我々一同は新聞社の社長を務める叔父を訪ね、
話題はやがて、復興の話に・・・。
実は今、宮城は景気がいいそうです。
がれき処理の運搬業者や解体業者、そして建設やリフォーム業者が
潤沢な復興資金により、活発に活動しているとのことです。
そして、その恩恵にあずかっているのが市街地の飲食店で、
これらが東北の経済のけん引役を担っているようです。
特に、被災地に近く、比較的都市部の被害が少なかった古川は
「復興景気」の恩恵を一番受けている都市と言えるかもしれません。
・・・ある意味、これも自分にとっては衝撃的でした。
困っているであろう、がれき処理や医療費などの補てんとして
私が行ってきた寄付は、むしろ「好景気」といわれている部分の
一部として使われているのかと思うと、少々自分の意志とは違う方向に
向かっているような気がしてしまいました。
もちろん復興のためには経済のけん引役が必要で、それが建設業、
運送業などであることは十分わかっています。いいことだと思います。
その一方で、前々回したためた、石巻のような復興がなかなか
進まない地域もあるのも事実です。
そう考えると、自分が今一番かなえてもらいたい復興は、
石巻の市街地の再興と、塩害を受けた農地の復元、
漁業の再興かなと思うのです。
なので、今までは教育関連の寄付を中心にしてきましたので、
これを継続しつつ、塩害や農業・漁業の支援団体にダイレクトに
寄付していくのもいいなと思いました。つまり、はっきりした目的を
持った体に寄付を続けると、自分の軸もぶれることはないと感じました。
そして宮城県第二の都市の石巻が、復興が遅れている理由というのは、
「農地の塩害」と、「ダメージのスケールが半端でない」
というのが主な原因とも唱えます。
一見資金を投入すれば解決が簡単そうに見えるこの問題。
実は「時間」との戦いがカギとなります。
農地の塩害は大量の水・中和剤、そして「時間」が必要となります。
また、市街地の再生には「短時間」での再生が求められます。
特に石巻はすでに商店街のオーナーの高齢化が進んでおり、
近くにイオングループが展開する巨大商業施設が存在することもあり、
顧客がそちらに流れる前に再生する必要がありました。
時間の経過は農地・商店のオーナーのモチベーションを下げる
一番の要因となり得ます。時間は人の心なのですね。
思っているようには簡単にいかない部分が多く、もどかしく感じます。
しかし、なんといっても石巻の歴史は漁業の歴史といえます。
漁業に向いたこの立地は変わらないわけですから、
ここから新生石巻、打開策の糸口を見つけたいものです。
私のまわりでも、復興支援のボランティアに行っている人は
一番石巻が多いです。今年に入ってから、私に話しかけてくれた人で
石巻にボランティアで行ったという人は3人います。
それだけ、関東から見ても最も注目を集めている都市といえます。
形だけに見えてしまうかもしれませんが、それでも我々は石巻の
再生復興に関わっていきたいと考えているのです。
・・・そして、復興の話とは関係ありませんが、
最後に、叔父さんが見せてくれた写真は、
私が小学校に入る前に宮城を訪ねたときに移した親戚との集合写真、
そして、学生時代の父と、叔父、祖父(私の父の父)の3ショットの
写真でした。
この親戚一同の写真は、普通に考えれば、我が家にあってもおかしくない
はずですが見たことがなく、特に3歳であろう、私の弟がとても愛らしく
写っていて、よい写真でした。
父・叔父・祖父の写真については、祖父は私が生まれる前に
亡くなっていることもあり、今まで一枚しか写真は見たことがなかったのですが、
(その写真自体はどこの親戚の家でもよく見かける)
それ以外の写真を見るのは初めてで、ものすごく感激しました。
この2枚の写真を見ることができただけで、この旅の意義を
さらに大きなものにできた気がします。叔父さん、ありがとうございました。
庭を見ながら、ブルーベリー、アケビ、カキ、キイチゴ(ブラックベリー)、
ザクロ、ポポー(だったっけな?)など、たくさんの果実と、花木が
植えられており、お互いに果樹をたくさん育てているねという話もしました。
なぜか、果樹の写真がない・・・。(笑)
なんでも、生前祖父より、「木を植えるなら、実の生る木を植えろ」
という教えを受けていたらしいです。なるほど納得しました。
父も13種類の果樹を残していきましたから。(笑)
そして、叔父さんの最新著書と、新聞社が発行している震災関連の
刊行物をプレゼントにもらい、我々家族一行は、父の生家である
伊場野を目指しました。
(つづく)




