(大迷惑だな💦)
音楽が好きで鼓笛隊(この言い方が年代を物語る😅)に入りました。
小太鼓をやりたかったけれど、担当のK先生が仰るには
足が速い=リズム感がある
だから小太鼓は絶対足が速い子!
とのことで 選ぶ余地なしでシンバルに。
それでも1人しかいない楽器で
割と目立ったので特に不満もありませんでした😊
(鳴らす機会が少なくて私にはもってこいだった。結果オーライ)
自分がADHDだったとわかってから
すごく腑に落ちた記憶があります。。。
授業中、わかった人が手を挙げて発言する時
私は割と積極的に手を挙げるタイプでした。
当てられて、その場で発言する時は答えられる。
でも
挙手した人を何人か黒板前に集めて時間差で発言する場合
自分が何を言いたかったのか、出てこない。
で、あ、誰誰と同じです。と苦し紛れに答える。
側の子から、「本当はわかんなかったんじゃねーの」と
からかわれた時のあのシーン
今でも鮮明に覚えてるのです。。。
ワーキングメモリー(記憶のお盆)の小ささ
を物語る象徴的な出来事だったな、と今は腹落ち。
その場では、答えられる。(即答はできる)
でも、前に出ていって、他の子の意見を聞いたら
その間に自分が何を言うか飛んでっちゃったんだ〜〜〜。。。と。
(時間を置いたり、他の情報が入ったらタスクが飛ぶ)
肝心の内容は覚えていられないのに
恥ずかしかった、悔しかった という
気持ち(感情)だけ色濃く記憶に残る
と言うのも特性の一つらしいです。
なんとも厄介。。。
(モラ夫と結婚後にこの特性が大フィーバー・・・⤵️)
小学校と中学校でそれぞれ一回ずつ
親の転勤で、転校を経験していて。
次の小学校は、田舎だったのもあり校区が広く
通学時間は子どもの足で30分以上。
集団登校をするような地域でした。
高学年で転校したので登校班ではいきなり副班長に。
転校前は徒歩3分の小学校に行くのも遅刻ギリギリだった私。
班長のお友達は、毎朝集合時間の30分以上前にうちに来て
「ちょ〜い〜子〜ちゃん!!」と外から声をかけてくれるようになり
私はその声で起き出す、と言う😅
玄関でその子を待たせて、母にせっつかれながら
なんとか集合場所に集合時間ギリギリに駆けつける
そんな生活をしていました。
あの時のお友達、よく怒りもせず飽きもせず
毎日迎えに来てくれたなぁ🥹
転校先の小学校では鼓笛隊はありませんでした。
中学に上がると、吹奏楽部(ブラスバンド部)に入ります。
トランペットを希望しましたが、
肺活量がいるから女はダメ🙅というパートリーダーの無茶苦茶な理由で諦め
フルート🪈を選択。
部活動は凄く頑張りました
好きなことは頑張れますね
学業の方は、というと
極々平凡な成績。
体育が2、音楽だけ5。それ以外は3がメイン 4ちらほら
という感じだったような。
中学時代
勉強はもちろん好きではなかったけれど
勉強が苦手でどうにもならなかった という記憶はありません。
時間をかけて取り組めば、平均点くらいは取れてたような。
(つまり、そこそこ コツコツやれる子ではあった)
そんな感じだったのですが
中学2年の2学期終了後 また親の転勤で転校。
前回(小学校)は田舎から田舎でしたが
今度(中学)は、田舎から東京でした。
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