先週の後半は、3歳の孫娘の七五三参りもあって、息子夫婦が拙宅に連泊した関係で、ばたばたした。数か月ぶりに逢うと、幼稚園の年少保育に通っているせいか、いつの間にか、彼女はよくしゃべるようになっている。「芸術は爆発だ」と叫んだ芸術家もいたが、3歳児の言語習得は爆発である。ある瞬間までは脳内で抑え込まれていて喉元までは達しないが、限界域を越えると、堰を切ったように言葉が口から溢れ出てくる。

 

室内ランについては、先週、軽く走ってみると、レース以降、左脚の大殿筋の違和感が残っているようだったので、今週は、無理をせず、運動を休んだ。尾てい骨近くの筋肉の凝りで、おそらく、以前にも言及したように、筆者の身体的な左右のアンバランス(骨のゆがみ)に起因するものであろう。1週間休んで、改善しなければ、整形外科で診てもらおう。10km程度で脚が音を上げるようなら、ハーフはとても走れない。

 

愛犬ネタを挟もう。ワンコが、例のごとく土くれに顔を突っ込んで、顔面を真っ黒にして散歩から戻ってきた。こんなときは、お家でシャンプーせざるを得ない。面白いのは、毛が乾くまでの間は、別犬に生まれ変わることだ。ふだんは、ライオンのたてがみのように顔を大きく見せているビションの体毛が濡れて垂れ耳の犬のシルエットを浮き立たせるため、小顔になりすぎて、とても、日頃のワンコには見えないのだ。

 

音楽ネタに移ろう。「ブギウギ」の第9週「カカシみたいなワテ」では、戦時下の警察による風紀の取り締まりに対する茨田りつ子(菊地凛子)の凛とした態度が衆目を集めた。笑顔の似合う笠置は福来で、スズ子はシヅ子の、羽鳥は服部の類音語法で、善一は良一の類義語法と、語呂合わせで命名しているようである。してみると、淡谷は、発言が辛辣で、茨の道を歩いてきたから茨田で、りつ子はのり子の類形語法か。

 

NHKがモデルの存在を認めているのは、福来スズ子と羽鳥善一と茨田りつ子の3人である。淡谷(1907-99)と服部(1907-93)は同年齢で、「別れのブルース」(1937)は二人が30歳のときの曲である。笠置(1914-85)は二人より7歳下である。インターネットの画像検索で、30歳前後の淡谷の写真をみると、すでに芯の強さが表情から滲み出ている。かつて「徹子の部屋」で淡谷が語ったエピソードを黒柳徹子はこう語る。

 

「英語を使うことが禁止されたりする中で、淡谷さんは軍の命令には従わず、軍歌は一切歌いませんでした。当時禁止されていたパーマヘアにお化粧もバッチリ、『これが歌手の戦闘服だから』と、華やかなドレスを着て兵隊さんたちの前に立つと、若い兵隊さんたちは拍手を惜しまなかったそうです。」(「黒柳徹子 私が出会った美しい人 第17回 歌手 淡谷のり子さん」、VoCEのサイトより、2023.09.11)

 

晩年の淡谷は、歌番組の審査員としてテレビに露出していたため、その容姿と辛口のコメントには馴染みがある。東京暮らしが長く、都会的に洗練されてはいるが、実際は青森出身で、土まみれの大根のような逞しさにも納得した。歌唱からは東北方言は感じられないが、東洋音楽学校(現 東京音楽大学)で根性を発揮したのではないか。入ったのはピアノ科だが、出たのは声楽科で、淡谷は1929年に首席で卒業している。

 

淡谷はOSK所属の歌手ではないものの、東北人気質(じょっぱり)があるだけに、「強く、逞しく、泥臭く、艶やかに」の精神が、笠置とはまた別の対極的なパーソナリティとして、身についている節がある。そもそも、高度の専門教育を受けた声楽家が流行歌手を目指すとは、そんなものであろう。もっとも、淡谷は、衆議院議員や市長も親戚(姻戚)にいるような地元の名士の家系なので、家柄や育ちの良さも持ち合わせている。

 

ともかくも、「ブギウギ」のおかげで、笠置ばかりか、淡谷のファンにもなった。「エール」のおかげで、伊藤久男に目が行ったのと似ている。さっそく、「ブギウギ」の放送に合わせて刊行された『ブルースの女王 淡谷のり子大全集』(日本コロムビア2023、5CD)を購入した。初のBOXセットでの販売であり、全110曲入りである。服部をはじめとする作曲家の全集とかぶる曲も多いが、これで淡谷の曲の全体像がわかる。

 

夜中に眼が覚めた。MP3に変換した淡谷の『大全集』をヘッドホンで聴いてみた。音量は抑えて静かに聴く。戦中を生きた歌手の全集には軍歌が付きものだが、淡谷の全集には混じらないため、聴きやすい。タンゴ曲も多く入っていて、楽しめた。「ブギウギ」の場面で、淡谷の当時のリサイタル風景も浮かぶなか、本物のソプラノ声を堪能できた。また、音声のくっきりした原曲を聴くことで、淡谷は外来語のブルースではなく、原語の[blú:z]で発音していることがわかった。

 

