皆さま

昨年来、好評を頂いている「陰陽道の表と裏」の連載記事を「完全版」としてお届けいたします。新たに得られた情報も取り入れて再編集しています。

陰陽道は、日本の歴史において神秘的な力を持つ学問として発展してきました。古代中国の陰陽五行思想を基盤とし、日本独自の神道や仏教、さらには道教の影響を受けながら、宮廷儀礼や占術、呪術へと広がりました。

 

平安時代には国家の制度として確立し、陰陽師たちは天文観測や方位の調整、厄除けなどを通じて政治や人々の生活に深く関与していました。

陰陽道には、表と裏の二つの側面があります。

 

表の陰陽道は、宮中での祭祀や暦の制定、占術など、国家や貴族社会において公的な役割を果たしました。

 

一方で、裏の陰陽道は、呪術や式神の使役、秘術を用いた個人の願望成就や怨敵退散といった、非公開の領域として存在しました。

今回は、まず陰陽道の起源や基礎となる思想を解説し、次に「陰陽道の表」の世界として、陰陽寮の成立や陰陽師の役割、実際に使われた技法について詳しく説明します。

 

さらに、「陰陽道の裏」の世界に踏み込み、陰陽師たちがどのように秘術を駆使し、社会の裏側で活動していたのかを探っていきます。

陰陽道は単なる歴史上の遺物ではなく、現代にもその名残をとどめています。風水や姓名判断、神社の祭祀など、私たちの日常生活にも影響を与え続けているのです。

 

今回は、陰陽道の深遠な世界に触れ、その本質を探求していきます。

 

 

序章:陰陽道の誕生とその本質



陰陽道とは、日本古来の神道や仏教と、中国から伝来した陰陽五行思想が融合して形成された独自の体系です。その起源については、公的な歴史と私たち一族に伝わる非公式な歴史の両面から考察してまいります。

 1. 陰陽道の二つの起源

(1)公的な歴史

陰陽道の起源は、中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)に成立した「陰陽家」の思想にまで遡ります。これは、天体の動きや自然界の法則を読み解き、運命や吉凶を判断する学問として発展しました。

日本には飛鳥時代から奈良時代にかけて取り入れられ、宮廷における祭祀や暦の制定に関わるようになりました。特に、陰陽寮という国家機関が設置され、天文観測、方位学、占星術などが体系化されていきました。

(2)口承されてきた歴史


一方、私たち一族には口伝があり、紀元前3世紀、秦の滅亡の頃に方士たちが日本列島へ移住し、初期道教に基づいた祭祀を伝えたとされています。この方士たちは、道教の秘儀や神仙思想を持ち込み、後の陰陽道に影響を与えた可能性があります。

彼らが伝えたのは、単なる占術ではなく、天と地、人と自然を調和させるための実践的な技法でした。特に「呪術」「風水」「気の操作」といった要素は、日本の原始信仰と結びつき、独自の形に進化していったと考えられます。



 2. 陰陽道の基本概念

陰陽道の根幹には、以下の三つの概念があります。

(1)陰陽思想


万物は「陰」と「陽」という二元的なエネルギーによって成り立ち、バランスを保つことで調和が生まれるという考え方です。例えば、昼と夜、男性と女性、太陽と月といった対になる概念は、互いに拮抗しながら世界を成り立たせています。

このバランスが崩れると、自然災害や病気、不幸な出来事が起こるとされ、陰陽師たちは祈祷や占術を用いて調整を行ってきました。例えば、藤原氏が政権を握っていた時代には、疫病の流行や天変地異があるたびに陰陽師が呪術を行い、国家の安定を図った記録が残されています。

(2)五行説
 

五行とは、木・火・土・金・水の五つの要素から成り立つ自然の法則であり、相生(互いに助け合う関係)と相克(互いに打ち消し合う関係)の原理によって世界が動いていると考えられています。

例えば、火は木を燃やして増大し(相生)、水は火を消す(相克)という関係が成り立ちます。この原理は、戦術や医療、さらには家相や風水にも応用され、戦国時代の武将たちは五行を活用して戦局を予測し、戦勝祈願を行っていました。

