皆さま

 

神社は初宮参りや七五三などの人生儀礼、お寺はお葬式や法要などの死に関わる儀礼というように、神と仏の両方にまたがって儀礼を行うことがあります。

 

今回は、神と仏の使い分けについてお話しいたします。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 


Q.以前、願望成就のための祝詞と真言を両方紹介されましたが、人によって祝詞が向いているとか、真言が向いているといったことがあるのでしょうか。


A.それはもうどちらが好きということでしょうね。神道系のほうが好き、気持がよくなるとか。またなじみというのもあると思います。人によってお寺さんのほうがなじみがあるとか、そういうのはあるでしょうね。
 

家の宗教が神道ならば、全て神式でまとめてしまえばいいわけですが、日本では神仏習合の時代が約1000年も続いていましたし、儀礼によって神道と仏教の棲み分けもあります。

 

それに、人によって神さま系、仏さま系というように相性の良し悪しも違います。

神さま系でも、稲荷系、龍神系というように細かく見ていくとどちらが馴染みやすいとか相性があります。

 

なので、こうした相性を考慮に入れておくのもいいでしょう。神仏との相性判断は私たちがよく手がけている相談の一つです。

 

Q.素人はお経のほうが何となくわかったつもりになりますよね。般若心経でも、観音経でも意味がありますから。祝詞というのは、「音」ですから、それだけでは意味がとれないですね。
 

A.形式とか、文字とか、そういったことも多少は影響するけれども、要はその人の思いの強さが最後勝負を分けるんです。


思いというのは顕在的なことではなくて、潜在的なこと。自分の深層意識にあるものを引き出すということです。
 

表面的に、ああ、こうしたいとか言っているのではなく、自分の願望というものをちゃんと整理して、心をまとめて、一つにして成就という形に持っていくためにこういった言葉を唱えなさいということなんですね。
 

Q.真言は心の底から思っていなくてもいいんですか。
 

A.あれは一定の力を持っていますからね。言霊ですから。特に音に注意を集中し、その意味を知った上で唱えた方がはっきり効果が現れてきます。ただ、何となく唱えるのではなく、一音一音に魂を込めて唱えてください。
 

Q.――最寄りの神社に祈りに行くのは、最寄りのお寺さんでもいいわけですか。菩提寺とか。
 

A.もちろんそれもいいです。しかし現世利益的なことは神様、ご先祖様に関しては、守護してくれる、守ってくれる、仏の守護ということですね。

 

Q.家で仏壇を拝むだけでなく、お墓参りも大事ですか。
 

A.それはもちろんです。お墓参りということでいえば、「死んだ人はお墓に眠ってはいない」という歌がありましたが、あれは間違っています。

特に直近の仏(死者)の場合、しっかりお墓にいます。そのような場合、間違っても、千の風になどにはならない。死の状況やなくなってからの時間の経過にもよりますが、人の姿のママですね。


まず意識として、亡くなった人はお墓の中にいるのです。とどまっているわけです。

 

だから、そこに定期的にお参りに行くということは、先祖を喜ばせることになるわけです。お参りに行けば、本当に先祖は喜びますよ。ここへ来てくれたという気持ちがありがたいのです。

 

先祖の側から見れば、家のお仏壇は霊界の表玄関であり、お墓は裏玄関です。だから、お墓参りに行ったり、仏壇でお経を上げたりすると、ご先祖様が喜んで出てきてくれることはあります。
 

 

Q.死者の魂がお盆に帰ってくるというのは?
 

A.お盆の時期だけにわざわざ帰ってくるわけではないけれども、そういうふうな文化的な無意識がつくり出した部分があるから、お盆の時期になると、確かに仏の意識が集まってくるのですね。いっぱい重なって集まってくるのです。
 

Q.お墓が荒れたままになるとどうなりますか。
 

A.私は霊障の家族のケースを数多く見てきていますが、ほとんどの場合、お墓を疎かにしているのです。

 

仏様がお墓で静かに眠っているのは、子孫が先祖を大切に思う心を持っているときであって、お墓が荒れ放題だったり、無縁仏化したりしているような場合は、確実に騒ぐ。子孫への影響が出てきます。
 

