昨今、LGBTやらジェンダーやらいろいろ言われておりますが、こんなドキュメンタリー番組を見ました。

 

 

「私のままで走りたい -性別を疑われた女性アスリートたち-」

初回放送日: 2023年8月11日

好成績をおさめたことで性別への疑念を持たれる女性アスリートたち。テストステロン値が高いとされ、選手生命を絶たれる可能性も。尊厳を傷つけられた選手たちの闘い。 圧倒的な成績や筋肉質な体格などから性別を疑われた5人の選手を取材。世界陸連は「女子種目の公平な競技を成立させるため」と女子選手の出場資格にテストステロン値の基準を設定。くわしい説明なく性腺除去手術をされた選手は競技生命を絶たれる危機にあり、人権擁護活動家らは批判を強める。またテストステロン値と成績の関連性が十分に証明されていないとの指摘もある。原題Category:Woman(カナダ 2022年)

 

昔からスポーツの国際競技では「セックスチェック」が行われていました。性別といっても女子競技に男性が紛れ込まないように女性だけがチェックされました。
昔はホルモンを測定することができなかったので、細胞の染色体を見て判定していましたが、そののち男性ホルモンの測定が可能になってテストステロン値が基準となったと思います。

 

アメリカの学生水泳競技にトランス女子が乱入して数々の記録を打ち立てた話はご存知かと思いますが、世界水泳やオリンピックではまだ認められていませんね。
もちろんそんなのは認めるべきではないと考えますが、一方で生来の女性であることの証明が社会の都合で変わったり厳しくなるのもおかしな話です。

 

ご紹介したドキュメンタリーでは、ヨーロッパの陸上大会でアフリカ人の女性がぶっちぎりの成績で優勝したのですが、負けた白人アスリートが「あいつは男性に違いない」と言い出し、優勝した黒人選手はホルモン値が若干高かったという理由で資格をはく奪されたのです。
その黒人アスリートの見た目は、民族の特徴なんでしょう筋肉質で顔貌もごつくて一見男性に見えるのは確かですが、生殖器のチェックもされてますし、生まれてからずっと女性として生きてきたのです。テストステロンは女性でも分泌されており量には個人差があります。
けれど世界陸上では白人女性の反発(八つ当たり?)で優秀な黒人女性が疑いの目で見られ、中には不必要な手術を受けさせられた人までいるそうです。

日頃は人権意識に優れた欧米人が、金と利権が絡んだ国際競技では人種差別・性的マイノリティ差別も何のそのですが、女性の競技に女性自認の男が出場するのは許せませんから区別は絶対必要です。

((自分より成績のいい有色人種にいちゃもんつけるのはいつもの白人様のやり方なんで、特に金と名誉がかかっていますからしょうがないですね))

 

そもそもこんなややこしいことになった原因には、トランスジェンダーという性的マイノリティの存在があります。この「ジェンダー」の概念が極めて恣意的に扱われているのです。

 

よもぎねこ様のブログから解説を拝借します。

(部分引用・強調はブログ主)

 

 

これはつまり「女性」と言う物の定義が完全に混乱して崩壊しているのではないでしょうか? 

 トランスジェンダーとは、自分の認識する性別が肉体上の性別と違う人々を指します。

 体は男性なのに「心は女性」、体は女性なのに「心は男性」とか言う人達の事です。

 しかし「女性」「男性」の定義が曖昧と言うか混乱状態なので、「女性の心」とか「男性の心」とか言われも意味不明なのです。

 

「ジェンダー」つまりトランスジェンダーのジェンダーです。

 このジェンダーと言う言葉は1980年代ぐらいから自称フェミニストや自称フェミニストの女性学の学者などの間で使われ始めました。

 自称フェミニストの多くは、男女の差は肉体的から来るのではなく、教育や社会習慣などから生まれると考えていました。

 

 つまり彼女達はヴォーヴォワールが言葉どおり「女に生まれるのではない、女になるのだ。」と考えているのです。

 だから彼女達は社会の習慣や教育を変えたら、男女の差は完全になくなると信じているのです。

 そのような人達が使い始めたのが「ジェンダー」と言う言葉です。

 

 最初にこの「ジェンダー」と言う言葉が意味したのは、教育や社会習慣によって生まれる男女差です。

 

ところがその後この「ジェンダー」が暴走し始めたのです。 と、言うかこの言葉が魔法の呪文になったのです。

つまり「ジェンダー」と言う言葉が、性別に置き換わり、肉体的な性別に「ジェンダー」優先するようになったのです。

 例えば「男女平等」と言うのが「ジェンダー平等」に置き換わったりしています。

 でもなんかこれオカシイでしょう?

 

 「ジェンダー」って元来、社会習慣や教育から生まれる男女の差異を意味したわけです。 つまり男性や女性など人間自体を意味してはいないのです。

 だからこれを「平等」にするって意味不明です。

 

 元来の「ジェンダー」は、あくまで社会習慣や教育による性差を意味する言葉ですから、自分の認識や意志とは全く関係ないのです。

 だから敢えて個人について「ジェンダー」を問うなら、自分が自分をどう認識しようとも、男性として育てられた人間なら「ジェンダーは男性」なのです。

 

つまり「ジェンダー」と言う言葉を使う事によって、「性別」と言う物を完全に否定したのです。

 過激なフェミニストの望みは完全完璧な男女平等、結果平等でした。

 男女が完全に同質同類になる事でした。

 

 しかし男女に肉体的な差異がある限り、過激フェミニストの願いが叶うはずはありません。

 だって幾ら社会的な平等の条件を整えても、男女には肉体的な差異があり、それから生まれる思考や行動の差があるのですから。

 

人間の性別は三段階あります。

一つは遺伝子的な性別。X染色体Y染色体で決定されるものですね。これは受精の段階で決まります。

二つ目は肉体的・医学的性別です。生まれた時に生殖器の外観で判断することが多いのですが、稀に遺伝子的な性別とは異なることがあります。

三つ目が社会的性別で、これが元々の「ジェンダー」の意味につながります。

>「ジェンダー」って元来、社会習慣や教育から生まれる男女の差異を意味したわけです

つまり、男として育てられるから男になり、女として育てられれば女になるのだから区別なく育てれば完全な男女平等が成し遂げられる!これが

>「ジェンダー」と言う言葉を使う事によって、「性別」と言う物を完全に否定したのです。

 >過激なフェミニストの望みは完全完璧な男女平等、結果平等でした。

となるわけです。

 

そんなフェミニストの願いがゆがんだ形で実現したのが、男性体の自認女性が女子トイレに入ったり女子競技で活躍したりする世界だったんです。

 

非常にシビアな国際競技の場では弾き飛ばされましたけど。

 

ここで最初にご紹介したドキュメンタリーに戻りますと、私が一番腹立たしいのは、日頃自認女性の権利を声高に叫ぶ過激フェミニストたちが、差別された女性アスリートのことはこれっぽっちも気にしていない、ってことです。

これだけでもジェンダー平等とか主張する奴らがどれだけ胡散臭いか証明していると思いますね。