皆さま

 

 

人の噂ほどいい加減なものはありません。

 

でも、噂に流されやすい人もまたいらっしゃいます。

 

そうして周りの情報に流され自分の信念もブレていくのです。


今回は、心霊スポットの話をしましょう。



私は人の噂は信じません。自分の足を使って、心の眼も使って確めに行きます。仕事の依頼で行く場合もあります。

 

最凶心霊スポットだという噂の絶えない場所がありますね。

 

心霊スポットという言い方は好きではありませんが、ほとんどが誤解やデマにもとづくものです。

 

なにか事件が起これば、すぐに噂が広まり心霊スポットにされます。

肝だめしという行為は眠っている霊をからかう行為になります。

 

静かにしている霊や眠っている霊が怒って現れるのは当たり前です。

すると必ず後から祟られた、取り憑いたと噂が広まります。

私は以前、長崎県の島原や熊本県の天草に行ったことがあります。島原、天草と言えば天草四郎、潜伏キリシタンが有名です。

実際にキリシタンたちのお墓、天草四郎のお墓、また最凶心霊スポットだと言われている島原の原城跡に行きました。

何日も通いました。島原と天草を行き来して霊視をしたり死者との交信を続けました。

皆さま。島原や天草に稲荷神社がたくさんあるのを知っていましたか?

キリシタンの墓のそばには稲荷神社があります。それも一社や二社ではありませんでした。

まず天草四郎と交信した時に感じたのは、天草四郎は不思議な能力の持ち主ではなく、周りが作り上げた仮のキリシタンの頭に過ぎなかった事。ふつうの人でした。

そして伝えられている歴史とは少し違いがあった事。

お稲荷さまと言えば秦氏の祀った神さまですが、キリシタンと秦氏、陰陽師と縁が深い事も確信できました。

 

 

現地を訪れてみて私が涙し、感動した事があります。

 

残酷な拷問を受け、殺されたキリシタン信者の数え切れない霊と対話ができました。

島原の原城やキリシタン墓地に行った時、取り憑くような霊は1人もいませんでした。キリシタン信者は拷問を受けても殺されても自分の信じる教えを貫きました。

昔のキリシタン信者は「怨みや憎しみをいだくことなく、愛の力が平和と幸せをもたらす」と強く信じていたのです。

地獄の苦しみの中でさえ自分の信仰を捨てなかったキリシタン信者がなぜ祟るのでしょうか?

もしも取り憑くような霊ならなくなる前に神さまのことを呪い、信仰を捨て、自分の命を優先するはずです。

 

もちろん命が惜しくて信仰を捨てた人もいます。

私は「辛かったでしょ。痛かったでしょ。苦しかったね。無念だったね」と彼らに語りかけました。

キリシタン信者が何人も私のそばにやってきて、「もう昔の事。わたしたちは信仰を貫いたのだから、それでいい。誰も恨んでいない。今日は話を聞いてくれて嬉しい。ありがとう。」

 

そう言ってくれました。

「私はキリシタンではないから合掌します。」と言ったら

 

「それでいい。あなたはあなたの信仰をつらぬきなさい。形は違うけれど気持ちは通じます。ありがとう。」と肩と背中を軽く叩いてくれました。

キリシタン墓地から帰ろうとした時に、足を滑らせてふらついた時に何人かの手がはっきり見え、両足と右腕をつかんで助けてくれました。

転ぶと思い、手がキリシタン墓地の十字架につかまってしまい、「ごめんなさい」と謝った時

 

どこからともなく、「良かった。怪我がなくて」と幼い女の子の声が聞こえました。

私は人の噂が、どれだけウソにウソを重ねた話が多いのか、大袈裟に言っているかを知ったのです。

優しく向かえてくれ、怪我するところを助けてくれるキリシタン信者のことを怨霊に仕立てあげるのは違います。

 

島原の原城跡は最凶心霊スポットなどではありません。

 

 

 