最近は、少子高齢化に伴ってお墓を継承していく者がいないから、墓じまいをしたという話もよく聞きます。もしも、自分の代で終わりにしたいというのならやむを得ない選択かもしれません。

 

ならば、先祖との関係をすべて断ち切る覚悟があるかどうかが問われてきますよ。



Q.話は変わりますが、宿命、運命は祈りでは変えられないのでしょうか。

A.「運命」は変えられるけれども、「宿命」は変えられないものです。私はこの二つを分けています。運命は自分で「命を運ぶ」もの。だから、運命に関しては、自分はこうしたいとか、ああしたいと思う願望のレベルで左右できるものです。運命は切り開ける。しかし、宿命は「命が宿る」ものだから、これは変えられません。生まれるところ、性別、家庭環境、家庭的背景など。


運命は、いってみれば選択肢の連続なのです。未来の選択肢。よく見るデンドログラム(樹状図)のようにAの選択肢、Bの選択肢、どちらをとるかによって、また、その枝が分かれている。

 

木があって、枝がいっぱい分かれていっていて、人生というのは、そういう枝分かれがいっぱいある木のようなもの。

 

ツリーとしてイメージしてもらったらいいと思うのです。だから、その場、その場の選択によって、どちらの方向に葉っぱが伸びていくかというのは変わってくる。


それはある程度決まった大きな方向性の中での小さな選択ではあるけれど、その積み重ねによって、どちらの方向に向くかというのはだいたい決まってきますから。

 

その人の性格とか、くせによって、いつも右のほう、Aばっかり選択しているとか、Bばっかり選択しているとか、そういうので曲がっちゃっている人もいる。もっと真っすぐいけばいいのにというのもあるわけです。
 

Q.結婚したいがなかなかできない、いわゆる「縁が遠い」というのも宿命ですか?
 

A.先にもちょっと触れましたが、宿命的に縁が薄いという人がいるのです。こればかりは宿命ですから変えられない。だから、そういう方向で生きていくのではなくて、別の方向で生きていくということを模索したほうが解決も早いのです。
 

例えば宿命の問題というのは、自分がどういう家に生まれたかとか、そういう「選べない」ものです。その中で定められたものというのはあるから、どうしても縁が薄い人は薄いのです。


私たちが拝んでいるときにも、託宣でボーンとおりるわけときがあります。この者には縁がないと。でももちろんそんなことは本人にはいえないから、本当にひたすら頑張りなさいとしかいいようがないのですが。
 

私たちは結局、取次役だから、神様の声とか、そんなのがドーンとおりたときに、それをそのままいってしまって、相手が立ち直れないとか、首をつるとか、そんなことになったら大変です。

 

それはやっぱりやってはいけないことなのです。相手の寿命のこととか、縁があるとか、薄いとかというのはたとえ分かったとしても教えないのが鉄則です。
 

ただ、そこで一生懸命祈って、接近遭遇とか、出会いをたぐり寄せるとかという程度だったらできます。


結局、縁が薄いとか、濃いとかいっているのは、先祖の因縁とか、いわゆる家のカルマと呼ばれているものに本当は関係しているのです。

 

これはいろんなケースがあるのだけれども、おじいさん、おばあさんとか、ひいじいちゃん、ひいおばあさんの時代に、嫁姑問題とか、夫婦仲が悪いとか、いろいろ家庭内でもめごとがあって、女の人を放り出すということを昔はよくやったのですね。

 

子どもを生めないから離縁するとかね。石女(うまずめ)という言葉があったくらいですからね。お嫁さんをかなりいびり倒してね。そういうことをやっていると、子孫は縁が薄くなってしまいます。

 

なので、そういう家系が持っている歴史を振り返った上で、少しでも改善できるポイント見つけて、軌道修正を試みることはできます。

 

ただ、これは簡単なことではないと申し上げておきます。自分が先祖とどう折り合いをつけていくかだけじゃなくて、神や仏の力も借りないといけないことですからね。

 

絶対に変わるのだ、変えてみせるという自分自身の覚悟も要求されます。

 

 

 

 

関連記事

 

 


お問い合わせ等はこちらへ

 

 

よろしければ下のバナークリックお願いいたします

 

巫師 麗月のブログ - にほんブログ村

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村