こんにちは!AIKOです。

 

 

 

本日はブログにお越しくださり

ありがとうございますニコニコ

 

 

 

母シリーズの続きを書いて参ります。

 

 

 

これまでのお話はこちら下矢印

その1:自己治癒の必要性に気づく

その2:思いがけず 幼い自分に再会
その3:「小さきもの」を育てるスタンス

 

 

 

ここでちょっとブレイクといいますか

そもそもの今のスタンスを

書いておきたいと思います!!

 

 

 

私には子どもはいません。

 

 

 

なので、そもそも母の気持ちは分からないし

母がどれだけの愛や苦労や時間や

色んなものをかけて私を育てたかを

理解する努力はできても

完全に理解することはできない。

 

 

 

前回のブログで書いたような

「雑ー!!」と感じる育児をされたのは

今考えてもやっぱり嫌ですけど

そうせざるを得なかった背景があったのは

大人になった今では分かります。

 

前回の話ですが、母だって長電話したい時があるのはあたりまえですし。

私が母の立場でもお菓子を与えて黙らせる(←言い方!)とか、やると思いますもん。


 

 

あとね、以前子どもと関わる

仕事をしていた時に

 

子どもって本当にかわいいし尊いけど

この生命力あふれていて

一瞬も目を離せない生き物が

ずっと家にいるって大変すぎない…!?

親ってすごい。私多分無理…!!

 

と思ったことがあります真顔

 

(だから子どもがいないという訳ではないが)

 

 

 

その時に感じた

「親ってすごい」の気持ちがあるので

子どもを育てている方に対する

根本的な尊敬があります。

 

 

 

なのですが、

今回のシリーズを書くにあたり

自分の気持ちを吐露していると

 

私の事情ばっかり書いてるなー

母も超大変だっただろうに…とか

もしも親の立場の方が読んでらっしゃって

辛くなったりしたら…とか考えてしまって。

 

 

更に、今日書く内容がまあまあ重くなるかも?と

危惧したこともあり。

 

 

 

いや、私による私のためのブログなので

本来は気にしなくていいはずなんですけども!!

 

 

 

今回ひたすら自分側の立場から

気持ちを書くにあたり

補足と言う名の言い訳を挟んでみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、続きに入ってまいります。

 

 

 

前回のブログでは

母と実家のワンちゃんとの関わりから

気付いたことを書いたのですが

ブログを書きながら

数年前のエピソードをふと思い出しました。

 

 

 

私がワンちゃんを抱っこしていた時のことでした。

 

 

 

私はもともと動物が好きですし

一緒に住んでいないとはいえ

家族のようなもので

その子がかわいくて仕方なくて。

 

 

 

自分の愛を伝えたくて

ギューっと抱きしめて撫で撫でしたり

「かわいいねー」「大事よー」と

声をかけたりしていました。

 

 

 

そんな我々の様子を見ていた母が

ふと言ったんです。

 

 

 

AIKOはそういうの上手だよね。

私は“そういうこと”できないの。

 

 

 

その時は、「ふーん」位にしか

思わなかったんですけども。

 

 

 

今思い返してみると

“そういうこと”を母がしているのって

見たことがないかも…?

 

 

 

母が言う“そういうこと”って

私からしてみると

相手に愛を伝える方法であり

 

こちらから愛を送ることで

エネルギーの相互関係を

構築するものでもあります。

 

 

 

何よりも

こんなにもかわいくて尊い命に対して

愛を送らないなんて無理ー!

みたいな感じなんです。

 

動物が苦手な方は、ご自身が超好きなものを代わりに思い浮かべていただければと…!

 

 

 

なので、てっきり皆そんなものだと

思っていたのですが

もしや母はそうではなかったのか…と。

 

 

 

そこで、歴代のペットに対する

母の対応を思い出してみました。

 

 

 

 

すると、それなりに可愛がっている姿は

思い出せました。

 

 

 

でも、何かが違うんです。

 

 

 

母は犬を間違いなく可愛がっていたし

愛して大切にしていた。

 

でも、根本的な『何か』が私と違う気がする。

 

 

 

それが何なのかが分からず数日間考えました。

 

 

 

image

 

 

 

数日考えて辿り着いた結論。

 

 

それは、母の可愛がり方の前提には

「きちんとお世話する」がある

ということでした。

 

 

 

ご飯をあげる、お散歩に行く

清潔なトイレや寝具を用意する

毛が伸びたらトリミングに行く。

 

 

 

そういうお世話を通じて

愛を伝えたり大切にしている

様子がありました。

 

「きちんとお世話」と言いつつ、お世話の手法には「ざ、雑ー!!」と感じるものも多々ありましたけどね。

表現に矛盾があって分かりづらいのですが、総じて「やるべきことはきちんとやっていた。(手法と精度はどうであれ)」というニュアンスで捉えていただければと。

 

 

 

 

しかし、その一方で

愛溢れる様子で犬を抱きしめたり

大事そうに撫でたり

声をかけたりしているのは

見た記憶がありませんでした。

 

 

 

そうか、母にとっては

手をかけて時間をかけて

不足なくお世話をすることが

 

相手を大切にする方法であり

愛だったのかもしれないなーという

考えに至ったんですが…

 

 

 

そこで気づいてしまったんです。

 

 

 

これ、私に対してもそうだった。

 

 

いつでもちきんとお世話してもらった。

だから愛されていることを疑わなかった。

 


でも、お母さんから

ギューっと抱きしめてもらったり

大好きよー、大事だよーって

声をかけてもらった覚えがない。

 

私が犬に愛を伝える時にするような

“そういうこと”をされた覚えがない。


 

 

それに気づいたものの

いやいや、そんなことあるか?母親だぞ?

