そろそろ、年末年始に来られなかった息子夫婦が孫娘と共にわが家を訪問する頃だ。以前に彼らが孫娘の七五三で拙宅に立ち寄った際、親子の世代差について面白い発見があった。そのとき、息子は、仕事が終わってすぐに、バタバタと実家に帰る用意をしていて、七五三に着る背広の上着を自宅に忘れてきた。家内から、その場しのぎにでも着られる、息子に合うスーツはないかと聞かれて、筆者はクロゼットの中を探した。

 

筆者はAB体だが、息子はYA体で、筆者が現在着ている背広は合わない。そんななか見つかったのは、筆者が勤め初めの頃に、奮発して、某老舗紳士服店で誂えた3着のうちの1着で、セミフォーマルな場でも着て行ける無地のチャコール・グレーであった。他の2着は、濃紺とライト・グレーで仕事着として交替で着ていたが、チャコール・グレーのスーツは、特別な機会にしか着なかったため、着古した感じがなかった。

 

はたして、現在の息子の体型と筆者の若いときの体型は同じで、上着はピッタリと合った。気になったのは、ズボンである。筆者には丁度だが、息子には丈が短いのではと案じたわけである。ところが、息子の「丈が長すぎる」の一言に家内も筆者も驚いた。筆者は中肉中背だが、当時のズボンは太ももが入らない。好きに裾の長さを調整しても構わないと進言したものの、短くしすぎると不細工なため、内心は心配であった。

 

結局、7cm前後は裾をカットして裾上げテープで仮止めした。今どきの若者は、シャツ類をズボンの上に出すのが自然であるように、ズボンの裾は短めで、靴下の見える履きかたをするようだ。裾が長いと、不格好でお洒落でないと感じるらしい。仮に、息子が筆者のような時代遅れの古い価値観の持ち主であっても、嫁の美的センスも時代とともに変化しているので、私たち夫婦の世代とは考えかたがすっかり異なる。

 

ネクタイも家に忘れたようだったので、使用感のない良質のものを見繕った。当日の息子の姿をみると、ネクタイも今風に緩めに巻いていた。筆者の感覚では、ビジネス・スーツは、ネクタイを締め付けることで、気持ちの引き締まる良さがあったが、どうも、息子の世代では、ただの窮屈な格好に過ぎないようだ。ちなみに、筆者が今でもたまに羽織る最古の衣類は、高校生時に買ったラグラン袖のウール・コートである。

 

ネクタイの幅には筆者も振り回された。幅狭と幅広とが交互に流行することで、流行遅れのネクタイが締めにくくなる。「大は小を兼ねる」ならぬ「広は狭を兼ねる」の原則によって、細いネクタイが流行った時期に、幅広のネクタイの何本かを幅狭に縫い直してもらった経験もあるぐらいだ。ただ、幅広が流行っていた時には、背広の襟も広いため、両者の幅が大きく異なると、スーツとネクタイが合わなくなる。不亦楽乎。

 

今週の室内ランは、L4だが、運動時間は週2時間から、60分通し+120分(L4)+60分通しの週3回4時間に増えた。しかも、120分についても、前半は30分ずつだが、後半の60分は通しで、その間、自由に休めないメニューである。手ごたえを感じたのは確かである。それでも、90分以上の通しは運動に嫌気が差す可能性もあり、しばらくは敬遠だ。来週はL4で60分→90分→120分(計4時間半)の漸増式に戻そう。

 

運動時のお供には、『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)と『42~世界を変えた男』(2013)を観返した。前者は、負い目のある父親や過去の浮かばれない野球選手たちの亡霊に憑りつかれたように、トウモロコシ畑に球場を作る男の話である。野球好きなアメリカ人なら泣ける話だろうと高を括っていたが、最初に観たときは、浅田次郎の一連のゴースト作品のように、不覚にもラストで号泣してしまった経験がある。

 

