今週は、重厚長大がもてはやされた昭和の一時期に買った大型のユニット家具を手放した。長らく、2階の和室に設置されていたが、家内は、元日の能登地震で1階の押しつぶされている家々をテレビで目の当たりにして、家具の下敷きになるのが怖くなったようだ。以前から気にはしていたが、今回、とうとう、処分に踏み切った。婚礼家具のため、筆者は一切、口を挟まず、処分の決定は、完全に、家内主導で行った。

 

以前にも、嫁入り道具のひとつで、そこまで広くないわが家のリビングのピアノ補強の床上には、長年、ピアノが置かれていたが、使わない割に場所を取るということで、家内自身の要望で手放した経験がある。その後、夫婦でロードバイクが趣味のときは、競輪選手御用達のアラゴローラーを置いたり、足腰を鍛えるためのレッグ・プレスを置いたりしてきたが、現在は、その場所をジョンソンのトレッドミルが占めている。

 

今週はまた、最強寒波の襲来ということで、わが家はシチューや鍋などの体の温まる料理が続いた。これらの匂いをいち早く嗅ぎつけて、ワンコも浮かれだす。先にたっぷりの鶏出汁をとるため、余った鶏肉のトッピングにありつけるからである。いつもは、せいぜい、指定の餌に鰹節乗せだから、鶏肉のトッピングはワンコには大のごちそうである。もちろん、ワンコ用の鶏肉は調味料で味を調える前に取り分けておく。

 

今週の室内ランは、60分→90分→120分(L4)の漸増メニューを予告していたが、60分(L4)の隔日3回に終った。漸増式の導入は尚早であった。どうも、外を走るために練習を強化してから、運動習慣のリズムが狂ってしまった。一種のスランプといってもよい。まあ、気長にやろう。次は、年始の運動時に観返してブログで言及のなかった黒澤明の『生きる』(1952)と小津安二郎の『東京物語』(1953)の話である。

 

2作は筆者の世代の作品ではないため、いずれも、封切り時には観ていない。筆者が若い頃に観た黒澤映画は、いずれも、三船敏郎主演作品であり、『用心棒』(1961)や『椿三十郎』(1962)や『赤ひげ』(1965)などである。2作の共通点は、親子の断絶とまでは言えないが、親子で分かり合えないもどかしさ、父親側の軽い諦念が描かれているところにある。それぞれ、志村喬と笠智衆が父親を、金子信雄と山村聰が息子を演じている。

 

『生きる』(1952)では、主人公の渡辺は市役所の市民課長で、書類に判を押すだけの無為な生活を送っていた。住民が陳情に訪れても、部署間のたらい回しに終始していた。そんなある日、渡辺は、自分が胃がんで半年かそこらの命だと悟り、人生を振り返る。渡辺は、30年間無欠勤の役場を無断欠勤し、貯金を引き出し、飲み屋で知り合った小説家(伊藤雄之助)に人生の楽しみ方を教わり、夜の巷を遊びまわる。

 

偶然出会った、かつては職場の部下だった若い女性(小田切みき)とも食事や話をしたいと考え、家族や親族からは女に溺れているとの白い目で見られながら、しばらく彼女に付きまとう。役場の無気力な雰囲気に嫌気が差して、玩具工場に転職した彼女から、今度の仕事は世界の子どもたちとつながっていて生きがいがあると言われたことで、自分もまだ今の勤務先でできることがあるはずと考え、渡辺は眼を覚まして役場の業務に復帰する。

 

復職後の細かい描写はないまま、渡辺は、その数か月後に亡くなるが、実は死んでからが、本作の本領発揮である。作品の前半は主人公の死ぬまでを扱っていて、後半はまさに主人公が生きた証の検証なのである。『白い巨塔』(1966)で教授選の駆け引きや医療ミス裁判での専門家の証言が肝であったように、本作では、主人公のお通夜の席での市役所の同僚や家族の証言が、主人公の真の生きざまを雄弁に物語る。

 

『東京物語』(1953)では、尾道に住む老夫婦が、次女(香川京子)を残して、東京で開業医をしている長男や、美容師の長女に会いに行くが、忙しさにかまけて、彼らに邪魔者扱いをされる。唯一、戦死した次男の嫁(原節子)だけが、仕事を休んでまで、親身になって義父母の面倒をみる。父親は、郷里で親しかった在京の知人と、一晩中、酒を呑んで旧交を温めるが、彼らの愚痴を聞いて、親子関係はままならないと悟る。

 

夫婦が尾道に戻ると、妻は体調を崩して急死する。長男、長女、嫁、遅れて大阪に暮らす三男も、通夜にかけつけるが、実の子どもらは、仕事があるといって、そそくさと帰ってしまう。またしても、嫁だけが残って、しばらく、義父の世話をすることになる。次女は、嫁に向って、薄情な兄弟姉妹たちへの愚痴をこぼすが、嫁は、「あの人たちにはあの人たちの生活があるから仕方がない」と言って、次女をたしなめる。

 

『この世界の片隅に』(2016)も戦時下(1944)の呉が主な舞台であったが、本作における戦後の尾道の景色は、郷愁を誘わずにはおかない。昭和の名作を、ドキュメントのように味わい、日本の原風景を眺められることは望外の幸せである。『ALWAYS三丁目の夕日』(2005)は昭和33年の東京の下町を再現した作品であったが、『生きる』や『東京物語』では、再現せずとも、1950年前後の東京の下町そのものがそこにある。

 

