こんにちは!AIKOです。

 

 

本日はブログにお越しくださり

ありがとうございます。

 

 

 

ここ最近、界隈でちょっとバズっている(?)

吉本ばななさんのnote記事を読みました。

 

 

 

その記事はご家族がテーマになっていて。

 

主に、お母さんとお姉さんと

どんな風に関わって生きて来られたかが

書かれていました。

 

 

 

有料記事ですし

あまり詳しく書くのは控えますが

まあ衝撃的な内容ではあり。

 

 

 

私だったら多分無理だろうな…というような

エピソードがてんこ盛りだったんですが。

 

 

 

でも、それを読みながら

私が少女だった時代の

何かが癒されていくような感覚があり。

 

 

さらに、現在の私にも

癒しが届けられているような

そんな感覚になりました。

 

 

 

 

 

 

 

私は、母との折り合いが良くありません。

 

 

 

別に仲が悪いわけでもないし

憎み合っている訳でもない。

 

 

 

母からしたら

私がそう思っていることも

気付いていないかもしれない。

 

 

 

でも、ただひたすらに「合わない」。

 

 

そして、それはダメなことだと思って

今まで生きてきました。

 

 

 

 

母は普通の人間です。

 

 

 

私を生んで育てて

きちんと衣食住を提供してくれて

虐待とかもなかったし

いわゆる毒親でもありませんでした。

 

 

何か決定的な事件があって

「合わない」と感じたとか

そういうこともないです。

 

 

 

そうなんです。

別に何があるという訳ではない。

 

 

 

なのに、どうしても合わない。

その理由が分からない。

 


 

何がこんなに嫌なんだろう?

私って超冷たい娘じゃない?と

ここ数年ずっと悩んでいました。

 

 

 

 

 

 

そもそも「合わないなあ」と

気付くようになったのも

わりと最近のことで。

 

 

 

それまでは

母と合わないということにすら

気付いていませんでした。

 

 

なぜなら、エネルギー的に

ガッツリ同化していたからです。

 

 

 

生まれてからずっと

オートで供給され続けてきた

母のエネルギーを

 

私は「自分のエネルギー」だと

思いながら生きていました。

 

 

 

それが沁み込んでいるので

「合わない」ということや

 

それが母のエネルギーであって

自分とは異なるエネルギーであると

気付くことすらできなかった。

 

 

 

それはまあ、仕方がないことです。

母から遺伝子やら血やらをもらって

私は生まれた訳ですから。

 

 

 

でも、色々なエネルギーワークをしたり

自分を取り戻していく中で

ああ、私ってこの人と合わないんだ。と

やっと気づきました。

 

 


しかし、気づいたらのはいいけど

母だし親だし育ててもらったのに

こんなことを思ってはいけないと

葛藤する日々。

 

 

 

でも、エネルギーが変われば変わるほど

自分らしく生きようとすればするほど

私と母の距離は開いてしまう。

 

 

 

 

 

 

そんな中、前述したばななさんの記事に

出会いました。

 

 

 

そこに書かれている

お母さまのエピソードは

なんとも衝撃的な内容もあり。

 

決してディスっている訳ではないです。

ばななさんの小説にはいつも助けられて来ました。

何とも言えない不安を抱えて生きていた時代の私を、小説という命を通して支えていただきました。

 

 

 

比べるものではないだろうけど

それと自分の母親を比べたら

まあなんとマイルドなことか…!

という感じではあるんですけどね。

 

 

 

でも、私の何十倍も何百倍も

大変だったであろう

 

ばななさんとお母さまの

エピソードを読んでいたら

ふと気づきました。

 

 

 

私、思ったよりも傷ついてる。って。

 

 

 

凄く大きな傷は無いにしろ

細かい小さな傷が

何個も、何百個もついてるじゃん、って。

 

 

 

例えて言うなら…

 

 

ばななさんの傷が

大剣でドーンと切られたような

大きなものだったとしたら

 

 

私は、コピー用紙の端っこを

皮膚にあてがわれて

エンドレスで擦られているみたいな

小さくて気づきにくい傷で。

 

 

 

でも、あのコピー用紙が

ふいに腕にサッとあたってしまって

皮膚が切れるのって地味に痛いんですよね。

 

 

 

しかも、往々にして

それは悪意があってやることではなくて。

 

 

 

相手からしたら

たまたま持っていたコピー用紙が

私の腕にあたってしまっただけで

切れたことにも気づいていない。

 

 

 

私も、まさか紙が自分を傷つけるなんて

思ってもいないから気付かない。

 

 

 

私の傷って

そういう傷だったのかもなーと。

 

 

 

傷付いている自覚がなくて

根本からズレていたので

なぜ合わないのかも

分からなかったのかもしれません。

 

 

 

なので、まずは「私は傷ついていた」

と自覚するところから。

 

 

 

そして、相手の意思はどうあれ

「傷を傷として認めていい」

「私が傷だと感じたらそれは傷だ」と思う

自分を許すところから。

 

 

 

そこからリスタートしてみようと思いました。

 

 

 



 

 

しかし、これを書きながら

私の場合はなんでコピー用紙だったんだろう?

 

なぜもっと分かりやすい

大剣ドーン!的な出来事が

トリガーにならなかったんだろう?と

考えたんです。

 

 

 

そこで浮かんだ理由が

私の場合はその方が効果的だったから。

 

 

 

私の繊細さと良心を逆手にとって

傷なんてつかなそうな

パッと見は普通の出来事の中に

たくさんのコピー用紙を仕込んで

地味にじわじわと責める。

 

 

 

分かりやすく切りつけるのではなく

そういう攻め方をした方が

効果的だし持続性があったから。

 

 

そして、あなた(私)の場合はそれくらいでも

ちゃんと効果が出るでしょ?と。

 

 

 

なるほどなー!と思いましたよね真顔

 

 

何となく、ばななさんが繊細ではないと言っている風に見えますが、そういうことではないです!!

ばななさんって、とんでもなく繊細な方だよなーと思いますし。

繊細の種類が違うという意味で捉えていただければと。

 

というか、ばななさんの場合は、大剣ドーン!の数が私のコピー用紙の枚数をはるかに上回っていたのでは…?とも思いますし。

 

 

 

 

あとね、何ならそのコピー用紙は

相手からしたら「愛を綴った美しい紙」だったり

するんだと思うんです。

 

 

もっと言うと

そこに書かれた「愛の詩」は

私が使っているのとは異なる言語で

書かれているかもしれません。

 

 

 

お互いに「愛」を語っていても

言語が違ったら

相手の言っていることが分からないので

「合わない」のは当たり前すぎる。

 

 

 

ただ違う。だから合わない。

 

 

 

案外、そういう単純な理由で

いいのかもしれません。

 

 

 

 

 

それでは、本日はお付き合いくださり

ありがとうございましたニコニコ