「多紀理さんは、

なんでも正解がわかっていいですね。

迷わないのでしょう?」

と、言われることがときどきあります。


言われないまでも、お言葉の端々から

あーそう思われているのだろうなぁと

察せられることがちょいちょいあります。



でも実際は、うーーん。。。

それはどうでしょう、と言いたいです。



これまでも数々の失敗をしてきています。

見込み違いによる手痛い思い、

恥ずかしい失敗などを多数味わってきた中で、磨かれてきたこともたくさんあります。




失敗の理由は、

あらゆる意味で

自分にとって都合がいいように

ヒト・モノ・コトを解釈して

進めてしまったから。

に、つきます。

自我のフィルターを通して

勝手に対象に期待をして進めたから。


そう、期待、です。

期待を持った瞬間に判断が濁ります。

それが後からわかることもよくあります。





第一印象で感じる

微細な、ほんのかすかな違和感は、

頭で色々考えだす、

もっともっと手前の一瞬で起こります。



なにか、肌がチクッとするような

下腹のあたりがもやっとするような。。

口ではその場で合わせたことを言いながら

身体が微妙にこわばっていたり、

目が笑っていないとか。

さて行動しようとしても、

足が向かなかったり。

違和感に対する反応はさまざまです。



でもその感触は、期待によって
すぐにかき消されてしまいます。





とても勘がいいひとでも、

自分が視えているビジョンや直感を

疑ってしまう、なかなか信じられない。

いつも不安がつきまとう、、と

こんな方は多いのではないでしょうか。



わたしもそうでしたが、

言いたいのは、

堂々とちゃんと、疑ってください。

ということです。



あれ? なんかなー。。

と違和感を感じた時には、立ち止まって

ちゃんと疑って、

自分にしっくりくるタイミングがくるまで

待つ実験をしてみていただきたいのです。






実は、霊能が強いひとは、

たいていの場合、ヒト・モノ・コトの

良くない面から気づいていきます。

ヒト・モノ・コトの欠点や邪な部分に

一番、勘がハタラクのです。

どこが、とは具体的にわからぬまでも。



家族や親しい友人などに対しても

良くない面ばかりに目がいきがちになり

つい、厳しくなってしまうことがあります。

もうこれは、ある意味、災難と思えるくらいです。

気づきたくなかったのに、、

知らなければみんなの様に

穏便に流しておけたのに、、と

何度思ったことでしょうか。




ですが、これも受け継いだギフトです。



ふとした些細な違和感などを感じた時は、

その感覚をきちんと疑ってみて

自分なりに解明していく。

その過程がとても大事なのです。





なにか理由があって反応が起こる時、

この違和感は、霊的なものなのか、

それとも心理的な理由による

オソレやフアンからきているのか。



それを自分なりに確かめる、

検証する経験を積んでいくしかありません。



未熟なわたしたちは、多くの場合、

心理的な弱さからくるオソレやフアンを

霊的な要因によるものとつなげたくなります。




霊能という感性を磨いていくには、

実践による経験を積んでいくしかありません。

違和感の正体を、様々な経験を通して

自分の感性で見極めていくのです。

霊的な要因からくるものと、

心理的な弱さからくるものとは

どう違うのか。。



経験を積んで、霊能という感性が

高まっていくと同時に

心も強くなっていく、

磨かれていくものなんだなぁと思います。



経験はお宝です。

何事もやってみなければわからないことだらけ。百聞は一見に如かずもたくさんある。


そんな気持ちで、経験を積みながら

楽しく霊能を磨いていけたら、と思うのです。





Thank you for reading my blog.

Sofie KT.