当ブログを始めてから約3週間が経過しました。これまでにアップした記事から、当ブログが描いている世界観がどのようなものか、おぼろげながらイメージが出来るのではないかと思います。

 

 

ここで当ブログ、および秦霊性心理研究所が読者の方に示そうとしているビジョンや、私たちの立ち位置について説明しておきたいと思います。

 

 

秦霊性心理研究所(略して霊心研)は、神道をベースに、密教、修験道、陰陽道に関わる呪術的要素を取り入れつつ、古来より日本で芽吹き、育まれてきた霊的伝統を今の世に継承する者たちの集まりです。

 

 

神道をベースにしていると書きましたが、その内容は神社神道ではありません。

 

 

神社神道は、明治15年(1882年)以降に成立した教派の神道(教派神道)と区別するために用いられ、第二次世界大戦後通用しています。神社神道は、皇室祭祀と共に神道伝統の中核を成すと理解されています。

 

 

 

また、いわゆる古神道でもありません。

 

 

江戸時代の復古神道の略称。江戸時代の復古神道の流れを汲み、幕末から明治にかけて成立した神道系新宗教運動。仏教、儒教、道教、渡来以前の日本の宗教を理想としている。

 

 

あえて言えば、原始神道または神祇信仰と学術的には呼ばれている、いにしえより伝わる信仰体系を今の世に再現し、伝えるものです。古代の素朴な形の信仰を復興し、現代社会における精神的な枠組みや倫理観の基盤として再導入しようと試みるものです。

 

 

特定の教義・教理もなく、教祖もおらず、誰が始めたのかさえも正確には伝わっていない古代の民俗宗教、中でもアニミズムと祖先崇拝を重んじる霊的伝統が日本にはあります。私たちは、その伝統の源流にまで遡っていきました。

 

 

もう一つ見落としてはならない特徴として、日本の宗教的伝統が外来の宗教の伝来によって既成のものと習合してできたことが挙げられます。信仰の上書きと言うべきか、神祇信仰にしても縄文時代からの精霊信仰に、祖先の霊を崇拝する信仰が混ざり、さらに首長の霊を崇める信仰も幾重にも重なっているのです。

 

 

その後、主に中国から仏教、儒教、道教などが伝来してきて習合度がさらに高まっていったのが日本的霊性のもつ特性とも言えます。

 

 

しかし、19世紀明治政府が近代化と神道の国教化を推し進めた結果、多くの霊的伝統が失われてしまったことを見逃してはなりません。

 

 

たとえば、神と仏を分離して、仏を排除したこと。

 

 

神仏分離令(しんぶつぶんりれい)とは、1868年(明治元年)3月に明治政府によって出された命令です。すなわち、神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院をはっきり区別させるため全国的に公的に行われた命令です。

 


神仏分離令の内容は次のとおりです。
 

1.神社から仏像・仏具を除去する
2.寺院から神社関係器物を除去する
3.神社所属の僧侶の還俗(げんぞく)を命じる
4.神体を仏像として祀ることを禁止する
5.鰐口(わにぐち)・梵鐘(ぼんしょう)など仏具の除去
6.別当(神社に付属していた寺院の長)・社僧といった寺院・神社両属の者の還俗

 

神仏分離令は、太政官布告・太政官達・神祇官達の3つの通達の総称です。この政策から仏教を排撃し、神道を極度に重んじようとする過激な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起きました。

 

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)とは、仏教を排斥するための運動です。明治時代初期に、政府の神道国教化政策に基づいて行われました。


「廃仏」は仏法を廃し、「毀釈」は釈迦(仏教の開祖)の教えを棄却するという意味です。


 

この運動では、多くの寺院や仏像、経文などが破壊・焼却されました。廃仏毀釈の機運が完全に終息したのは1876(明治9)年頃です。
 

 

廃仏毀釈は、主に仏教に反感を持っていた神道家や神職の人々が中心となって行われました。また、一般の人々も加担しました。


次に、明治政府が行ったことは陰陽道の廃止です。

 

 

天社禁止令(てんしゃきんしれい)は、明治政府による陰陽寮廃止政策の一環として出された太政官布告です。1870年12月9日(明治3年閏10月17日)に発せられました。