後者は、ブルックリン・ドジャースに在籍し、背番号42が永久欠番となった黒人初のメジャー・リーガーであるジャッキー・ロビンソンの実話をもとに製作された作品である。大谷翔平と山本由伸はその後身であるロサンゼルス・ドジャース入りを果たしたが、ドジャースのチームカラーが確立した頃を扱う映画である。長嶋茂雄もドジャース入りを打診されたとされるが、当時の巨人が人気選手を手放すはずがなかった。

 

キリスト教における13のように、日本では、42は縁起の悪い数字として、42号室のないホテルもあるが、日本のプロ野球では、永久欠番でない42番をつける選手は少なくない。阪神タイガースにいた下柳剛も42番だった。現在、背番号42の選手(外国人8名+日本人3名)は11名いるらしい(「メジャー全球団の永久欠番、日本人も増加傾向? プロ野球における背番号42の選手たち」、SPAIA編集部、2023.7.29.より)。

 

本作では、黒人の観客らが、ロビンソンの試合を観に、COLOREDと書かれた専用入り口から続々と球場に入って行く姿が映し出され、人種差別の象徴のように示される。ゼネラル・マネージャーから黒人を差別しないように指示されたドジャースの監督が、「実力があれば、黄色でも黒でも構わない」と選手たちに語る姿も印象に残る。ドジャースが黒人やアジア人を受け入れるのに最も熱心な球団の一つとなる背景を観た。

 

ワンコネタを挟もう。今はサマー・カットをしないため、相棒の毛量は最大である。冬季は毛繕いを怠ると、もつれやすいため、勢い、その回数は増える。物足りないのは、頭頂の毛の広がりで、よくあるビション・フリーゼのトレード・マークの頭毛を大きく逆立てた画像に比べると、鬣が不足気味なのが愛敬である。うちのワンコは、ビションというより、白いムクイヌの大型犬であるグレート・ピレニーズの仔犬に近い。

 

さて、「ブギウギ」では、ようやく、エノケンならぬタナケンこと棚橋健二が登場した。羽鳥善一(服部良一)の曲のほうも、エノケンのお芝居に合わせて、「コペチカータ」なる新曲が披露された。タナケンの劇中劇とともに、福来スズ子のミニ・ミュージカルを楽しめた。ウキウキ・ワクワクの気分だ。舞台上では賑やかな役者が実生活では無口というのは今に始まったことではないが、タナケンの登場の仕方も眼光が鋭く物静かという印象的なものだ。

 

一癖も二癖もありそうな役柄のほうが、視聴者は観ていて飽きが来ない。「ブギウギ」の演出で筆者を引きつけてやまないのは、不愛想キャラの味である。おでん屋台のがんこ親父に始まって、筋金入りの女性歌手の茨田リツ子に、村山興業社長の女帝トミと東京支社長の坂口などが続く。いずれも、最初はとっつきにくいが、ドラマの進展とともに、憎めないキャラとなる。タナケンもそんな魅力的な人物の一人である。

 

時代劇なら、庶民を苦しめる悪代官と強い正義の味方との対立構図になるような勧善懲悪のドラマが主流であろうが、爽やかな朝のドラマには、根っからの悪人は似合わない。だが、絵に描いたような善人だらけだと、盛り上がりに欠ける。そこで、次々と気難しいキャラを登場させて、演出にメリハリをつけ、視聴者を惑わし引きつける作戦をとる。モデルのいる配役ではどれほどの気難しやに見せるかは制約も限界もあろう。

 

電子楽譜ネタに移ろう。美空ひばりの「ひばりの花売娘」(1951)では、8分休符からずれた位置にある副音の8分音符のせいで音長の辻褄の合っていた主旋律の一部のフレーズ内にゴースト3連符が隠れていた。ボーカル音源による演奏を聴いて違和感があったため、念のために確認すると、ゴーストが見つかった。さっそく、8分音符を休符と同位置に置くと、青警告が出たので、3連符を通常の連結された3音符に戻した。

 

