ジュニアバレーボール界の重鎮が新たな世界へ。「いってらっしゃい。」合掌
「小林あつ子さんが2020年12月31日に新たな魂の世界に出発なされた。
私と小林あつ子さんとの出会いは、昭和59年に鎌倉玉縄小学校で藤沢スカイとの練習試合からであり、「ジュニアバレーボールは、かわいさがないといけないよ。」
と言われた。小学生バレーボールの真髄を教えてもらった。その後、東京の代々木センターでお会いした。群馬の倉賀野の監督さんとバレーボール談義をした。その時、みんなが持っている指導を子どもたちに教えようというアイデアを小林あつ子さんは述べられた。当時の倉賀野は、日本1のチームである。緊張して教えたことを思い出す。まだ東京ウインタスクールが始まっていないころのお話である。
次の再開は、チャイニーズタイペイが日本に来た時、神奈川県との交流をさせてもらった。「大変よい思い出である。」神奈川県最初の国際交流であった。秋葉台体育館で男子、女子が対戦。男子監督が今のシーガルクラブ芝田先生。女子は、私と村上(明治現片瀬小校長)近江(コンドル)で指導。チャイニーズタイペイのレベルに圧倒。海外レベルのバレーボールを子どもたちと共に体験できたことは小林あつ子さんに感謝。日本バレーボール協会国際部で英語通訳凄い。
東京ウインターキャンプに藤沢スカイが参加した。いつも「元気笑顔で迎えられた。」私も心がホットする。後半、藤沢スカイも団員不足が続き参加できなかった日々があった。東京都小学生バレーボール連盟の祝賀記念で会長代行で参加した時、小林あつ子さんと再会。「笑顔。おひさしぶり。」「私も再開できてうれしかった」
当時の日本バレーボール協会会長の松平さんにあわせるねと言われ緊張をしたが松平さんは話し中であったので話す機会はなかった。ジュニアバレーボールを松平さんに見せて「納得されて」今のジュニアバレーボールがあることを忘れてはいけない。
東京のウインターキャンプに参加してバレーボール談義。ジュニアバレーボールについてもご指導してくれたことを思い出す。笑顔のなかにもバレーボールに対する話になると目が厳しくなる。
ここ2年、藤沢スカイは東京ウインターキャンプに参加させていただいた。「小林あつ子さんと会えるなあ」と思ったが残念ながら私用で来られなかった。残念
藤沢スカイ20周年にも来てもらった。「うれしかった」当時の藤沢市バレーボール協会故橋本氏(元中央大学バレーボール監督)と楽しくバレーボール談義をしていたことが印象的であった。「笑顔が美しい」小林あつ子さんである。
「寂しい」が小林あつ子さんは、次の世界でも新たなチャレンジをしてバレーボールをしているであろう。いつまでも「優しい笑顔」でジュニアバレーボールの子どもたちを見守っていることだと思う。 「ありがとうございました」
小林あつ子さん「次のチャレンジへいってらっしゃい。」
チャイニーズタイペイ 藤沢スカイ20周年
東京都小学生バレーボール連盟式典