今では地名として福岡県民に知られる大野城。


もはや城の姿は拝めないが、日本最古の山城として

「日本100名城」に選ばれている。


飛鳥時代、大和朝廷が朝鮮軍の防衛のために築いた

要塞の一つだったそうだ。


日本書記にも記録が残っているそうで、大野城は、

現在の大野城市と大宰府市、宇美町にまたがり、

東西約1.5キロメートル、南北約3キロメートル。


土塁や石塁の総延長は8キロメートルに及ぶという。


同時期に築かれた近隣の城も含めると、全周は

40キロメートル規模に。


古代には一体的に大宰府を守る狙いがあったことが

分かる。


大野城が戦場となることはなかったが、奈良時代や

戦国時代には同じ四王寺山に別の城が築城、たびたび

合戦の場となったようだ。


今では、四王寺県民の森や九州自然歩道が整備。


近年、往時の姿を伝えようという機運が高まり、歴史上の

価値を伝えようとする官民の取り組みに、期待が寄せられている。