(3)天人相関


宇宙の動きと人間の運命は密接に結びついているという考え方です。たとえば、月の満ち欠けが人間の心理や健康に影響を与えるように、天文や暦の動向を見極めることで未来の出来事を予測することができるとされていました。

古代では、日食や彗星の出現は国家の運命を左右すると信じられており、天皇の即位や戦の開始時期は必ず陰陽師による天文観測の結果をもとに決められていました。

 

特に有名な例として、安倍晴明は一条天皇の時代(997年)、「彗星が現れたため、疫病が流行する可能性がある」と進言しました。宮廷では晴明の助言を受け、大規模な厄除けの儀式が執り行われたといいます(小右記)。

3. 陰陽道の表と裏

陰陽道は、表の世界では国家や宮廷の安定を支える公的な学問・技術として機能していました。一方で、裏の世界では呪詛や秘術を操る存在として陰陽師たちが活動し、時には政治闘争や個人的な怨念を晴らすために利用されることもありました。

 

  • 表の陰陽道:暦の制定、方位学、祭祀、災厄除け
  • 裏の陰陽道:呪詛、式神使役、秘術による運命操作


例えば、平安時代の陰陽師・賀茂忠行の家系は、公的な陰陽寮の仕事を担う一方で、密かに呪詛や祈祷を請け負い、政敵を失脚させるための術を使っていたとされています。

 

安倍晴明の図(Public Domain)



4. 現代に生きる陰陽道

陰陽道は江戸時代以降、公的な役割を失い衰退していきましたが、その思想や技法は現在も形を変えて生き続けています。風水、姓名判断、九星気学などの占術は陰陽道の影響を色濃く受けており、また密かに陰陽道の秘術を継承する存在もいます。

それでは、陰陽道の「表」と「裏」の両面に迫り、その歴史と現在の姿を詳しく探っていきます。

 

第1章:陰陽道の表(公式の陰陽道)

 1. 陰陽寮の成立と宮中での役割

陰陽道は、日本の古代国家において重要な役割を果たしていました。奈良・平安時代には、陰陽寮が国家機関として設置され、宮廷におけるさまざまな儀式や占術を担う存在となりました。

陰陽寮の役職には、以下のようなものがありました。

  • 陰陽師(占星術・天文を司る)
  • 天文博士(天体観測を専門とする)
  • 暦博士(暦の制定を行う)
  • 漏刻博士(水時計を管理し、時間を測る)


それぞれの分野に精通した専門家が任命され、国家の運営に関わっていました。

(1)陰陽師の役割と影響力

陰陽師は、単なる占い師ではなく、政治にも大きな影響を与える存在でした。天皇や貴族たちは、陰陽師の助言を基に戦争や政策を決定することがあり、陰陽師の発言が国家の行く末を左右することも珍しくありませんでした。

特に平安時代には、安倍晴明のように朝廷の信頼を得た陰陽師が活躍し、貴族の護符を作成し、呪術によって病気を治療し、さらには怨霊や悪霊を鎮める役割を果たしました。

 2. 陰陽道の技法(占術・暦・方位・祓い)

陰陽道は、さまざまな技法を駆使して、個人の運命や国家の行方を占い、厄災を防ぐための手段として発展しました。その代表的な技法には、「占術」「暦」「方位」「祓い」の四つがあり、それぞれが陰陽師の役割において重要な位置を占めていました。

(1)占術

占術は、陰陽道における最も重要な技法の一つであり、国家の吉凶を判断するために用いられました。天体の運行や干支、五行を組み合わせたさまざまな占術が発展し、戦争の時期、祭祀の実施、個人の運勢判断などに利用されました。

宿曜占星術:仏教と陰陽道が融合して生まれた占星術で、二十七宿を基に個人の性格や相性、未来の運命を占いました。

六壬神課(りくじんしんか):太陰暦を基に、戦や政争の結果を予測するために用いられた占術です。戦国武将の軍略にも影響を与えました。

遁甲術(とんこうじゅつ):天文学と方位学を融合させた術で、特定の時間と方角に基づいて行動することで、吉を得たり凶を避けたりするために使われました。

「周易(しゅうえき)」(実務的な占いとしては「断易(だんえき)」も民間陰陽師が使用した):周易は八卦を基に人生の吉凶を占う古代中国由来の術であり、日本でも陰陽師たちによって用いられました。

