ここに登場する蔵人少将は、
後に軒端萩と結婚することになります。
近衛の少将と共に蔵人と兼務する蔵人少将という官僚は、
位階こそ五位相当と中位にあたりますが、
帝から特別に昇殿を許されたれっきとした殿上人です。
蔵人の仕事は、天皇の側近くに仕え、
詔勅の伝達など身の回りの事務から私生活上のあれこれまで、
一手に引き受ける秘書官のようなもの。
近衛府の武官を兼務する場合は、天皇に一番近い護衛役、
今でいうSPの役目も期待されました。
当然、その存在感は大きく、
官人にとっては出世の登竜門となる憧れの仕事でした。
蔵人の職が新設されたのは、嵯峨天皇の弘仁年間のこと。
長官である初代蔵人頭には藤原北家の藤原冬嗣が任ぜられ、
後の藤原北家繁栄のさきがけとなりました![]()
亡き人と想い、苦しい恋心を託し… 古代の「煙」
煙は、古代には「けぶり」と読んで、
天と地を結ぶもの、交流するものと考えられていました。
そこから霊魂の活動する姿に見立てたり、
平安時代には火葬の煙に亡き人の魂の行先を思ったりもしました。
更に平安の和歌では、
自分の思い焦がれる気持ちを煙によって表現するようになります。
例えば「篝火」の帖で、源氏は玉鬘に
「篝火にたちそふ恋の煙こそ世には絶えせぬほのほなりけれ」と詠んでいます。
篝火の煙に立ちのぼる恋の煙を見立てて、
私の恋の炎は常に燃え立っている、
と激しくも苦しい胸の内を煙に託しているのです![]()
平安のパブリックスクール エリートを育てた大学別曹
平安時代の最高学府といえば、大内裏の南、
朱雀門に隣接する大学寮でした。
当時の学生達は、法律により寮内寄宿をしなければならず、
寄宿舎である大学別曹から学びの場へ通いました。
こうした寄宿舎は、藤原氏の勧学院、和気氏の弘文院、
在原氏らの皇室子孫の奨学院など、全て氏族別に運営され、
とりわけ藤原氏の子弟が寄宿した勧学院は、
一門の権力者が寄進した荘園を財源に優秀な人材を多数輩出。
寄宿生には食料が支給された他、
成績優秀の者には学問料の支給もあるなど、
エリートの育成に大きく貢献したのです![]()
