光源氏が方違えのために泊まる紀伊守の新邸の場所は「中川のあたり」。
中川の水を引き入れた見事な佇まいが描かれていますが、
紫式部の生家がモデルではないかと言われています。
中川は、現在では廃川になっていますが、
「源氏物語」の時代には現在の京都御所近く、
蘆山寺のあたりを流れていたとされています。
藤原実資の邸宅、小野宮に
中川の水が引き入れられていたことは良く知られており、
また「蜻蛉日記」の作者、藤原道綱母も中川のあたりに住んでいました。
ただ中川はよく氾濫したらしく、
藤原道長が数年がかりで造営した法成寺が
中川、賀茂川の大洪水で被害を受けた記録が残っています。
風流な寝殿造に引き入れられた中川も、
今は姿が無く、光源氏の恋の舞台として、
物語の中で想像するだけになってしまいました![]()
紫式部の生家の跡とされる京都市上京区の蘆山寺。
紫式部はこの地で育ち、結婚生活を送り、
「源氏物語」を執筆したと言われている![]()
再現、紀伊守邸
これが源氏の侵入経路
源氏が空蝉と小君の会話を立ち聞きし、
その寝所へと忍び込むシーンは、
「源氏物語」でもとりわけリアリティあふれる部分です。
その理由のひとつに、舞台となる紀伊守邸の設定が確かなことがあり、
当時の読者には物語の展開がまざまざと瞼に浮かび上がってきたことでしょう。
研究者の間でも文中の手がかりを元に、
紀伊守邸の寝殿を中心とする内部空間を推理、
図解する試みが様々に行われてきました。
このあたりも、他の物語とはひと味違う
「源氏物語」の魅力のなせるわざと言えます。
紫式部の細かい観察眼と緻密な構成力は、
現代の建築史の分野にも尽きぬ興味をもたらしているのです![]()
諸国につけられた等級 赴任するなら上位ランクの国
平安時代の地方長官である受領にとって、
その赴任先は重大事でした。
当時、国内の諸国は大、上、中、下と4つのランクに分けられていました。
これは田んぼの面積などの国勢をもとに決められたもので、
受領候補者はひとつでも上位ランクの国に赴任することを願ったものです。
この等級は都からの距離には無関係でした。
それぞれの国は距離で遠、中、近に区別されていましたが、
遠くとも「大」ランクの国があれば、
近くでも「下」に位置づけられた国もありました。
ちなみに紀伊国は距離は「近」、
ランクは「上」でした![]()
紫式部の父、藤原為時は、
淡路守に任じられるが、当時の淡路国は下国。
不満に思った為時は一条天皇に申し文で訴えた。
その文章に感動した天皇は、
大国である越前守の職を為時に与えたという![]()
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