こんにちは!aikoです。
本日もブログにお越しくださり
ありがとうございます
先日「宙わたる教室」というドラマを見ました。
定時制の高校が舞台になっていて
そこに通う様々な年齢・境遇の生徒たちと
科学部顧問の教師のやり取りを描いたドラマです。
詳しくは公式サイトをご参照くださいませ~。
その生徒の中にイッセー尾形さん演じる
長嶺さん(76歳)という方がいます。
長嶺さんは中学校を卒業した時に
勉強をしたい気持ちはあるのに
高校へ進学することができず
集団就職で東京に出て来たそうです。
上京した日の事を思い出しながら
長嶺さんはこう言いました。
上京する列車を見送りに来た
中学校の同級生たちは
みんな高校に進む奴らだった。
あいつらは勉強が嫌いで自分は勉強がしたいのに。
「お前たちには絶対に負けない」と
心の中で叫びました。
思えば私の原動力は『怒り』だったかもしれません。
そのシーンを見ながら妙に心が動きまして
私を動かしている原動力は何だ?と
考えるきっかけになりました。
自分を突き動かしているものを知れば
今後の行動がしやすくなりそうだし
自分への理解が深まるかもなぁ…と思ったんです。
世間一般的に言われている感情の種類としては
喜び・悲しみ・怒り・恐れあたりが
メジャーなのでしょうけど
正直どれもピンと来ませんでした。
※感情の種類は諸説ありますが
自分の内側を見ながら分析していったところ
ポーン来たワードは『探求心』でした。
え?探求心!?と思ったもので
更に探っていったところ
こんな感情が湧き出て来ました。
私はこの世界の仕組みを知り理解したい。
その中で人が人として生きる意味が知りたい。
人の心が何に反応し、どう進化していくのか
人にどんな可能性があり
この世界にどんな作用を及ぼすことができるのか。
それを探求したいのだ!!
という、感じだったのですが…
この世界と人に対する
探究したい圧がめちゃくちゃ強くて
ど、貪欲すぎない!?とちょっと引きました
でも、なるほどな〜と思う部分もあったんです。
私は数年前から、自分のスローガンを
『人生ネタ作り』に設定しているのですが
そこに至った理由は色々あるものの
生きている間に何でも経験してみて
それを糧に、自分という人間を研究したいんだよな~
という想いが強くなっていたという事があります。
私は人生の酸いも甘いも全てネタにして
ネタを分析したり内観したりして
面白くおかしく晒しながら
生きて行きたいんですよね。
一応ですが…全力で笑いを取りに行っている訳ではなく
自分の気付きや体験が、いつかどこかの誰かの為になれば…と思ってやってます。
アホな事やってるな〜と笑って元気になってもらえたらそれはそれで本望ですけども。笑
その人生ネタづくりスタンスと
今回感じた探究欲がハマったというか
この探究欲を満たすためには
自分を被験者にするのが一番手っ取り早いもんなあ!
と思いました
それでですね…
この『探求心』を基礎的な感情に置きかえると
何になるのだろう?と考えました。
人の感情って、表に出ているものを探って行くと
実は別の感情が根底に隠れていたりするんですよね。
今現在の私の場合は
何かを探求して知識を手に入れる事で
魂が震えて喜ぶのだから『喜び』になるのかな~
と思いました。
でも、それって
長嶺さんの『怒り』と比較した時に
どんな違いが生じるのだろう?
原動力の種類によって行き着く先は違うのか?
後に残るものが変わるのだろうか?と。
一見、喜びというポジティブな方が
良いように見えるのですが
怒りを否定するのは違うし
それはただのふんわりスピだと思いました。
怒りからしか始まらないことや
怒りでしか行き着けない場所もきっとある。
私自身もダメンズを相手にしていた時は
怒りが原動力になっていました。
ダメンズの種類は色々ありますけど
シンプルにお金にも女性にもだらしがないタイプのダメンズだと思っていただければ。笑
というか、上述した4つの感情のうち
悲しみ・怒り・恐れを複合したパターンで
動いていた記憶があります。
じゃあ、これを喜びに置き換えていたら
どうなってたかな?と想像してみました。
普通に考えて絶対無理でしたけど
自分を最上級に封じ込めて
全てを受け入れてあなたを愛します~
それも私の探求心なので~
とか無理やりやったとしたら…
自分の精神が崩壊する結末しか見えなくて
ちょっとゾッとしました。
あの時、怒りを原動力に動いていなかったら
自分を保っていられなかった。
怒りって意味自分を守る手段でもあるんだな。
怒りたい時は怒って良かったんだ!!
と思いました。
あとね、当時の感情や出来事が黒歴史すぎて
人生の学びではあったものの
次に進むには重たすぎるから
置いて行こうと思っていたんです。
なのですが…
このブログを書きながら気づきました。
あれは貴重な自分の研究結果だ。
だから置いて行く必要はないし
あの体験は私にとって必要だった。
その体験も感情もまるっと受け入れて
研究結果としてまとめて持って帰ろう!
どこまでも探求に貪欲~!!と思いましたが
でも、宇宙が始まる時には
喜びや調和しかなかったので
物足りなくなった宇宙は分離してしまった…
という説もありますし。
単純な喜びだけではなくて
怒り・悲しみなどのネガな部分もマージして
上手い事持って帰ってあげないと
宇宙は満足してくれない気がしているんです。
ちょっとうまく言えないのですが
同じ光を目指すにしても
真っ白だけが正義という事でもなくて
一旦底まで落ちてみて、
底を経験して這い上がって見えた光は
その人にしか見えない唯一無二の光なんだろうな~と。
天使の羽根で例えると
白い中にちょっとグレーの汚れもあるけど
それも自分のオリジナリティで
むしろ勲章になるんだよね~みたいな?
普段、あまり天使とか言わないのに妙な例えだな…と思いますが。
何となく、そういうのを求められている気がしてなりません。
途中から話がズレてしまいましたが…!!
原動力とする感情が異なることで
どういう違いがあるのか?という部分は
まだ答えに行きついていないので
これからも研究して行こうと思っております
それでは、本日もお付き合いくださり
ありがとうございました