人生の脚本を明らかにする意味 | セカンドバースからの道しるべ

セカンドバースからの道しるべ

すべてはあなたのために起こってすでにあなたの中に答えはある

 

SBFセッションでは、悩みの相談から、

その方の、(人生の)脚本 が明らかにされていきます。

 

 

人生の・・・ というと、少し大袈裟に聞こえますが、

幼い脳で捉えた出来事の中のある部分を、

幼い脳で解釈し、体感や感情を自らに起こし、

自分の都合で事実とは異なる解釈を記憶していることにより、その後の自らの人生に影響を及ぼしているストーリー(脚本)です。

 

 

 

 

私は子どもの頃に偏食がありました。
 

 

ほうれん草のおひたし はよく夕食にだされていましたが、

特に茎の部分は、咀嚼し続けても飲み込むことができず吐き出したりしていました。

 

 

子どもの成長を考える父親は、

「お前のしつけが成っていないから、食べられるようにならない」と母親に怒りをぶつけました。

 

 

自分の偏食 という原因をよそに、

父親が弱いから、母親に怒りをぶつける と子どもの私が解釈をしたのです。

「父親を弱い人 と思う自分の解釈は正しい」と。

 

 

両親を、強い人弱い人 で判別し、

自分の偏食の事実は他所に置いていた のですから汗傲慢でした。

 

 

こうしてでき上がった、私の人生の脚本は、

(私が考える)弱い人を受けいれられなくしたのです。

自分のなかで、弱さを感じる体感覚や感情は、

許せませんでした。

 

 

弱さを見せる人に、怒りも感じていました。

自分が、怒りを感じて表すことは正しくない と感情を抑えていました。

 

 

ネガティブと言われる感情だけでなく、

ポジティブな感情も豊かだった父親を思い起こすような、

特に、感情を露わにする人は弱い!と認められなかったのです。

 

 

泣かない自分(人)は強い

怒らない自分(人)は正しい

喜びを表さない自分(人)は落ち着いている

情けなさが湧く自分(人)は認められない

 

 

と、このようなに自分の弱さを隠し続ける私の脚本が仕上がっていました。

SBFのセッションで村中先生のオリジナルワークを行うまで、

自分で創った脚本に沿って生きていました。

 

 

人に感情を露わにしないよう求めつつ接していた とも言え、

思いあたる多くの方々に、こころのなかで謝りました。

 

 

 

脚本とは何か?誰が誰のために描くのか?

事実とは異なる解釈をしている自らが、正しさを証明するための思考 です。

 

 

なぜ、異なる解釈をしたのか?

脳に【幼さ】があるがゆえ。(※SBFでは、子ども脳 3才児(の脳) とも表現します。)

大人(両親)の深い愛から、表される行動(発言や表情)を自分の都合で解釈し続けます。

ときに厳しく、ときに突き放すような 深い想いからの本当の意図を子どもの脳は理解できません。

 

 

幼い脳で解釈したことが、その後の人生を左右していき、

していく というより、 正されることなく左右されたままにしている という状態にあるのです。

 

 

なぜ異なる解釈がなかなか正されないのか?

無自覚で無意識で、

自分が、責任をとらないでいられる からです。

自分の責任を他に科し続けている のです。

 

 

ただ、現実は大人になっていて、責任をとらない子ども脳のままでいると、

上手くいかない人生と悩みが止むことはありません。

 

 

無意識だ...と自分が否定しても、

違和感は、

自らを穏やかにさせることなく、苦しみや疲れを感じさせ続けます。

 

 

人生の脚本を明らかにし、誤りの箇所を認めると、

苦しみが喜びに変わった とすら感じられることでしょう。

 

 

悩みは、SBFで事実を見つけ、明らかにする チャンスです。


 

あなたの脚本を明らかにする意味は、

自身と向きあい深い安堵が得られたときに心底分かるようになっているようです。