 


この布告により、公的に認証を受けた職業としての陰陽師は存在を禁止され、陰陽道自体も禁止されました。陰陽師は、呪術や占いを使って天皇や貴族を競争相手から守る政治アドバイザーであり、天体観測や時間の計測、暦の作成などを行う科学者でもありました。

 

 

これが陰陽師の本分であって、それ以外の呪術的要素や超人的な活躍の話は伝説というか、かなり脚色されたものだと言わざるを得ません。現代の日本でもマスメディアによって、そのイメージが大きく歪められています。

 


天社禁止令により、土御門配下の多くの陰陽師たちはその身分と権利を剥奪され、表舞台から姿を消すことになりました。

 

 

第三に、修験道の廃止を明治政府は行いました。

 

 

修験道廃止令は、明治5年(1872年)9月15日に太政官から出され、修験道が禁止されました。この令により、修験者は還俗、神職、天台宗僧侶、真言宗僧侶のいずれかになるように命じられました。
 

 

修験道は、日本固有の山岳信仰を基に、シャーマニズム・神道・仏教・道教・陰陽道・儒教などを習合してできた宗教です。明治政府は神仏習合を打破しようと、神道を国教化し、神社から仏像や仏具を取り除くなど、神仏分離を断行しました。また、廃仏毀釈により、修験道の信仰に関するものも破壊されました。

 


修験道廃止令により、全国各地にあった修験道は一時消滅し、大方が廃寺となるか、神社となっていきました。

 

 

これらの政策は、明治時代の近代化に伴う国家の改革と、神道を国教として強調することで国家統一を図るために実施されました。これらの措置は、日本の宗教や社会構造に大きな影響を与え、近代化への道を開く一方で、宗教の伝統や文化を一部で失わせる結果ともなりました。

 


私たちの取り組みは、昔から地域共同体で行われてきた祭り、祭祀、民間信仰も取り込み、神々と共に生きてきた人々の素朴な祈りも踏まえて、人と神・仏との繋がりのあり方をもう一度考え直す必要があるとの認識において一致しています。

 

 

今後、ブログ上で日本の霊性に関わる多様な情報を発信していきたいと考えていますが、これは私たちの言説が絶対的に正しいというものではありません。少なくとも、昔の人々の心性はそのようなものだったのかという気づきに繋がれば幸いだと考えています。

 

 

現代の物質主義的な風潮、そして科学的世界観を唯一絶対のものと見なす傾向には限界があると私たちは考えています。

 

 

 

 

 

 

特に無神論者は宗教的な信念を否定して科学的証拠に基づいて物事を認識する傾向がありますが、科学自体にもまだ解明されていない謎や限界があります。

 

 

もしも、未解決の問題や科学が対応できない領域に直面した場合、不確かさを感じることがあるかもしれません。

 

宗教を信じる人々はしばしば人生の目的や意味を信仰に求めますが、無神論者は宗教的な枠組みを持たないため、自らの人生の目的や意味を見出すことに苦労することがあるかもしれません。

 

宗教を信じる人々はしばしば神や霊的存在によって安心感を得ることができますが、無神論者はそのような信仰を持たないため、苦しい時期や困難な状況に直面した際に精神的な支えを見つけるのが難しいかもしれません。

 

宗教的信念に基づく人々は死後の世界を信じることで、死後の永遠の命や魂の存続を望むことがありますが、無神論者は死後の世界を信じないため、死が全ての終わりであるという現実に向き合う必要があります。

 

 

最終的には個人の信念の問題になってくるので、何を信じようが私たちは自由です。

 

 

ですが、上に挙げたような点において神も仏も信じない、死は全ての終わり、死後の世界も生まれ変わりもないと思う人は、人生における出来事の不確実性、精神的支えの欠如、生きる意味と目的の探求といった課題に直面したときに、無力感に繋がるではと考えます。

 

 

そのことが幸福感や心の安寧の不足に繋がっているとすれば、ここで一度立ち止まって自分自身の世界観なり死生観も含めてよく考えてみることをお勧めします。

 

 

秦霊性心理研究所

所長 はたの びゃっこ

 

 

霊心研友の会

 

 

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