皆さま

 

自分のブレない信念や信仰の軸をつくることの重要性はお話しいたしました。それでは、実際にどのような手順を踏んで願望の実現をめざしていけば良いのでしょうか。

 

今回は「願かけ」についてお話しいたします。

 

よろしくお付き合いくださいませ。



Q.「願かけ」で印象深い例はありますか?

A.ある中小企業の経営者で自分が経営している会社が傾いているというときに、その人は自分の好きなお酒を一〇〇日間断ったのです。一定期間、自分の好きなものを断つという形で「願かけ」をしました。


「願かけ」の具体的な方法は、まず日数のコースを決めます。コースはいろいろあって7日間コースが一番短いコースです。その次が21日、35日コースがあり、100日間コースが最も長いものです。

この間、たとえば、お茶やお酒、甘いものなど、自分が好きなものを断つ。これが【ポイント1】です。

それから、神棚に毎日手を合わせます。

 

手を合わせるときにそこに常に神さまがいらっしゃると思ってお参りして、「新しい注文が来るように」とか「大きいプロジェクトが来るように」とか「社運を賭けてやっているこのプロジェクトが成功するように」「新商品がうれますように」というように願い事をはっきり具体的に決めてやります。そういうふうに思いを一つにまとめてぶれないようにします。しかも習慣的にそれを意識することです。それが【ポイント2】です。

まとめますと、まず好きなものを断って願かけの日数を決め、その期間、毎日必ず神棚に手を合わせる──これが「願かけ」の具体的な手順です。

ここで、注意しておきたいことがあります。

 

願かけを始めると、必ずといっていいほど「魔がさす」ような出来事が頻発するようになるのです。願かけは一日でも欠いてしまえば、水の泡になってしまいます。

 

ところが、願かけ中に、仕事の依頼や、遊びの誘いがきて、拝む時間を確保できなくなるような出来事が起こったりします。思わぬアクシデントやトラブルが発生して、拝む気持ちになれなくなるような出来事も起こります。

 

そこで、拝むことをやめてしまったら、もうおしまいなんですね。願かけの最中は、絶対に拝む時間を確保して、ほかの活動を優先させないようにすることが肝心です。

 

もしも、途中で失敗してしまったら、日を改めて最初からやり直しになります。



さて、その会社の場合、100日間「願かけ」して、経営を立て直しました。でも、その後のフォローが大事なのです。結果が出たあとに、気を緩めて何もしなくなってしまうとその反動が来ます。せっかくうまくいっても急降下することになりますから、結果が出たら必ずお礼参り=願ほどきをします。これが【ポイント3】です。

 

 


伏見稲荷大社 大祭時に献納された品々 プラスの想念の循環


お礼参りはその人が崇敬している神社があればそれでいいのですが、できれば先祖代々、そこに縁もゆかりもあるという神社が一番いいですね。その神社に行って、「おかげさまで結果が出ました、ありがとうございました」という感謝と報告をします。

 

願かけと願ほどきはワンセットです。始まりと終わりが肝心です。

 

 

Q.お礼参りは願掛けを始めたときや途中に行っていない神社でもいいのでしょうか?

A.いいえ、願掛けを始めたときにお参りした神社に必ずお礼参りをします。さらに、その神社で願掛けをするならば、毎日通い詰めなければなりません。しかも、願掛けの最中は、拝んでいる姿を人に見られないように細心の注意を払う必要があります。それから結果に見合った報酬、自分が手に入れた報酬の何%とか予め決めていた額を寄付します。

 

アメリカで盛んなドネーション(寄付)などはよく収入の1割とかいいますが、基本的には寄付は「お気持ち」であげたらいいと思います。それを寄進することで、たとえ家で拝んでいても、その寄付した神社で100日間お参りしたことと同じことになります。そして、家でもその神社の御札を祀っておきます。

祭壇は、右に氏神様、左に崇敬神社と今の神社本庁で定めていますが、巫師の観点からいわせていただきますと、これはこだわらなくていいと思っています。

自分が崇敬する神社の神と氏神様、こういったところが基本です。神社本庁では、三社造りのお社の場合、中央に天照大神のお札をお祀りするように指導していますが、巫師の立場では、必ずしもそれにこだわる必要はないということですね。

自分が心底から信仰心の湧いてくる神様に一番精神が集中しやすくなりますから。

それから、もう1つ注意しておきたいことは、全国いろんな神社のお札をいただいてきて、コレクションのようになっているケースを見かけます。

 

それは神様同士の力を相殺し、へたすれば負の相乗効果も働いて、逆に運気が下がることもあります。できるだけ、シンプルに自分の祈りの対象になる神様だけを意識できるように、お札はまとめてしまった方がいいと思います。

 

また、御朱印を集めるために社寺を巡る人もいますが、これはあくまでも参拝記録としての意味をもっているわけです。四国霊場の巡礼にしても自分が全てのお寺を回ったという記録として残しておくためのものですね。

 

御朱印とは、「神仏とのご縁の記録」です。

 

ですが、いつの間にか御朱印集めが目的化してしまい、単なるスタンプラリーになってしまうケースも見られます。社寺参拝は自分の信仰や祈りのために行くわけであって、御朱印集めのために行っているわけではないのです。
 

最近は、御朱印がフリマなどで転売されているようなこともありますし、それを買う人もいるようですが、一体何のための御朱印なのかをよく考えていただきたいのです。これは神仏に対する礼儀作法を完全に無視した行いとなります。

 

信仰や信念という本来の目的から外れた行いには何の意味もありません。

 

 

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