柚樹はタカハシの話を聞きながら、
過去を思いだしていた。
2013年のクリスマス。
そのとき柚樹は母親と一緒にクリスマスパーティの準備をしていた。
残業で遅く帰ってくると聞いていた父親の好きな
ハチミツがたっぷりとかかったシフォンケーキに
柚樹が母親と一緒に買い物のときに「おいしそう」と思って
だだをこねて購入した四人はゆうに食べられそうなフルーツタルトを
食卓に並べ、着々と準備をしていた。
「はやくパパ帰ってこないかなぁ・・・」
「柚樹、だめよ。まだパパ帰ってきてないでしょう。」
柚樹は自分の身長では届かない食卓に対して背伸びをしながら
こっそりとケーキを食べようとしていた。
母親に見つかり、ばつが悪そうな顔をしていた。
それにしても父親が帰ってくるのは遅かった。
柚樹が待ちくたびれるのも当たり前である。
普段午後6時には帰ってくる父親が、現在午後10時になっても帰ってこないのである。
残業になったとしても、
遅くて午後8時には帰ってくる。
さすがに母親も気がきではなかったが、柚樹がいる手前、なんとか冷静を装っていた。
父親は、柚樹の誕生日プレゼントを買ってきて、はやくパーティの準備をしないと
ならないから寄り道をしないで帰ってくるとい聞いていた。
毎年のクリスマスは柚樹以上に父親が興奮をしていたのだ。
どんなプレゼントをあげようか、どんなサンタクロースに扮するかなど
柚樹以上にはりきっていた。
そんな父親が予定していた時間より少しでも遅れることがあったら、
必ず母親に連絡がくる。しかし、今回はなにも来ない。
一縷の不安が母親によぎる。
まさか、なにかあったのか。
「柚樹。ちょっとお母さん、連絡してくるね。」
「わかった。」
母親は携帯を持ち玄関に向かいながら父親の電話番号に電話を掛けた。
その手は汗でほんのりと湿っていた。
一方、柚樹は母親の心配をよそに、外に出るのを確認すると、
ケーキをどこまでがめたらバレないかを計算し始めた。
「トゥルルルル・・・」
電話を何度も掛けるがいっこうに出る気配がなかった。
おかしい。
母親は、父親も勤務先の上司に連絡をした。
「もしもし、笹谷ですが・・・」
「夜遅くにしつれいします。貴社で働いている近藤の妻でございます。」
母親の声には緊張が走り、緊迫した様子が電話先にも伝わった。
「どうかしましたか?」
「夫と連絡が取れないんです。」
母親はいきさつを話した。
父親と連絡が取れないことはほぼありえないこと。
残業で午後8時には帰ってくるということ。
上司の笹谷も相づちをしながら聞いていた。
「奥さん、確かに近藤さんは午後7時に残業を終えて、勤務カードをきっています。」
「では、今は会社に残っていないということですね?」
「はい、そうなります。」
笹谷の答えに母親はがっくりとうなだれ、目にうっすらと涙を浮かべた。
「もしかしたら、彼と最後に話した栗原くんだったら何かを知っているのかもしれない。」
「栗原・・・さんですか?」
「ええ。今から番号を教えますので連絡してみてください。」
母親は笹谷が提示した電話番号を書留めた。笹谷は申し訳なさそうに電話を切った。
そして、母親はすぐさま栗原の電話番号をかけた。
「もしもし、栗原です。」
「栗原さんですか・・・!」
母親は栗原に望みをかけていた。栗原が何も知らなかったら、もはやなす術がない。
笹谷と同じように、今までの概要を説明した。
すると栗原は不思議なことを教えてくれた。
「私、今日たまたま近藤課長と帰りが一緒だったので、話しながら社内をでたんです。
そしたら階段で2階から1階に降りてたときに、『グオシャアアアアアン』っていう大きな音が
鳴ったんです。」
「それは、笹谷さんから伺いませんでした。」
「おそらく、それは皆さんがいた階層が高かったからです。私たち普段5階で仕事しているので、
ちょっとの揺れじゃ地震ぐらいにしか思わないです。あと、防音なので音は聞こえにくいですね。」
「そうなんですね。」
母親の緊迫した様子に栗原は慎重に言葉を選びながら使用していた。
そして、プレッシャーをはねのけるように、栗原はひと呼吸つくと続けた。
「私たちは急いで駆け下り、外を見ました。」
「何があったのですか?」
「・・・、標識です。」
「標識!?」
母親はあぜんとした。
なぜ、標識が倒れているのか。
その日は風一つない穏やかな天気だったというのに!
「標識は半円状に曲り、私たちのビルの出口を塞ぐように倒れていました。
別にくぐれば通れない訳ではなかったのですが、
ちょっと体型が大きい笹谷部長なんてどう考えても通れそうにありませんでした。」
母親は息を飲んだ。
「そして、近藤課長は言ったんです。
ちょっとこれをどけてから帰るから、先に帰っていて、と。」
「それであなたは先に帰ったんですか?」
「はい。一応女性なので、力不足で邪魔になるかと思い・・・。
でも、心配だったので10分後にまた戻りました。そのとき・・・」
「そのとき?」
「『うわあああ』という近藤課長の声が聞こえたんです。私は急いで走って戻りました。」
「夫に何があったんですか!?」
「消えていたんです・・・。」
栗原は自信がなさそうにつぶやいた。
「消えていたって、先に帰ったとかではなくて?」
「はい。悲鳴が起きた後、すぐに駆けつけました。
標識は出口から1M以上離れたところにありました。
そして標識のすぐ隣に近藤課長の鞄が置いてありました。」
「・・・。」
母親は絶句した。
倒れた標識に忘れられた鞄。
もしかして彼女は父親が標識の中に吸い込まれたとでも言うのか。
「あなたはどうお思いですか、栗原さん。」
母親は栗原を責め立てるように聞いた。
「わたしにもわかりません。ただ、私が見た事実はこれだけです。」
「そうですか・・・。」
栗原にお礼を言い、玄関を開けて外から帰ってきた。
それをみてすかさず柚樹が母親めがけて走ってきた。
「ママ、大変だよ!人が消えてる!」
「え・・・!?」
口の周りにケーキをべたべたと付けている柚樹に注意もせず、
母親は柚樹の指すテレビへと目線をやった。
「えー、こちら東京都千代田区です。
あちらこちらで標識が倒れています。」
「標識近辺では人がいなくなったという情報が続出しています。」
テレビでは、どのチャンネルにまわしても、
同じ放送ばかりであった。
「何これ・・・、もしかしてパパも・・・?」
母親は力が抜け、がくりと膝を床に着けた。
絶望的な顔を母親はしていた。もはや動揺を隠せなかった。
「パパもって、どういうこと?ママ?」
柚樹はこわごわと母親に尋ねた。
母親は柚樹の目をしっかりと見て答えた。
「柚樹、いい?これからパパは遠い場所でお仕事をするんだって。
だから、パパが帰ってきたら、うーんと優しくしてあげてね。」
「・・・?うん。わかった。」
母親と柚樹が二人してニュースを眺めた。
鳴り止まないキャスターの声が母親の耳から離れなかった。
そして、その日の夜、父親は帰ってこなかった。
あれだけ力をこめて準備した晩食は、二人で粛々と食べた。
5年経った今でも柚樹の父親は帰ってこない。
TO BE CONTINUE
