都城市郡元町の郡元西原遺跡から、平安、鎌倉時代に

日本最大の荘園として栄えた「島津荘」の役所跡と思われる

堀の一角が見つかったそうだ。


荘園の大規模な遺構が発見されるのは全国的にも珍しい

という。


都城盆地は平安中期、大宰府の役人だった平季基が荒れ

果てた土地約300ヘクタールを開発し、関白の藤原頼通に

寄進して島津荘が始まったとされる。


鎌倉時代にかけて急速に発展し、薩摩、大隅、日向三国の

半分以上を占める約8千ヘクタール超の大荘園となったようだ。


12世紀前半の古文書などから、都城市郡元付近に島津荘を

管理する役所があったと推定されてきたが、これまでの場所を

特定する遺構は見つかっていなかったそうだ。


今回、発見された堀は、非常に丁寧に造られているという。


島津荘という地名は、日向国諸県郡にあった島津院という場所を

中心に開発されたためと考えられる。


島津荘の下司職だった惟宗忠久が地頭職に任命されて後、

「島津」姓を名乗ったそうだ。


そうなると島津家の出発点は、今の都城市となるようだ。