音楽ネタに移ろう。小林千代子の「涙の渡り鳥」(1932)は、後世の歌手にも歌い継がれて来た曲だけに、幼時の筆者の耳にも残っている。ところが、『歌謡曲全集』の原譜から電子楽譜化してみると、テンポが遅い。譜頭にはモデラートの指示があり、スコアメーカの初期値では84になるが、遅すぎる。セカンド・スタンダードの108でも試すが、まだ遅い。結局、原曲の演奏時間に合わせて、160までアップした。不亦楽乎。

 

伊達みどりの「むすめ山唄」(1954)では、『歌謡曲全集』の不完全な原譜の譜頭にはアンダンテの指示があったが、電子楽譜を演奏確認すると、スコアメーカーのデフォルト(66)では遅すぎてかったるく感じたため、昭和歌謡のセカンド・スタンダードの84にテンポ・アップした。1番歌唱分の譜面のみのため、これまでの慣例に従って、前奏を3番でくり返す形式をとったが、各歌唱前の4小節については、各番に付けた。

 

鈴木三重子の「むすめ機織り」(1956)では、同じく『歌謡曲全集』の痩せた原譜の譜頭にはタンゴ・テンポの指示があったが、先の「むすめ山唄」同様、原曲確認ができなかったため、電子楽譜の試聴を通じて120に決めた。本曲の譜面も1番歌唱分の記載しかなかったが、前奏は短めで、タンゴ曲ということで、2番と3番の歌唱前で前奏をくり返す構成にした。原曲と大きく異なっていれば、再アップのつもりである。

 

矢島ひろ子の「今宵かぎりのボレロ」(1956)では、『歌謡曲全集』の原譜の一部にフレーズ内の音長の辻褄の合わない箇所があり、原曲を確認して、都合、4個の連結された16分音符をすべて8分音符に変えて帳尻を合わせた。また、譜面には1番歌唱分の記載しかなかったが、前奏は6小節程度の短いもので、2番と3番の歌唱前でもくり返すことにした。さらに、一部の音についたグリッサンドが不自然なため、外した。

 

こまどり姉妹の「姉妹酒場」(1961)では、歌唱部の試聴の段階で、3番歌唱末近くの2個の4分音符がタイで結ばれた箇所が暴走した。「思い出される姉妹酒場」のオ・モ・イ・ーのイーの箇所で、タイをとると違和感が生じるため、一度、1個の2分音符にしてから「思い出される」の箇所のみのMP3ファイルを作成した。それでも暴走は完全には収まらないので、半分の音量にして暴走箇所が目立たないようにした。

 

倍賞千恵子の「下町の太陽」(1963)では、助奏の一部にゴースト3連符の登場だ。原譜に合わせて修正しようとすると、ゴーストが現れた。また、青江三奈の「一人になりたい」(1968)でも、助奏の2か所にゴースト3連符が隠れていた。16分音符の4連結だが、音符を加えようとして連符の存在に気がついた。さらに、森山良子の「あの日の午後」(1974)でも、主旋律に付く助奏の一部にゴースト3連符が見つかった。

 

ザ・スパイダースの「夕陽が泣いている」(1966)では、『歌謡曲大全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、1番歌唱直前の前奏部の1音符に音程の誤植が見つかった。馴染みの曲のため、すぐに違和感に気づき、原曲を確認すると、E3のはずがG3と2音高くなっていた。エレキギターの曲をアコーディオンで演奏することには抵抗のある向きもあろうが、筆者の感覚では、グループ・サウンズの曲も昭和歌謡の一環である。

 

辺見マリの「経験」(1970)では、先にアップした弘田三枝子の「燃える手」(1970)の時と同じように、『歌謡曲大全集』の原譜の前奏開始の1音符の下に丸括弧付きでBassの指示があった。以前にこの指示のせいで電子楽譜化が一からのやり直しになった経験があるため、今度は用心して、真っ先にBassの指示を消去した。この指示は、現在の音程を1オクターブ下げてバス領域で演奏することも可能というものである。

 

チューリップの「心の旅」(1973)は、『歌謡曲全集』の1番歌唱分しか記載のない原譜における、2番歌詞の音配当で、しっくり来ない箇所があり、長い間、アップを保留していた曲である。特に、2番歌詞の「今は声を静めて」「何を待っているのか」「心の旅がはじまる」のメロディーが、1番歌詞の「知っていたのか」「遠く離れてしまえば」「そのまま連れ去りたい」のそれと微妙に異なるため、合わせに時間がかかった。

 

うろ覚えの曲だったため、ボーカル音源による歌唱部のMP3ファイルを作成して、歌唱に臨んだ。当初、演奏時間を原曲(3:30)に合わせてテンポを84にしたが、完成した曲を視聴すると、スローに感じた。そこで、100にテンポ・アップして、伴奏部のMP3ファイルの作成をやり直した。演奏時間は30秒ほど短縮されたが、聴いた印象はましになった。最後の輪唱部は別途に3ファイル用意して、編集時に合体させた。

 

ところで、優秀な音楽編集ソフトであるSteinbergのCubaseにも、ひとつだけ難点がある。Yamahaのオーディオ・インターフェースAG03と併用するなかで、ASIOドライバーもYamaha Steinberg USB ASIOを使う必要があるが、ソフト側で、デフォルトのGeneric Low Latency ASIO Driverに引き戻そうとする誘導が強くて閉口している。専用ドライバー以外だと、雑音が入りまともに録音できなくなる。不亦楽乎。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。