さきの大戦中、「昭和の軍神、西住戦車長」と称えられた

西住小次郎陸軍中尉を顕彰する「西住公園」が、

生まれ故郷の熊本県甲佐町にあるそうだ。


国産初の戦車「八九式中戦車」の司令塔から身を乗り出す

顕彰像がこの公園の一角にたたずんでいる。


西住氏は大正3年に生まれ、陸軍士官学校に入学し、昭和

12年に支那事変が勃発すると、上海派遺軍として出征。


戦車第1連隊の戦車長として戦線に赴いたが、昭和13年、

徐州会戦で偵察任務に当たっていた折、狙撃され戦死。


享年24歳。


乗っていた戦車には千発を超す被弾痕があったと伝えられ、

やがてこの話をマスコミが一斎に報じ、「軍神」とたたえられたようだ。


顕彰像は、昭和53年の命日に建立され、現在も慰霊祭が営まれ、

70~80人が参列しているようだ。