「表現的に」を意味する発想記号である。歌詞からして感情の盛り上げを要求される箇所なので、人の手によるピアノ演奏やボーカルなら対応できようが、アコーディオン音源にしろ、ボイス音源にしろ、ソフト音源による機械的な演奏では、調整に限界のある領域である。

 

仲宗根美樹の「奄美恋しや」(1963)では、『歌謡曲全集』からの原譜の電子楽譜化の過程で、セカンドDCが本来の位置で機能しなかったため、例によって、くり返し記号の位置までDCを後退させて、伴奏部と歌唱部のファイルを作成し、合体させてから、手作業で不要部をカットした。なお、先ごろ亡くなった國場勝子さん(1944-2024)のご冥福をお祈り申し上げる。代表曲の「川は流れる」(1961)はすでにアップ済である。

 

「ザ・モンキーズのテーマ」(1967)については、アップに漕ぎつけるまでの顛末を語ろう。日本の音楽グループでもなく、日本の歌謡界で活躍したわけでもないため、『歌謡曲大全集』や『歌謡曲全集』には原譜の収録はないが、当時の筆者の脳裏には、テレビの「ザ・モンキーズ・ショー」(1967-69)で本曲が焼きついていて、昭和の記憶の一角を担っている。そのため、ダウンロード購入でスコアを入手することにした。

 

購入後は、すぐに、一度、コピーしたものを再度PDFファイルにして、パスワードを外した。印刷が粗めで、歌詞が不鮮明なため最大の600dpiまで読み取り精度を高めた。それでも、スコアメーカーにかけると、元々、原語歌詞を読み取るのに適していないせいか、歌詞のほとんどは誤認識で、一から入力をし直した。音符の認識度は『歌謡曲全集』の古いスコアと同じ程度で、ところどころ、手作業で、修正した。

 

原譜の一応の電子楽譜化が済むと、テンポの確定になる。原曲の演奏時間は2:14で、実質のテンポに合わせるかたちで、166までテンポアップした。原曲の演奏時間よりは、短くなったが、それは、原譜にない、アドリブらしい長い間奏部の存在が大きい。その箇所を除けば、電子楽譜の166は、完全に原曲のテンポそのものである。このテンポに行き着くまでには、何度も何度も試行錯誤をくり返した。不亦楽乎。

 

ドラムで演奏される最初の3個の×符頭の音符は、アコーディオン演奏では不自然なため割愛した。また、曲末で、"Hey, hey, we're the Monkees."を同一音程で反復する箇所は、原曲では聴こえていないので、くり返しを避けた。実際、編集ソフト上で、原曲と電子楽譜とを照合すると、歌唱部はぴったり合った。これなら、原曲のボーカルを基に歌三昧の歌唱で録音しても、アコーディオン伴奏とは音がずれないレベルである。

 

英語歌詞の記載も整い、ボーカル音源を使って、試聴してみると、ましに聴こえる箇所と、無茶苦茶に響く箇所と、まったく音が出ていない箇所とがある。今回の歌唱は歌三昧なので、必ずしも歌唱部を作る必要はないが、全体をましな英語で聴きたい思いもあって、ボーカル音源による歌唱部も、一応、整理しておくことにした。しかし、実際には、原譜と原曲のテンポが揃ったため、原曲の歌唱で歌三昧の練習を重ねた。

 

江利チエミの「酒場にて」(1974)では、ボーカル音源による歌唱部ファイルの作成過程で、一部の音に暴走がみられた。各番手の歌唱末にあたる「消えた あの部屋」のタにあてられた付点2分音符が問題の箇所である。今回は、当該箇所だけのファイルを用意せずに、Cubase上で、暴走箇所を大きくズーミングして、両端に切れ目を感じさせる箇所で選択し、ノーマライズ処理で暴走が目立たない音量まで下げた。不亦楽乎。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。