埼玉県行田市の忍城は、15世紀後半の文明年間にこの地を統一した成田氏が創築したという。

 

成田氏は室町時代に、関東管領の上杉氏に仕えて当確を現した。

 

その後、北条氏が関東一円に勢力を伸ばすと北条氏に従った。

 

しかし越後から上杉謙信が関東に攻め込むと謙信に臣従し、その後また北条氏に戻った。

 

1590年、豊臣秀吉が北条氏の領国に攻め込んだ(小田原攻め)。

 

忍城の守兵は500ほどと伝えられる。

 

忍城を攻めた豊臣軍の大将は石田三成。

 

秀吉は三成に、忍城を水攻めにするよう指示。

 

三成は堤防を完成させて、忍城はたちまち水没しそうになった。

 

しかし地形を熟知した成田氏は堤防を破壊して危機を脱した。

 

忍城は小田原城が落城した後も耐えつづけ最終的に和議によって開城。

 

江戸時代に入っても忍城は、江戸の北の守りとして、また利根川水運の拠点として重視された。

 

歴代城主の多くは、幕閣の要職を務めた。

 

忍城は、堅固な水城だったが、近代以降に堀が埋め立てられ、ほとんどの城壁を失ったようだ。