こんにちは!愛子です。
去年から、ハワイ島に咲いているお花から作った
フラワーエッセンスについて勉強したり
ハワイの「マナ・カード」を引いたりしています。
その中でハワイに根付いている文化や考え方
言葉なども学んだのですが、大好きな言葉の一つに
『PONO』 (ポノ)
という言葉があります。
『PONO』とは…
・全てがあるべき状態であること
・調和がとれた状態
・良い悪いではなく適切な状態であること
ニュアンスがなかなか難しいのですが
日本語にしたらこんな感じでしょうかね。
最近、よく「物事は良い悪いではない」など
二元論に関する事を目にしますが
ハワイの人達はまさにその精神で
生活していたんですね~
私もハワイの叡智を学ぶ過程で
皆さんご存じのジブリのあれです。
以下、見たことない方はなんのこっちゃ?となるかもですがご了承ください
昔「もののけ姫」を初めて見た時
シシ神さまに対して疑問に思った事がありました。
*シシ神さま*
(画像はお借りしました)
<その①>
アシタカがたたら場で撃たれた後に
シシ神さまの池で命を繋いでもらった時、
シシ神さまはなぜタタリ神の呪いを消さなかったのか?
<その②>
ラスト近くでシシ神さまが
乙事主さまの命を吸ったシーンについて。
乙事主さまはシシ神さまの森を守ろうと
がんばっていたのに
なんで生かさなかったのか?
命を助ける力があるなら、
呪いも消してくれればいいのに…とか
森のためにがんばったのに助けないんだ…とか
当時の私は思っていました。
*ダイラダボッチ伝説がある大座法師池*
(これは先月撮影した写真です)
さて、そこから何年も月日が経過しまして
つい先日「もののけ姫」を見たところ
シシ神さまはなんて『PONO』なんだろう!
と思ったのです。
シシ神さまは、宇宙・世界にとって
あるべき状態にしているだけだったんだなぁ、と感じました。
今回あらためて見て思ったこと
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<その①について>
アシタカの命を繋ぐことは宇宙の調和のために必要だった。
でも、呪いを消すことは調和とは違った。
というか、理由はどうであれ自分でもらった呪いは自分が行動して消す必要があったのかな?とも思いました。
<その②について>
宇宙の視点で言ったら、乙事主さまを生かすのは調和ではなかった。
そして、「シシ神さまの森のためにがんばったのに」というのは私が勝手に感じたエゴでしかなかった。
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