皆さま

 

人には喜怒哀楽の感情があり、ものごとや対象に対象にいだく気持ちも様々です。しかし、この感情が自分や他者に対して「毒」になることもあります。

 

今回は感情浄化についてお話しいたします。

 

よろしくお付き合いくださいませ。



Q.先生は「感情は常時浄化を心がけるべき」とおっしゃっていますが、これはどういうことでしょうか。
 

A.これは講演で述べたことなのですが、一言でいえば自分がダークな気持ちにならないようにするということです。ダークな気持ちにならないために、自分の感情は常に波が立たないよう、清らかな状態、「六根清浄」というか、そういう状態を保つようにするのです。
 

なぜ波が立つといけないのかというと、波を出すと、それによって行動が振り回されてしまうのです。感情に自然に素直に表現しなければいけないという場面ももちろんあるのですが、普段の生活の中であまり感情が揺れていると、ちょっとしたことでキレて、そこで仕事上の関係の相手と大げんか、トラブルとかになってしまう。
 

そうなると今度はマイナスの引き寄せの法則的なことが働いて逆にいろんな文句や、クレームをつけられることが増えて、またこちらが嫌な気分になるということになる。

 

ネガティブな感情状態のときにはネガティブな人が寄ってくるのです。自分と同じ波長の人がね。同質結集の法則とも言いますが、同じような感情を持った人が集まってきます。

 

ちょっとしたことを一々心配すると、そういうことを増幅させるのです。ものごとにあまりとらわれないことですね。怒らないこと。特に怒りが一番体にも悪い。
 

Q.人間ですから、日常生活の中で腹を立てたり、いやなことがあったり、感情が乱れることがいろいろあると思うのですが、その場合はどのように対処すればいいのでしょうか。
 

A.そういうことがあったら、そのつど唱え言葉などで、「魂鎮め(たましずめ)」をしていくのがお勧めです。すでに紹介している六根清浄大祓の言霊などでもいいでしょう。

 

「六根清浄」とだけ唱えてもいいし。腹が立ったときに言うのです。口に出せない状況であれば、頭の中でいうだけでも大丈夫です。100%ということはあり得ないけれども、少しでも鎮めるように努力するのです。


あと、お勧めしたいのは自然と触れ合うということですね。これが浄化には一番私は効果的な方法だと思います。何も言わなくてもいいし。山に行ってみるとか、海に行ってみるとか。木に抱きつくとか。特別どこかに行かなくても、昇る朝日を見て、手を合わすということでもいいのです。

 

日々の喧噪の中で暮らしていて疲れたと感じるならば、人のいない自然の中に分け入っていって、ソロキャンプを楽しむのでも良いですね。

 


Q.霊場めぐりみたいなことは有効でしょうか。八八カ所参りとか。
 

A.それもいいのですけれども、八八カ所の霊場を巡っているときに、いろんなお試しがくるのです。すごくネガティブな感情にさせられるような出来事が起きるわけです。やってられないみたいな感じで……。それは願望達成のところで述べた「お試し」ということと同じです。
 

例えば私が実際に経験したことでこのようなことがあります。代参の仕事で実際に四国霊場を回ったことがあるのですが、寺社めぐりをするとき、御朱印帳に寺社名を書いてもらったり、朱印を押してもらったりということをします。

 

このときそこの受付の僧侶がとんでもなく無愛想で、なぜか突然説教をされたということがありました。御朱印帳を出すときに、うっかり向きを間違って出したら、「何考えているんだ、そんな出し方ではダメだ、お前、帰れ」みたいに突っかかってくるのです。
 

でもそこでむっとしたり、言い返したりしたらだめなのです。すみませんでした、失礼いたしましたと、頭を垂れる。お試しなのだから、そこで頭にきて、感情を乱してしまったらおしまいです。
 

そもそもそのお寺自体も、そこへたどり着くまでにやたら迷ってなかなかたどり着けないのです。四国はもともと道が悪いのです。こんなはずじゃないのにとか、全然違うところに行っているとかね。


それとか、お遍路さんが泊まる宿坊でお金を盗まれるということもあります。お遍路さんの格好をした泥棒がいるのです。


そういうお試しがあるということを承知の上で、感情浄化をはかるという目的で行くのであれば、それもひとつの方法だとは思います。

 

 

Q.四国遍路も最近は外国人が多くなり、多様化しているようですが、巡礼の旅の意義についてもう少しお話しいただけますか。

 

A.もともと霊場めぐりの場所というのは、すべて山の中、自然の中です。自然の中に身を置くということはそれ自体が情緒を安定させ、浄化させる基本となるものですから。感情を鎮めるための立地条件がそろっているわけです。
 

ただ、巡礼に関して言えば、やっぱり何か自分の思いとか、かなえたい願いがあって回っている人が多いと思うのです。

 

自分探しのため、家族のため、大切な人のためといったような。そういうことを目的にめぐった場合、それが感情浄化に直結するかというと、それは必ずしもそうとはいえないと思いますが。
 

いずれにしても、どのような形であれ、常に感情の浄化をはかり、穏やかな気持ちでいると、仕事も人間関係もうまくいくし、人生も開けてくるのです。
 

四国に住んでいる地元民として遍路のことを語るなら、「お接待」の意味が今はとても美化されていると言うことですね。

 

お接待とは、四国遍路で、茶菓や食事などをふるまったり、宿を提供したりする風習のことです。何の見返りも期待せず、通りがかりのお遍路さんに親切にすることをさしています。

 

お遍路さんに食事や果物、飲み物を振る舞い、ねぎらいの言葉をかけ、道に迷ったときは道を案内し、時には「善根宿」(ぜんこんやど)と呼ばれる無料の宿やお風呂を提供することもあります。

 

このような文化があるのは、一つにはお遍路をする人は「修行者」でもあり、神聖な存在として丁重にもてなしをしたということがあります。尊敬の対象だったのです。

 

しかし、他には悲しい物語もあります。昔は不治の病や人生をはかなんで死に場所を探すために遍路をしていた人も少なからずいました。

 

そういう訳ありの人が遍路道で宿もなく途方に暮れていたり、野宿をしたりすると、村人が「うちの村で行き倒れになってもらっては困る」と考え、一宿一飯のもてなしをして元気になってもらい、飲食物も与えたわけです。無縁仏にならないようにと……。

 

死と向き合う旅をしていた人々に対するせめてもの慈悲の意味もあったのです。

 

 

 

 

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