皆さま
神仏習合時代の稲荷信仰の雰囲気を感じられる社寺が岡山県北部にあります。
今では荼枳尼天関係の仏を祀っている寺院は珍しいのですが、私たちは、そういう昔の祭祀の面影を残しているところを探して回っていた時期があります。
よろしくお付き合いくださいませ。
木山神社・木山寺
所在地:木山神社 岡山県真庭市木山1265-1
木山寺 岡山県真庭市木山1212
祭神:須佐之男命、菅原道真公、稲倉魂神外八柱
本尊:薬師如来、十一面観音菩薩
由緒
(1) 木山神社「木山神社は,弘仁七年(816年)の創建と伝えられ,古くは牛頭天王,感神院,武塔天神などともいわれ,悪疫退散,諸難消除,開運招福,生業繁栄,牛馬殖産の神として信仰されてきました。善覚稲荷神社では,木山狐七十五匹などの眷族信仰も盛んでした。ご祭神の神々の多くは,須佐之男命のご子孫神です。」(木山神社の由緒書きより)
(2) 木山寺「当山は高野山真言宗別格本山感神院木山寺と称し、往古は木山宮として尊信され、弘仁六年(815年)弘法大師空海の開基と伝えられる。ご本尊は薬師瑠璃光如来、十一面観音菩薩である。鎮守神には木山牛頭天王と善覚稲荷大明神を祀る。
木山牛頭天王は薬師如来の化身で、左手に羂索、右手に斧を持たれ、除災拓福の大願を成就される。善覚稲荷大明神は十一面観音の化身で、左手に宝珠、右手に利剣を持たれ、商売繁盛、五穀豊𩜙、開願成就、交通安全の願いを叶えられ、広く中国各地で崇敬帰依されている。」(木山寺の案内板より)
ちなみに、善覚稲荷は正徳年間(1714)に伏見稲荷大社より勧請されました。当時の僧が善覚という名僧で、その徳を称えて善覚稲荷と呼ぶようになったとのいわれがあります。
明治に出された神仏分離令は、それまでの神仏習合の信仰のあり方も変化させ、神さまと仏様を別々の場所にお祀りして拝むようになりました。
しかし、私たちは、神さまと仏様は1つだと思っていますし、宗教や宗派の違いにとらわれることなく、一なる神として祈りを捧げることが大切なことだと思っています。
岡山県の北部に、そういう神仏習合と分離の様子をうかがえる神社、寺院があります。
木山麓に移された木山神社
まず、木山の麓に移された木山神社で参拝し、そこから木山山頂に向かって山道を登っていきました。
まず、木山神社の奥宮に参拝。あたりは訪れる人もなく,ひっそりと静まりかえっていました。
木山神社奥宮
木山神社の奥宮は木山寺の向かい側にあります。ここが木山神社の「本体」というべきでしょう。
もともとは神社とお寺が同じ所にあったのを、明治になって神社だけを山の麓に移しているわけですが、奥宮の方が神霊反応が強く感じられました。
木山寺
木山寺は麓の木山神社から山道を2キロほど登った標高430メートルの木山山頂付近にあります。
冬場に訪れたので、雪が積もっていました。手前に見える鳥居は弁財天のお宮です。
駐車場に車を止めて、木山寺の本堂に向かいました。お寺なのに鳥居が立っているところがいかにも神仏習合の名残を感じさせてくれます。
本堂の中に入って、お参りをさせていただきました。
木山寺の本堂
よく見ると,お稲荷様のお使いである霊狐の像もあります。このお寺にお祀りしてある善覚稲荷大明神というのは,実は仏教稲荷である荼吉尼天です。
木山は江戸時代から稲荷信仰、荼吉尼天信仰で知られた霊山としての顔も持っているところです。
稲荷神とご縁のある人ならぜひ一度は訪れてみられると良いでしょう。
木山寺の鎮守神。右手が牛頭天王、左手が善覚稲荷大明神。姿から見て荼吉尼天であることが分かる。
このお寺には,今でもお稲荷様の強い神霊エネルギーが渦巻いていました。
眷族様も大勢いらっしゃいます。
木山宮は霊山としての雰囲気に包まれたとても神秘的な所で、私たちはすっかり、ここが気に入ってしまった次第です。
惜しむらくは、寺院と神社を分けてしまったことです。それによって、神仏の意識場がずれてしまい、木山宮として機能していた頃に比べると、神霊的エネルギーが拡散してしまうのです。
ここはまだ、神仏が完全には分離していない状態なので、まだ本来のエネルギーは失われてはいませんが、明治以前の状態に復元すれば神仏の意識場が統合されて、再び強い神霊エネルギーの集積地として機能し始めるはずです。
明治政府は、神仏分離以外にも神社の合祀を進めました。
1906年(明治39年)頃から内務大臣原敬のもとで神社合祀の政策を進めました。神社の数を減らすことを目的としており、一町村一社とする「合祀令」を出しました。
統合して大きくしたほうが神社に威厳が持たせられる、維持がしやすい、財源に見合う数まで減らすことができるなどの理由からでした。
行政上、村の合併が進められたのと合わせて、神社の統廃合が進められ、小集落ごとにあった小さな神社が合祀廃社されていったのです。
その結果、10年足らずの間に、全国的に約20万社あった神社の約3分の1が取り壊されました。
神社合祀には反対運動も起こり、南方熊楠や毛利柴庵は『牟婁新報』に論陣を張り、行きすぎた神社合祀に激しく抗議しました。
神社合祀は「国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害することおびただし」「神社合祀は愛国心を損ずることおびただし」「神社合祀は土地の治安と利益に大害あり」などと指摘されています。
これによって、古くから人々の信仰を集めていた神さまもなくなったり、古い祭祀が失われることにつながったのは、とても残念なことです。
参考文献:三浦 譲(編)「全国神社名鑑 下巻」全国神社名鑑刊行会史学センター,1977
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