戦い、合戦、病院跡、廃墟、トンネル、事故現場、殺人現場、必ず心霊スポットだといわれます。

 

未練や怨みの想いが強く残った場所には確かに霊はいます。怨みや未練が強すぎて動けなくなって地縛霊になってしまうからです。

地縛霊は浮遊霊と違い、その場所からは動けない霊に入ります。

 

でも、肝だめしなどしない限り悪さはしません。

 

そういう場所に興味本位で踏み込む行いが彼らの眠りを妨げ、呼び覚ましてしまうのです。

 

 

 

心霊スポットとして必ず取り上げられるのがトンネルです。

 

暗く、ジメジメしているから噂のネタにされます。

仮に霊が一体トンネルにいたとします。

もともと障りも祟りもしない霊なのに、おもしろ半分で大袈裟に噂にしたとします。

噂を聞きつけて何人かが肝だめしにやって来ました。

 



実は、ここで間違いが起きているのです。

肝だめしに行く前にトンネルの話や霊を見に行く事に対して、おもしろ半分で話をしながら移動中に自分達が別の場所から浮遊霊を呼び寄せてしまい、トンネルで霊同士が合流したケースがほとんどです。

遊び感覚で霊の話をしていたら霊を呼んでしまう場合があるのです。

 

 

事故物件も同じです。

怨みと言うより寂しさや孤独、誰かに知ってもらいたい話を聞いてもらいたいと訴えて来る霊がほとんどです。

集団催眠とは、だれか1人が霊に取り憑かれた、帰りに事故に遭った、病気になったと言って、いかにも心霊スポットに行ったから「あそこは恐い場所だ」と噂を流せば、それを聞いた人がつぎつぎに感化されていきます。

 

暗示にかかりやすい人は、思い込みから自分で霊を引き寄せてしまうことがあります。

それが連鎖反応になって霊にまつわる現象が起こるようになっていくのです。

 



これを噓から出た実ともいいます。

 

 

 

事故、怪我、病気、死は心霊スポットとは関係なく、だれにでもおこりうる出来事です。

事故、怪我、病気、死といった言葉から連想されるイメージが暗示によって心霊スポットを作ってしまうことがあります。

 

私は事故物件、神社跡、墓跡地の祓いを数多く手掛けてきました。

いまだに忘れられないことは、某神社の裏山で呪い釘を打っていた場所を浄めた時の経験です。

人を呪う行為は自分も共に墓穴を掘る行いです。

呪い釘を打っていた女性が、ある日、病気になり入院しました。

なのに生霊になり夜中に呪い釘を打ちに現れました。凄まじい執念です。この場所を祓うのにとても時間がかかりました。

 

神社によっては縁切りで有名なところもあり、復讐のため人を呪う願かけをしに来る人が後を絶たないところもあります。

 

人の想いがこのような場所に集まってきてマイナスのエネルギーの塊になってしまうのです。

 



もう1つ。ある夫婦の話です。

 

奥様が病気になり何度も手術を繰返し入院生活を送っていた時、ご主人に愛人ができ、不倫関係になりました。

奥様は我慢していましたが自宅に女性を入れた事だけは許せなかったのです。

夫婦の寝室だけは汚されたくなかったのです。

急にご主人と愛人に、病院にいるはずの奥様が見えたり家を歩き回っている気配や姿、鏡に映るようになり愛人の顔まで奥様の顔に見えだし、うつ病になってしまい、ご主人の親御さんが相談にいらっしゃいました。

奥様は入院中にご主人や家の事が気になり、病室でそれだけを考えていたら「想い」だけが家に帰ってしまったのです。

呪い釘事件も入院中の奥様の件も体外離脱をして生霊が動いたのです。

 

 

この世で一番恐いのは生きた人間です。

死者の魂はいずれ黄泉、霊界に帰ります。

しかし、生きている人間の場合は「現世」しかありません。

心霊スポットも生きている人間が作り上げる事もあるのです。

 

麗月 謹上再拝

 

 

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