内裏の清涼殿の後ろには、妃の住む「後宮」が12舎ありました。
弘徽殿をはじめとする7つの殿と5つの舎がそれにあたり、
殿の方が舎より格が上だったと言われています。
入内した藤壺女御が住むことになった飛香舎は、
5つの舎の中で一番大きな舎で、
南に面した壺に藤が植えられていたことから藤壺と呼ばれています。
「源氏物語」では、この藤壺女御をはじめ、
藤壺女御の異母妹である朱雀帝の女御、
今上帝の女御が飛香舎に住んでいます。
花の季節になると、ここで藤花の宴が催されることも度々でした。
「宿木」の帖では、今上帝が藤壺で藤花の宴を催し、
藤の花の下では楽人が音楽を奏でた、と描かれています![]()
先帝は桐壺帝の祖父
虚構と現実の謎
「源氏物語」には、源氏の父である桐壺帝以前の帝として、
「先帝」と「一院」という二人の帝のことが書かれています。
このうち「一院」は桐壺帝の父というのがほぼ定説となっていますが、
「先帝」については諸説あり、定かではありません。
その中で、先帝を桐壺帝の祖父とする説があります。
南北朝時代に書かれた源氏物語の研究所「河海抄」などでは、
先帝
一院
桐壺帝の系譜を現実の皇統と比較し、
これを光孝
宇多
醍醐3代の天皇にあてはめています。
ただ、この説では、藤壺が桐壺帝の祖父の子となり、
物語をそのまま現実にあてはめるのは少し無理があるかもしれません![]()
政治も思いのまま 出家してなお強かった女達
一般に女性の出家といえば、
俗世とのつながりを断ち、ひっそり隠匿するイメージ。
その一方、出家後も強い権力を持ち、
現実の政治に関わった強かな女性がいたことも見逃せません。
円融天皇の女御として一条天皇を生んだ藤原詮子は、
円融天皇の没後に出家し、
歴史上初めての女院号である「東三条院」を賜ります。
弟の藤原道長を助けつつ、「天下の政治を想いのままにしておられた」と
「大鏡」に記されるほどの女傑として君臨しました![]()
