こんにちは!aikoです。
本日はブログにお越しくださり
ありがとうございます
前回は自分と高次存在の関係性を考えたお話でしたが
今回はその続きとなります。
前回のブログはこちら
少し前までの私は
ガイド存在が自分よりも上だと思っていて
ガイド>>>>>私
という図式で生きていたのですが
見えない世界を考察したり
自分なりに色々と体験した結果
ガイド=私と考えるようになりました。
というか
この世界にいる全ての生命体は等価値だよな~
と感じるようになったのですが
なぜ、以前の私が
ガイド>>>私という図式になったのか
その思考になった原因はどこから来ているのかを
考察してみたんです。
そして至った結論としては
自己肯定感の低さでした。
毎度毎度、この問題にぶち当たるので
またここか…!!と思いましたが。
でもですよ。
これは完全に言い訳になりますけど
自分にできない事が出来るなんて
そんな存在は凄いと思うじゃないですか
だったら、出来る人にやってもらおう
分かる存在ににお任せした方が確実でしょう!
となるのは致し方ない部分もあったのでは…とか
思ったりもしたんですけどね。笑
とまあ、それは一旦置いておくとして。
私は物心ついた時から
ファンタジーの世界が好きで
それ系のアニメや漫画が大好きでした。
(というか現在進行形で今も好きですが)
そこには魔法が当たり前に存在しますし
ドラゴンとか精霊とか
見たこともない素敵な存在がたくさんいるし
こんな世界が実際にあったらなあ〜。
と想像する夢見がちな子どもだったんですけどね。
アニメの世界では
ドラゴンも精霊も強くて偉いパターンが多いので
「こういう存在は人よりも凄いのだ」と
と思いながら大人になりました。
そして、スピの世界に足を突っ込んで
高次元のガイド存在というものを知り
アニメの世界で見ていた存在が
この世界に本当に存在するかもしれない。
更には自分のガイドになってくれるかもしれない。
という事を知ったら
過剰に憧れが爆発してしまったんですよね
なので、例えばですが…
アニメの世界で強くて偉かったドラゴンが
自分のガイドになった場合だと
あの素晴らしい存在が
私のガイドに付いてくれたなんて!!
みたいな状態なので
ドラゴン>>>私
という図式がナチュラルに完成してしまう訳です。
(分かりやすいのでここではドラゴンにしていますけど、あくまでも例えです)
これは当時は無意識でしたけどね。
やっぱり幼い頃からの二次元の積み重ねが
憧れに拍車をかけていたのはあると思います。
そして、ちょっと話は逸れますけど
日本って八百万の神がいると言われるように
日常生活の中に信仰があるじゃないですか。
なので、日本に暮らしていると
目に見えない存在に敬意を払う心が
自然に根付くという側面があると思います。
そんな訳で…
①アニメの世界で培った思考
②日本の見えない存在へ敬意を払う文化
③元々持ち合わせている自己肯定感の低さ
これが絶妙にミックスされた結果
ガイドに憧れる痛い女が
爆誕してしまったのですよね…!!!
これ、書いていて結構恥ずかしいんですけども(笑)
そんな自分の黒歴史を振り返りながら
じゃあ、どうしたら良かったのか?
という事も考えてみました。
前述した日本に根付いている
『目に見えない存在に敬意を払う』文化は
やっぱり好きなんですよ。
あと、アニメの世界で感じたワクワクや
自分の元になっている心は
否定しなくても良いだろうし。
私のスピの素地はほぼ二次元世界から来ていると思ってますし。
自分自身の変化を見ても
ガイド=私という図式になってからの方が
むしろガイドへの感謝と尊敬は増しているんだよなあ。
と言うか、相手が高次元の存在であろうが
自分と同じ人間であろうが
はたまた小さな小さな動物でさえも
等しく敬意を払うべき存在なのだよなぁ…
とそこまで考えていて思ったのが
相手に敬意を払うのに
なぜ私は自分の価値を下げたのか?
と言うことでした。
そうなんです。
お互いに同じ立場で敬い合うことは可能なので
わざわざ自分を下げる必要性なんてなかったんですよね。
あなたは素晴らしい存在です。
そして私も素晴らしい存在です。
それで良かったじゃん!!と。
やっぱり問題は③の自己肯定感の低さでした。
あと、これを自分で言うのも何なのですが…
スピやファンタジーが元々好きで
心のどこかに純粋だったり正直な所があって
過去世で繰り返し神事をやって来たタイプの人は
この罠にハマりやすいのかもしれませんね〜
そして、ブログを書きながらハッとしたのですが、
自分を卑下してガイドを尊敬していたということは
その逆も然りなはずなんですよね。
だから、私は自分を下げる一方で
「私より下の存在」という目線があったのだ
そう言う目線で他の存在や生命体を見ていた
自分がいたのだな、とも思いました。
自分を卑下して相手を尊敬したり
その逆をやっていると
エネルギーも等価値でなくなりますし
どこかに歪みが発生するんだと思います。
それはお互いに健全ではないですしね。
全てをフラットにして
澱みなく歪みなくエネルギーを循環させながら
お互いに関わり合うことって
案外大事なのかもな〜と思いました。
とは言え、それぞれの領分はあるでしょうし
お互いの概念が同じとも限らないので
同じだけど違う存在だと理解したり
相手に合わせた方法で尊敬を伝えるとか
そういうバランスも必要だと思いますけどもね。
さて、何やら長くなってきましたが
冒頭の『自分にできない事が出来る存在が凄いと思う』
という点を放置している事に気づいたのでもう少し続きます。
それでは、本日はお付き合いくださり
ありがとうございました