こんにちは!aikoです。

 

本日もブログに訪れてくださり

ありがとうございますキラキラ

 

 

さて、前回の記事では

トランプのゲームで感じた平和さと

勝負に勝つことや他者から奪うことについて

思ったことを綴っておりました。

 

 

 

 

平和を感じた日から数日後。

通勤中にハッとしたことがありました。

 

 

 

いつも、通勤で家から駅まで

20分ほど歩くんですけどね。

 

朝、家を出てしばらく歩いた時に

「マスク忘れた~!!」と気づきました。

 

(2022年8月現在、例の騒動で電車に乗るにはマスクが重要です…)

 

 

 

ちなみに…

家から駅までのルートにはコンビニはなく、

駅前のお店も朝は閉まっています。

 

一旦帰るという距離でもないし…

 

電車に乗る時に困るなぁ~

と思いながらてくてく歩いておりました。

 

 

 

そんな中、道行く人々の姿を見ながら

「皆はちゃんと持ってていいなぁ」

思ったのですけども。

 

 

 

「いいなぁ」の感情を探っていたら

羨ましいとは別の感情も出て来ました。

 

 

 

もしかして、こういう状況になった時に

他人から奪うという選択肢が

出る人もいるかもしれない。と

 

 

 

私は幸いにも恵まれた生活をしていて

人から奪うという発想にはなりませんでした。

 

というか現代日本で、マスク忘れたからと言って強奪する女がいたら、相当やばいやつ~!笑

 

 

 

でも、足りてない生活が当たり前だったら?

 

さらにはその足りていない何かを

自分では解決できない立場だったとしたら?

 

 

 

悪気も大してないままに

「奪う」が当たり前だったかもしれない、

と思いました。

 

 

 

そして、その選択肢を想像できる時点で

私もそちら側になり得るのだと。

 

 

 

スピ的にも、輪廻転生においては

善・悪光・闇の役割を

交代でやってるという説もありますしね。

 

 

 

私は今回たまたま恵まれていただけ。

 

 

 

「奪う」選択をする人が全て悪い訳じゃない。

それはきっと役割なのだと感じました。

 

 

 

自分の中にある闇を見たというか。

 

 

 

二元論を超えることや、

自分の闇を見るというテーマとは

ずっと向き合っていますが

また一つ新しい発見をした日でした。

 

 

 

それでは、本日もお読みくださり

ありがとうございましたニコニコ