平野こうじの「白い花のブルース」(1961)では、『歌謡曲全集』の原譜どおりだと、セカンドDSがうまく機能しなかったため、一度、くり返し記号の位置までずらしてから、手作業の編集で不要部を削除した。佐川ミツオの「背広姿のマドロスさん」(1961)でも、同じ『歌謡曲全集』の不完全な原譜で、セカンドDCがきちんと作用しなかったので、同様に、くり返し記号まで下げてから、手作業で不要部をカットした。

 

ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」(1967)は、当初、歌三昧の歌唱のみでアップしようと考えていたが、実際に、『歌謡曲大全集』の原譜に基づいた伴奏で歌ってみると、思いのほか、キーが低くて響かない。キーを上げれば解消する問題かもしれないが、ここは、メイン歌唱をボカル嬢に歌ってもらうことにした。1番と2番とで微妙にメロディーが変わるため、番手毎にMP3ファイルを作成した。

 

ところが、いざ、2つの歌唱ファイルを伴奏ファイルと照合してみると、思いのほか、編集に手間取った。できあがった電子楽譜は、原曲よりもテンポが遅くなったが、テンポをいじると、一からの作業になるため、とりあえずはそのままとした。2か所の台詞は、原曲に沿うかたちで、歌三昧の声で作成した。「天国よいとこ」以下の箇所は、賑やかな歌唱が合うと考え、歌三昧も参加した。各種効果音は、割愛した。不亦楽乎。

 

弘田三枝子の「燃える手」(1970)では、『歌謡曲大全集』に収録の原譜で、原譜自体に問題はなかったが、スコアの自動読み取りの過程で、経験したことのないハプニングが起きた。普通に原譜を読み取らせた後で、手直しをして完成させた電子楽譜をボーカル音源に歌わせてみると、全体が耳障りな低音歌唱になっている。通常の読み取りと異なっていたため、原因を探ると、なんと、電子楽譜の全体がバス指定となっていた。

 

バス指定を外そうとしたが、読み取り前の設定によるもののため、電子楽譜を無指定の状態に戻すことができなかった。時間と手間が無駄になったが、勉強だと思って、もう一度、一から本曲の電子楽譜化をやり直すことにした。ところが、再度、読み取りを行うと、勝手にバス指定が入る。本曲の原譜の譜頭の下部に、丸括弧付きではあるが、Bassの指示があり、どうも、スコアメーカー側が優先的ににその指示を拾うようだ。

 

そのままだと、電子楽譜は、自動的にバス指定になってしまう。そこで、原譜のPDFファイルのBass指示の箇所だけを消去して、再度、読み込みを行うと、ようやく、通常の電子楽譜が作成できた。いつものボカル嬢の声が聴けたときには、安堵した。原譜ファイルの不要部はソフト側で消去できるようになっていて、助かった。これからはこの種の指示の存在にも注意する必要がある。完全な二度手間であった。不亦楽乎。

 

本田路津子の「耳をすましてごらん」(1972)では、ボーカル音源による演奏中に、主旋律の歌唱部の一部に暴走が起きた。2番歌唱の「あの海があるから」のガにあてられた3音符(8分音符+4分音符+8分音符)はタイで結ばれていて、事実上の長音となって暴走の引き金になったように思われる。さっそく、この箇所のみで歌唱部のファイルを作成し、手作業で暴走部を換えた。実質的には「あの海が」の交換だけで済んだ。

 

小柳ルミ子の「泣きぬれてひとり旅」(1978)は、歌詞の情報量が多く、各番手でメロディーが微妙に変わる箇所が多いため、神経を使った。番手毎に歌唱部のMP3ファイルを作成せざるを得なかった。各歌唱部に旋律の狂った箇所は見受けられなかったが、伴奏部と合わせると、歌唱の前半と後半とで、微妙に音長がずれる。前半に合わせると後半が遅れるため、前半を少し後ろにずらすことで、後半の違和感を軽減した。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。