現在のマスゴミ総出の統一教会叩きは本当に異常です。何より、きっかけとなったのが元総理殺害犯が言ったとされる動機めいた言葉だけで、事実関係が何も解明されていないにもかかわらず統一協会と関係を持ったアベが悪い!ってことにされてしまっています。
全くどこの国のどこの時代なのか・・・


日本は法治国家です。早く国民が冷静になって、静かに国葬儀を迎えられるように祈りたい気持ちです。

 

私は統一教会(カルト)問題についてはよもぎねこ様と全く同意見です。私の独断でブログから一部ご紹介します。

 

 

 そもそも統一教会絶対悪、統一教会反社で盛り上がっている人達は、時空を超えて何十年も前にあった不幸な話が、現在も起きているかのように錯覚して、ひたすら感情論だけで狂乱し、法を無視して統一教会だけを弾圧しろと叫んでいるのです。

 こんなことで宗教の自由と言う人権と民主主義の根幹を放り出せと言う人達を、リベラルと言えるのでしょうか?

 むしろこうした狂乱に際して、冷静にこのキャンペーンの異常さを指摘する人こそ真のリベラルではありませんか?

 

 そして実際にこの反統一教会キャンペンーンを扇動しているのも、また安倍総理の国葬に反対しているのも、日本共産党、令和新選組、立憲民主党、社民党とその支持者です。 

 日本では奇妙な事に彼等が「リベラル」を名乗っているのですが、しかし本来彼等は共産主義者・社会主義者であり、リベラリズムとは全くの対局にある人間達です。

 

 

 カルトが問題である事は事実ですが、しかし宗教は内面の問題であり、その内面に国家が踏み込む事がどれほど危険かを考えているのでしょうか?

 そもそも「宗教の自由」「宗教弾圧の禁止」と言う概念は、ヨーロッパの宗教戦争の過程で生まれました。 

 カソリックとプロテスタントがお互いに、自分を神、相手を悪魔として、徹底的に殺しあったのです。

 しかしその結果の戦争が酸鼻を極め、いつまで続けても行き着く果てがなかったのです。 そこで認めたのが「宗教の自由」です。

そして宗教戦争が悲惨になるもう一つの理由は、宗教と言うの内面の問題だからです。

 人の内面は夫婦や親兄弟にもわかりらないのです。 

 そこに国家が入り込もみ制限したり禁止したりしようとすれば、疑義を持たれた人を拷問にかけ、挙句に処刑と言う事になります。

 宗教戦争はこれを際限もなくやりあったのです。 

 でも内面の問題ですから、どんなに多数の人を処刑しても、これで完全に消えたと言う保証はないのです。 だから延々と殺し続ける事になります。

 

 だからもうそれはやらない。

 絶対やらないと決めるしかないのです。 

 だから近代国家では思想・宗教・信条の自由、内面の自由は保障するのです。

 

 でも宗教を信仰する人がそれがその人にとって必要だから、信仰しているのです。

 それを宗教に無関心な人から見れば馬鹿馬鹿しいとしか言えないのですが、しかしそれは全てその人の内面に由来する問題だから、他人が口を出す話ではありません。

 そもそも統一教会が悪行を極めてのは、20年以上前教祖文鮮明の壮年期まででした。

 しかしそのころは統一教会の悪行は散発的に報道されても、現在のような連日の反統一教会キャンペーンはありませんでした。

 そして現在の統一教会は教祖も死後久しく、教団は分裂し信者は高齢化して、昔の勢力は見る影もなく、その為この10年来刑事事件も起こしていません。

 それなのに何で今になって、こんな盛大な反統一教会キャンペーンになるのか?

 その方が統一教会より余程不気味で恐ろしいです。

 

 ワタシとすればカルトが多少の悪さをするより、国家がカルト禁止を盾に国民の内面に入り込む方がよほど恐ろしいです。

 

以下、ブログに投稿した私のコメントです。

 

私は安易に宗教団体を規制したり課税するのに反対です。
今でも営利事業には課税されていますし、霊感商法などは何度も言われたように法の規制がかかっています。
出来るとすれば、雑誌やテレビなどへのコマーシャルの制限くらいでしょうか。(そういえばマスコミは統一教会を批判するくせにスピリチュアル関連のグッズの宣伝は平気で垂れ流していますね)
ではお布施は?これはもう内心の自由ですから、本人が目覚めて「騙し取られた!」とでも言い出さない限り正当なものです。

そして、日本の多くの神社仏閣も、維持管理には金銭を得る必要があります。伊勢神宮などは特別ですが式年遷宮の為の資金集めは大変です。
靖国神社も同様です。靖國は本来の意味では宗教ではありませんが、戦後資金的な問題から宗教法人となって非課税にしたということもあります。

私は、真っ当な宗教法人とカルトを明確に区別するのはほとんど不可能ではないかと思っています。例えばイス〇ム教などは「異教徒は地獄に送るのが正しい行い」「コーランを粗末にしたらコロさなければいけない」etc.こんな恐ろしい教義を信じる宗教なんて許していいのか!とはならないですよね。
よもぎねこ様の仰るように、内心は確かめようもなく、ましてや規制することもできないのです。
 

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こちらの記事を読む前に前エントリーにコメントしてしまいました。内容はよもぎねこ様のご意見とほとんど同感です。

信仰は本来心の問題で金銭とは無縁であるべきなのでしょうが、神社仏閣、集会所、教会・モスクなどを維持するのにはやはり資金が要ります。伊勢神宮など、式年遷宮の費用を集めるのはとても大変です。靖國も本来の意味での宗教ではありませんが、資金面の問題で非課税となる宗教法人として存続させていると聞いたことがあります。

人間は弱い物なのでいくら信仰があっても目に見えないと不安なのでしょう。それがさらにのめり込むと、不安を解消し幸福になるためにドンドンお金をつぎ込むことになる・・・これも人間の欲なんでしょうね。

フランスのセクト法のようなものが本当にできるのかわかりませんが、特定の思想に引き込んで指導者の意のままに活動させたり、金銭を要求し、政治にかかわる集団でしたら「日本共産党」はまさしくセクト法で規制すべき組織です