スージー鈴木氏は、インターネット記事で、「『ブギウギ』が大傑作になる予感のワケ」として、東京出身ながら上品で巧みな大阪弁を操り、歌手やコメディエンヌとしての素質も開花しつつあるスズ子役の趣里(1990-)の演技力によるところが大きいとしながらも、最後に、茨田(淡谷)のドラマチックな存在を挙げている(「やっぱり『ブギウギ』が大傑作になる予感のワケ」、東洋経済オンライン、2023.11.23)。

 

趣里は、言うまでもなく、歌手で俳優の水谷豊と伊藤蘭の娘である。水谷と言えば「相棒」(2000-)だが、「男たちの旅路」(1976-1979)や「熱中時代」(1978)の頃の水谷は、やんちゃな雰囲気で、ユーモアとひょうきんが売りであったし、「無用庵隠居修行」(2017-)でも、岸部一徳と共にとぼけた味を出している。伊藤は伊藤でキャンディーズの蘭ちゃんとしての歌唱経験を積んでいるだけに、やはり、蛙の子は蛙である。

 

さて、藤山一郎の「東京のえくぼ」(1952)と宇都美清の「湯の町よさようなら」(1952)では、『歌謡曲全集』の不完全な原譜において、音程がおかしく聴こえる箇所や、歌詞の音配当が不適切にみえる箇所が見つかり、対応を迫られた。「東京のえくぼ」では、最後の「ああ東京の」のノにあてられたG3の付点2分音符が実際にはA3に思われた。誤植だと確定はできなかったが、修正することで、違和感は収まった。

 

「湯の町よさようなら」では、「離れていても」「別れの汽笛に」「知っててくれか」のレテ/レノ/テテの箇所で、2つの無点8分音符と1つの無点4分音符がスラーで結ばれており、レ・テ・エ/レ・ノ・オ/テ・テ・エの配分になっていたが、不自然な詰まり感のため、レ・エ・テ/レ・エ・ノ/テ・エ・テの配当に変えた。原曲確認ができなかったため、筆者の対応が不適切であれば、再アップのつもりだ。

 

三橋美智也の「おさげと花と地蔵さんと」(1957)では、スコアメーカーによる原譜読み取りの過程で、主旋律に付くオブリガートの一部に警告なしのゴースト3連符が現れた。似たような3連結符は2か所にあったが、そのうちの1か所が連符化した。また、バーブ佐竹の「ネオン川」(1966)では、電子楽譜化の過程で、キノコ型ゴースト連符が姿を見せた。キノコ型ゴースト連符とは、次のようなものである。

 

主旋律の一部の音符がオブリガートと重なって、本来の音長にならずに、助奏の音長に同化してしまう。見かけ上は、本来の音長の音符のように見えるが、実はまやかしの音長で、それ自体キノコの軸のようなゴーストである。次に、当該音符の音長を原譜に合わせて修正すると、そこにキノコの笠のように被さっているオブリガートの一部か全部がゴースト連符になっている仕組みだ。4連符と3連符が相次いで見つかった。

 

松尾和子&浜マサヒロとリビエラ5の「恋慕小唄」(1968)では、『歌謡曲全集』の不完全な原譜に振り回された。見開きの2頁に亘って展開する譜面で、一見、整備されたもののように見えるが、実際は、曲の音構成も歌詞の音配当もかなりの手直しを要するものであった。原曲に準拠させたわけではないので、不適切な処理もあるかもしれないが、大きな手違いが確認されれば、後日に再アップするつもりだ。

 

各番手の結びの句は、「紅の跡」「お前だけ」「恋じゃもの」「二人づれ」「指の爪」「離さない」「なるを待つ」だが、譜面に記載されていたベ・ニ・ノ・ア・ト/オ・マ・エ・ダ・ケ/ナ・ル・ヲ・マ・ツの箇所が対応していない。歌詞と音を対応させようとすると、ア・ト/ダ・ケ/マ・ツで合わせるべきところ、ア・ア・ア・ア・ト/オ・マ・エ・ダ・ケ/ナ・ル・ヲ・マ・ツの不均衡な音配当になっている。

 

「恋慕小唄」を原譜のとおりに演奏させると、途中で、数フレーズに亘って演奏されずに終る箇所が生じてしまう。しかも、それらのフレーズは、通常、曲末に来るようなリタルダンドとア・テンポを含む構成で、曲末も似たような構成になっているが、こちらは確かにラストにふさわしいものになっている。短い歌唱が7番まで続く展開のため、歌唱末でゆったり演奏されて、元のテンポに戻るような構成も考えにくい。

 

山本リンダの「狙いうち」(1973)では、『歌謡曲全集』からの原譜における電子楽譜化の過程で、同一音符の3連結符でもないのに、警告なしのゴースト3連符となって現れた。ゴーストを解除すると、赤警告が出た。実際は、8分音符の前後に16分音符が来る構成になっている。また、最後の歌詞に原曲との異同があり、原曲に合わせた。「かしづく男を見ていたい」の「見ていたい」が「見つけたい」になっていた。

 

竹内まりやの「恋の嵐」(1986)では、原譜の主旋律の一部に、フレーズ内の音符の帳尻の合わない箇所があり、通常の連結された3音符を3連符に改めると、音長が合った。「心が揺れる夜は」/「駆け抜ける雨の町」におけるコ・コ・ロ/カ・ケ・ヌに相当する箇所である。本曲は、TBS系のテレビドラマ「となりの女」(1986)の主題歌である。主題歌に採用されると、ドラマの視聴率に応じて、曲もヒットする。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。