月も沈みました。
雲上の宮中でさえ涙に曇って見えない秋の月。
ましてあの荒れた邸では、どうして澄んで見えようか。
若宮も北の方も悲しみにかきくれて過ごしていることだろう…と
案じて眠れぬ帝は、今宵も夜更かしです。
警護見回りの者が、丑の刻を告げたようです。
帝は人目を避けて、そっと寝所に入ってみるものの、
目は冴え、微睡むこともできません。
翌朝も、起きた瞬間から桐壺更衣への想いに囚われてしまいます。
あの頃は、夜明けも知らず二人して眠り、
目が覚めればまた愛し合う日々でした。
それを思い出すと、今も、
朝の政務を務める気持ちにはなれないのです。
帝は、食事もほとんど口にしません。
軽い食事を、ほんの少しだけ、
正式な昼食の膳など目もくれないのです。
あまりのことに、お側で仕える者たちは嘆き合います。
「もはや業ですね、
こうなるはずの前世からの約束はおありであったのでしょうか。
帝は更衣のことになると、何も見えなくなって。
もうお亡くなりになっているのに、まったく不都合なことですよ」
そして、また玄宗皇帝が楊貴妃を溺愛した異国、
唐の朝廷と比較するのでした。
月日は過ぎ、若宮が宮中に参ります。
気高さ、美しさのオーラが更に増し、
逆に早死にしないかと帝が不安に感じる程。
翌年の春、東宮を決める際も、
帝の気持ちは第一皇子より若宮にあったのですが、
争いの火種になるのを危ぶみ、その考えを顔色にも出しません。
「やっぱり、帝も若宮をかわいがる限度というものがあったのだ」と人々は噂し、
弘徽殿女御も一安心したのでした。
その頃から若宮の祖母、北の方は「娘の元に行きたい」としきりに口にし、
とうとうお亡くなりになりました。
帝は悲しみ、6歳の若宮も今度は涙します。
北の方の気がかりは最期まで、その若宮のことでした。
若宮は、それからずっと宮中暮らし。
7歳で読書始めを行うと、
その才能はますます輝きを増します。
「憎む理由などあるまい。母を亡くした子なのだし」と、
帝はあの弘徽殿の御簾の中にも入れます。
例え鬼でもつい微笑まずにいられない美しさに、
さすがの弘徽殿女御も邪険にできません。
年頃の二人の姫すら比べ物にならない若宮の美しさ。
後宮の女達も、実に気品あふれ美しい若宮と遊んだりするときは、
子供とはいえ、気を張っていないととてもお相手できません。
学問、筝や笛の音、その全てが宮中の人々を驚かせます。
あまりの出来映えなので、こうやって一つ一つ挙げると、
何だか嘘っぽく聞こえるかもしれませんが、本当のことなのです。
