絵は自由な感性れ描くことが大切らっ! | シュミちゃんの「塵壺 新報社」

シュミちゃんの「塵壺 新報社」

越後長岡藩・軍事総督の河井継之助の諸国旅日記「塵壺(ちりつぼ)」(“ごみ箱”)に因み命名。
雑記、映画批評、まちづくりやものづくりのプレゼン、官民、教育機関、メディア等への批評、提言を
新潟県長岡市を軸に記述します。

*小学4年生ん時に、自分が描いた絵。こん絵も、担任の指導が、何かと入ってが。全く余計ん事れある。本人の好きなように、自由な感性に任せて描かせてやりゃいいがあて。

 

思うんが、西洋から、連綿と続く絵画の現状が、赤ちゃん、お子ちゃま達の絵の感性を、奪ってると思うんすよね。

デッサン在りきの現状が。

 

あれは、独裁者が、あいこれと、写真のようにリアルれ俗な物を求めたからなんすよ(彫刻も同様)。

つまりの、単なる精巧な技術んがあて。

創造芸術らないんすよね。

 

絵を描くことってんは本来、そいぞれ、自由な感性れイイはずなんすよ。

らっけ、デッサンに縛り付けるやり方ってんは、本人の生まれ持った感性の否定ってことになるんすよね(模写なんぞやる必要はねえがあて)。

 

ほんで、映画とは、また違い、絵には、観賞者に時間という拘束制限は、ねえっすからね。自由度は、そりゃもう、無限に広いんすよ。

 

しっかし、まあ、こんげん事を、よう、こいまれ続けて来たもんらて。

全く、ひっで。

この辺の意識を、改善して行かんきゃらなと。

 

新潟県長岡市より~