米のこと、しつこくブログに取り上げるのは、コメ不足や価格高騰なんてことでもない限り世間の皆様は農家のことなんて気にも留めないから。
って、お前はどうなんだと言われれば、我が家は兼業農家でした。今も田んぼは持っていますが、父が農業をできなくなってからは耕作は全てお任せしています。
食用に必要な分は秋に収穫されたコメ(玄米)を、一年分ここから買います。(もちろん生産者価格ですが、以前より値上がりしました)
機械化のためにはまず農地の整備が必要です。
昭和時代、コメの消費量が減り、若い人の離農が進み、稲作の改革が必要となって圃場整備が国の支援の下大々的に行われました。小さい田んぼをつぶし、代わりに大きな田んぼと用水路、農道を整備して大型機械が入れるようにしました。
稲作農家にとって田んぼは命より大事な財産でしたから、意見集約からもめにもめて、それはそれは大変な事業でした。
さらに時は流れて、我が家の田んぼは半分しか耕作していません、つまり半分は耕作放棄地です。減反政策でほかの作物への転換が奨励されましたが、父も年を取り、そこまでする気力もなくなったのです。
米が高騰して初めて、農地の集約化で機械化を~、とか小規模農家が~とか騒いでいますけど、今更です。そういうこと言うのは田んぼに入ったこともない人でしょう。
↑このコメント欄で相当やり取りしましたけど理解は得られないようでした。
私が最も共感した方のコメントを引用させていただきます。
分かりました。消費者米価を下げることが消費者の利益として優先すべきで、農家を守ることはよろしくないということですね。こういう点についての感じ方は、都市部で育った人と、少しでも農業に縁のある田舎で育ったものとでは少し違ってくるのかも知れません。
私が考える望ましい状況は、消費者米価がリーズナブルな値段に落ち着いて、生産者米価は30年来の価格より少し上がることです。しかし、そういう状況を恒常的に実現するには、食糧管理制度のようなものを復活させるしかないかもしれません。これは自由経済の理想とは真逆のやり方ですね。
米価高騰に憤っている人の中には、お米が他の食料品とは違って日本人の主食だから特別だと主張する人もいます。それなのに、米の消費量は減り続けているじゃないかと言うと、そういう問題じゃないと怒られましたが、その人も私と同郷ですが都市部の育ちでした。
それはともかく、米の販売も自由化されている以上、今回のようにマスコミの煽りによって高騰することも、また投機の対象になることも明らかになったので、今後も価格が不変で安定するようなことはないでしょう。それが自由経済だからです。また、産業構造を変えていくことも、米作りの場合は工業生産のようにいかないことも確かです。小規模農家が諸悪の根源のように言う人も、解決策の青写真もロードマップも出してはくれないのです。
大規模農家は儲けている、っていうコメントもありますけど儲けて何が悪いのかわかりません。どんどん作って輸出してどんどん儲けていたら今頃米は潤沢にあったのでしょう。減反だとか価格調整だとか邪魔をしてきたのは政府ですけど、おいしい国産のコメにこだわるくせに安くないと買えない!っていう消費者もなんだかな~ だって、いくら安くっても消費量は減ってきたじゃないですか。
米は主食だから!食糧自給が!っていうならもっと農家のことも考えてくれていいんじゃない?
でも私は逆に、コメも食品の一つと考えれば自由経済、市場原理にのっとって自由にしていいと思います。パンも麵類も今や第二の主食みたいなもんですが、小麦のほとんどは輸入です。
今に米も安いものと高いものの二極化するかもしれませんね。古古古米だって安ければ買うんでしょう?安ければいいなら、二等米とか輸入米とかもありますし、味にこだわる人は高い国産銘柄米を買えばいいじゃないですか。
ただし、備蓄米放出という手は来年はもう使えませんから、今後新米が出たとしても高値は続くでしょう。
今は荒れ果てて原野になってしまった山の斜面の段々田んぼの跡を見ると、昔の人は全部手作業でここまでやったんだな、すごいなぁ、と素直に思います。
だから、価格を下げるとか増産するとか、簡単に言ってしまえる都会育ちの大臣には拒否感しかありません。