こんにちは!aikoです。

 

 

 

本日はブログにお越しいただきまして

ありがとうございますニコニコ

 

 

 

昨日、会社のお昼休みに買い物に出たのですけどね

横断歩道で信号が変わるのを待っていたら

足元に鳩が2羽トコトコ歩いてきました。

 

 

 

羽根がふくふくしていてかわいくてラブラブ

 

 

こんなに小さくても命が入っているんだよな。

何て愛おしいんだろう。生命って素晴らしいよなあ…

とか思っていたのですけどね。

 

しばらくすると

片方の子が車道に出て行ってしまったんですよ。

 

 

そこ車道だよ!危ないよ~!!と思って見ると

そこには木の実が落ちていました。

 

そして、木の実に気づいたもう一方の子も

同じように車道へ出て行って

2羽で木の実をつついていて。

 

 

 

私は、そんな無邪気な鳩たちを見ながら

そっち側に行くと危ないよ~!

車が来るかもしれないよ~!!

とハラハラするしかありませんでした。

 

 

 

結果的に車は来なかったので

大丈夫だったんですけど

その一連の流れを体験しながら思いました。

 

 

 

これって

ガイドが私たちを見ている視点っぽいなあ~と。

 

 

 

鳩を見て愛おしいな~と思ったり

無邪気にフラフラ~っと危ない場所に出て行くのを

ハラハラしながら見守ったり。

 

結果的に無事だった事に安心したりね。

 

 

 

きっと、ガイドもこんな気持ちで

私たちを見守ってくれてるんだろうな。

 

 

目先の事しか見えておらず

フラフラと危ない場所に出て行く私を見て

『この子ったら…!!』とか

思われているんだろうな…と。笑

 

 

 

そんなことを想像しつつ
私がこの子たちのガイドだったら?

という事も考えてみました。

 

 

 

車が来るかどうか分からないレベルだったら

木の実よりもおいしいご飯を準備して

歩道に呼び寄せるかもなあ。

 

でも、すぐそこまで車が来ていて

緊急的に退避が必要な時は

大きな音をたてて驚かせて
強制的に場所を移動させるかも?

 

 

 

ガイドのサインって普段はソフトだけど

強制的シャットダウンがあるのって

そういう事なのかも!!とか考えたら

中々に興味深かったです。

 

 

 

 

 

あとね、人間・鳩・ガイド視点で

色々と考えていて行き着いたことがありました。

 

 

こと人間社会においては

私たち人間は鳩たちよりも認識できる部分が多いので

どの場所が危険なのかが分かります。

 

もちろん自然界に入ったら鳩たちの方が認識できる領域が広いのでしょうけどね。飛んで移動もできるし。

そもそも、鳩ちゃん達からしたら「車が来ないことは知ってるよ~」という感じで余計な心配だったかもしれませんが。笑

 

 

 

今回の場合の『木の実がある車道』については

人間視点では"車が来る危険な場所”だけど

鳩視点では"ご飯がある素敵な場所”な訳です。

 

 

 

どちらも真実ではあるのですが

見えている領域によって真逆になる。

 

 

 

私が鳩たちよりも多くの物が見えていて

事前に危険察知できるのだとしたら

『良き方向に導きたい』と思うのは当然だよな。

 

そして、それってどちらが凄いとか偉いとかではなくて

ただ単に立場といる場所の違いだよな~と。

 

 

 

つまり生命体の価値として

鳩=私 であって 

ガイド=私 なのですよね。

 

 

 

サポートする側もされる側も

お互いに等価値という事です。

 

 

 

ガイドが人間には見えない領域が見えていて

人間よりできる事が多かったとしても

本来は『ガイド>人間』ではないんですよね。

 

 

 

更に、ガイドのレイヤーが上がれば上がる程

その色が濃くなって行くのだろうな、と。

 

 

ある程度の所まで行ってしまえば

全ての生命は同じという事を知っているというか

もはやそれはそうなのだとしか

言いようがない世界でしょうし。(知らんけど)

 

 

だから、逆に人間からしたらシビアな面もあるというか

こちらの概念が通じなくなって来る部分もあるし

どのあたりの塩梅がいいのかは

まあ色々だとは思うのですけどね。

 

 

 

 

 

ちょっと話が逸れましたが…

 

 

 

なぜこんな話を書いているかと言うと

少し前までの私は

ガイド>>>>自分

という図式だったからです笑い泣き

 

 

 

その時の私は

高次の存在は私より優れているし素晴らしいのだ。

私はちっぽけな人間でしかないのだから

ガイド様の意向に沿って私を使っていただこう。

みたいな思考でした。

 

 

 

今思うと、めちゃくちゃ危ないですね真顔

(だから色んな存在のお使いにされたり、ガイドじゃないガイド存在がスッと入って来たりしたんだろうなあ)

 

 

 

でも、目に見えない世界を考察して行くうちに

この世の生命に上下なんて無いと思うようになりました。

 

 

ガイド存在からしてみても

そんな事は当たり前なのだろうし

過度な尊敬もきっといらないんです。

 

とは言えガイド・高次存在といっても色々な方がいるので、祈り・敬意が必要なタイプもいると思います。

人の祈りによって地球に存在している方もいるでしょうし。それが良い悪いではなくてです。

先祖系ガイドにはご供養が必要ですしね。

 

 

 

それに気づいたもので

ガイド存在に感謝と敬意はありますが

ガイド様~!!みたいな

気持ち悪い感じのはなくなりました。笑

 

 

 

自分の黒歴史でもあるので

ちょっと恥ずかしいんですけどね!!笑い泣き

 

 

 

そして、私がなぜこうなったのかを

色々と考えてみたのですが…

長くなって来たので続きます。

 

 

 

それでは、本日はお付き合いくださり

ありがとうございまいしたニコニコ