(2)暦の制定

陰陽道のもう一つの重要な役割は、暦を制定し、それに基づいて国家の祭祀や農耕の計画を立てることでした。日本では中国の暦法を基にしながら、独自の改良が施されました。

宣明暦(せんみょうれき):平安時代に使用された暦で、天文博士が天体観測を行いながら暦の修正を加えていました。

天赦日(てんしゃび):天がすべての罪を許すとされる吉日で、特に重要な儀式や婚姻などに選ばれました。
 

二十四節気:春分や秋分といった節気に基づき、農作業の計画や宮中行事が決定されました。

(3)方位術と風水

陰陽道において、方位の吉凶を判断することは極めて重要でした。特に、都市設計や建築においては、四神相応の思想が適用され、土地や建物の配置が決定されました。

四神相応(しじんそうおう):都市を設計する際に、東に青龍(川)、西に白虎(道)、南に朱雀(池や湖)、北に玄武(山)がある地形を最適とする考え方です。平安京の建設にも取り入れられました。
 

家相・風水:建物の間取りや土地の方位を考慮し、住環境の吉凶を判断する技術です。現在の住宅設計にも影響を与えています。
 

方違え(かたたがえ):遠出をする際に、凶方位を避けるために、一度別の方角へ移動し、一晩泊まってから目的地へ向かう風習です。


(4)祓いの儀式

陰陽師は、国家や個人の厄を祓うために祓除(はらい)の儀式を行いました。これは、穢れや災厄を取り除くための重要な儀式であり、陰陽寮の職務の中でも大きな割合を占めていました。

御霊会(ごりょうえ):平安時代に行われた大規模な怨霊鎮魂の儀式で、疫病や戦乱で亡くなった人々の霊を慰めるために行われました。
 

②大祓(おおはらえ)・解除(はらえ):  国家規模で行われる穢れ祓いの儀式で、年に二度(六月と十二月)実施されました。陰陽師は「解除」の目的で大祓詞を使いました。
 

③除災招福の祈祷:  陰陽師が特定の呪文や護符を用いて、個人や宮中の安全を祈願しました。


3.現代に残る陰陽道の名残(神社・風水・姓名判断)
 

陰陽道は形を変えながら現代にも残っています。

(1)神社の祭祀
 

一部の神社では、陰陽道の要素を取り入れた祭儀が現在も行われています。特に、京都の晴明神社では陰陽師・安倍晴明を祀り、厄除けや開運の祈願が行われています。また、春日大社や賀茂神社などでは、古くから陰陽道の影響を受けた神事が今も続いています。

 


京都 晴明神社(筆者撮影)


(2)風水・家相


住環境における方位の活用は、現代でも一般的です。住宅やオフィスの建築では、風水や家相を考慮して間取りを決める人も多くいます。例えば、玄関の方角や寝室の位置などが、運気を左右すると考えられています。これは、陰陽道の方位学が風水と融合して発展したものです。

(3)姓名判断


陰陽五行を用いた名前の吉凶判断も、今なお広く利用されています。名前の画数や音の響きを分析し、運命や性格を占う姓名判断は、陰陽道の思想を基にした技法の一つです。特に、赤ちゃんの命名や改名の際には、吉数を考慮して決める人が多く、神社や専門家による相談が盛んに行われています。

また、現代のスピリチュアルや占いの世界でも、陰陽道の概念が活用されています。特に、方位学や九星気学、宿曜占星術などは、陰陽道の理論に基づくものです。これらの占術は、インターネットや書籍を通じて広まり、一般の人々にも親しまれています。

次章では、「陰陽道の裏の世界」として、呪術や式神、秘術といった陰陽師たちのもう一つの側面について詳しく掘り下げていきます。

(続く)

文責:はたの びゃっこ

 

 

以下の過去記事を読んでいると本記事の理解がはかどります。

 

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