 

私が母を責めたい一心で

都合よく忘れてるだけじゃない??と

真剣に思い出そうとしました。

 

 

 

最古の記憶である3歳あたりから

繰り返し記憶を遡ってみたけど

やっぱり思いつかなくて。

 

 


 

あー、これはもしかして、もしかすると。

 

 

 

私は自分が欲しかった形式の「愛」を

もらわないまま大人になったのでは?

 

 

だとしたら結構やばくない?

 

 

そして、本当にそうだとしたら

自覚している以上に自己愛低いんじゃない?

 

 

 

…という結論に行きついてしまいました。

 

 

 

ここで、一応言っておくと

母なりの愛を与えてくれた記憶も

きちんとお世話をしてくれた記憶も

バッチリあります。

 

なので、毒親ではないし

もちろん虐待をされたとかでもないです。

 

 

 

でも、私が多分欲しかったのは

「きちんとしたお世話」ではなくて。

 

 

 

ただ、ギューっと抱きしめて

大好きよー、大事だよーって

言ってもらいたかった。

 

 

 

世間と比べてどうとか、常識がどうとか

そういうのはどうでも良くて

私という存在そのものを

ただ肯定してほしかったんだと思います。

 

 

 

 

 

 

そんな訳で、長年気付かなかった

母と私の「愛」に対するスタンスの違いに

気付いた私でありますが。

 

 

 

これって、見ようによっては

超重い話になりそうですが

 

書きながら母を恨む気持ちも

一切出てきませんし

案外ケロりとしている自分がいます。

 

 

 

うーん、何でだろう?笑

 

 

 

母シリーズの初回で書きましたが

この時の方がよっぽどダメージが

あったんだよなあ…。

 

 

 

あと、前のブログにも書きましたが

お互いに「愛」を表す言語が違っていたら

「愛」が「愛」だと伝わらない…

という所がスタート地点なので

 

今回の気づきで

相手の言語を少し理解できたので

じゃあここからどうするかなーと

次のフェーズに一歩進んだからかもしれません。

 

 

 

そして当たり前の話ではありますが

「きちんとお世話する」って

ものすごーーく愛だと思うし

愛がなかったら絶対できないですもんね。

 

いつでも食事や清潔な衣服や色々なものを準備してくれましたし。

忘れ物をすれば学校まで届けてくれて、お弁当も毎日作ってくれて、迎えに来てーと言えば「はいはい」と来てくれる。我ながら過保護に育てられたし、私はわがまま娘だったなーと思います。

 

 

 

 

とはいえ、自分が思うような「愛」が

不足したまま成長したのは

紛れもない事実なので

 

恐らく、自分で気付いていない部分や

潜在意識・インナーチャイルドちゃんは

ガリガリに傷ついているでしょう。

 

 

 

あと、これはもしかしたらですが

そういう愛をもらって育った子と比べた時に

一部分だけとんでもない何かが

ポッと抜けていたりするのかもしれない…

とも思います。

 

 

 

そこをどうやって発見して

補填して行くか?が今後の課題になりそうです。

 

 

 

 

 

最後にちょっと話がズレるのですが…

 

 

 

私って自分が欲しかった「愛」を

母からもらわず育ったわりには

割と素直に育ったよなーと。笑

 

 

 

いや、自分で言うなよ…!と

我ながら思いますけども!!!笑い泣き

 

 

 

自己愛が低い自覚はありますが

超絶性格がひねくれ曲がるとか

盗んだバイクで走りだしたりとかは

無かったよなあーと。

 

盗んでないバイクで走りだしたことはあるけど。(大人になってからね)

 

 

 

 

思い返せば、幼少期は大家族で

大人が家にたくさんいて

家の中で一番小さい生物だったので

ちやほやされていたのと

 

父が母と真逆の人(愛溢れているけど実働はしないタイプ)だったので

人生プランが破綻しない程度に

良きタイミングでトリガーが発動する程度に

バランスがとられていたのかもしれません。

 

 

 

なんというか、それもギフトですよね流れ星

 

 

 

ツラツラと書きましたが

結局のところ世界って愛でできているし

それに気付かせてもらって

ありがたい気持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

長くなりましたが

母シリーズこれにて終了です。

 

 

 

ここまでお付き合いくださり

ありがとうございましたニコニコ