皆さま

巫師の仕事は、穢れを祓い六根清浄に導き、人々の直面している問題の解決を行うことです。基本的にはネガティブな想念を散り除いていく作業が中心となります。

しかし、一方でアンダーグラウンドの世界もあります。魘魅呪詛を行う巫師の存在です。これは奈良・平安時代の話ではなく現代でも行われていることです。

よろしくお付き合いくださいませ。

Q.「祓い」ということは、ネガティブでマイナスなものを取り除くという捉え方でいいのでしょうか?


A.基本的に憑いたものは穢れていますから、人を妨害したりして邪魔になっているネガティブな想念です。そのネガティブな想念を一つ一つ取り除いて消していく、そういう作業になります。

それにはまず、ネガティブなものをすべて祓い清めていきます。清めたら次に、ポジティブなものをどう築いていくかということになります。

憑依には、たとえば本人の意思に関係なく、他人が『源氏物語』の中に出てくるような生霊(いきりょう)となって憑くこともあります。特に生霊は、生きている人の思いが憑いているということで、死んだ人よりもエネルギーは圧倒的に強いです。

亡くなった人の場合は、説得すれば帰っていく、ホトケになっていなくなります。しかし、厄介なことに、生きている人の場合は、その人が亡くならない限り、何度も繰り返し憑きます。ですから、恨みを買うようなことがあると、恨んでいる人が生霊が、その人の心身に影響を及ぼしますし、生活上の出来事に非常にトラブルが増えます。金銭本位で非常にあくどい商売をしたりして一時的に伸びる人は、死に目がよくないとか、急に没落したりという現象におちいりがちです。恨みを買って落ちるようなときは、それは生霊の憑依と思ったらいいでしょう。

だけど、困ったことに、図々しく鈍感にやっている人はそういう影響を受けにくいということがあります。そういう人は罪悪感がないのでしょうね。罪悪感がないと、法則としてネガティブな想念の影響を受けにくいのです。本当にあくどい人というのは、全く罪の意識を感じません。罪の意識がないとバチが当たりにくいのですよ。人から受けるネガティブな想念もはね返してしまいますから。

でも本人がそれでうまく逃れたとしても、結果として子孫にはね返ってくることはあります。本人は逃れても、必ずどこかに結果は表れてくる。他方にはそういう法則もあります。憑かれない方法などについては、別の機会にお話します。


Q.「呪い」は今もありますか?

A.あります。今も実際に依頼があります。「おとしめてほしい」はまだ軽いほうで、「殺してくれ」という類の依頼が非常に多いです。


それは家族の中で、例えば嫁姑問題などで、姑に対して非常に憎しみを持っているというような女性の場合、その姑が早く死ぬように祈ってくれというものもあります。また、戦後の均等相続制度からくる遺産争いが多いのです。もちろん、私たち場合はそういう依頼は全部断ります。

しかし、ヤミの世界では、そういう依頼も受ける人は確かにいます。実際そこで成り立っている「ビジネス」でもありますから。本当はあまりいいたくない話ですが、そういう世界もあるということですね。これも成功報酬ということで、もし一人ヤレば何億という具体的な条件を提示して依頼してくる人もいるようです。

特にそうした呪詛の術があるわけではなく、自己流で応用して使っている場合が多いようです。結局、引き受ける側がどういう術を使うのかが問題ですけれども。ただ、巫師というのは、基本的に「カミの世界」に生きているわけですから、もしそのような術を使えば人の不幸を作るわけで、カミの意思に反することになります。それでは魂のレベルを落とすことになり、因果応報で、そうしたことを行った巫師は、最後はろくな死に方はしないといわれています。

ただ、一時的にせよ、呪いの祈祷をすることで金銭的に肥え太り、いい思いをたくさんしている部分もあるでしょうね。少なくとも、私たちが見ている限りという限定がつきますけれども、結局、私利私欲の部分で動いている人が多いということです。そこで暴利をむさぼっているのです。

つまり、巫師としての技術と人間性のレベルとは関係がないということです。術を使う力の強さと人格とは全く相関がないのです。だから、ポジティブにもネガティブにも使えます。それを使う人の意識の持ち方ひとつでブラックマジックもできるし、ホワイトマジックもできる。そういう嫌なダークな部分で動いている呪い専門の巫師もいますからね。

問題をポジティブな形で解決することを専門にする巫師と呪い専門の巫師の比率といいますと、サンプルがどれくらいあるかにもよりますけれども、前者のほうが多いといえないのが現状です。

恐ろしいことですが、巫師の行動原理というのは、いかに自分が力を持っているか、それを誇示することが大きいようです。そこに慢心が起きるんです。人格的にちょっと問題を持っている人が多いです。あと、宗教の組織に絡んでくる部分もたくさんあります。その宗教団体の利益のためなら、何でもやってしまうような巫師もいます。

そういったことは法律でも縛られませんから、それが現実の社会に影響力を及ぼすと困るのです。脅迫などに該当するようなケースはあるかもしれませんが、本人に知られなければ脅迫も成り立たないので罪にならないのです。

ただ、それを繰り返しやり続けると、時として罪に問われる可能性もないわけではありません。ただ、それはわら人形打ちとか形や証拠が残るものに限られます。陰でやっている部分では問われようがありませんね。

そもそも普通、祈祷のプロは、依頼された内容をいちいちいいません。依頼を受けたら、ある一定期間、ひたすら祈祷をかけるだけです。時代劇などでよく見かける呪詛、呪術に関しては、悲しいことに今でもニーズがたくさんあるのが現実です。

Q.たとえば、歴史上の人物でも、祈祷により暗殺されたのではないかといわれる場合があるようですね?

A.昔は力を持っている祈祷師がいたのでしょうね。戦国時代も武田信玄、上杉謙信のような有力な武将がばたばたと死んで、織田信長が大変有利になったというようなことがあります。それぞれの武将に必ずお抱えの祈祷師がいたはずです。


また江戸時代、紀伊徳川家のに徳川吉宗が、あまたいるライバルが次々と死んでいったことにより、あれよあれよという間に八代将軍になりました。彼は、分家の紀伊徳川家で、しかも長男でもないのにどんどん上り詰めてついに将軍になった。あれも歴史上の不思議な出来事で、陰に祈祷師がいたのではないかとか囁かれる所以でしょう。

ライバルがどんどん死んで、とんとん拍子に話が展開していくというのは、裏でいろいろ操作しているのかもしれませんね。

また、鎌倉時代の元寇のとき、二度にわたる暴風雨で奇跡的に蒙古軍が退散しました。このときは、日本中のあらゆる神社仏閣など日本国中で祈祷していたわけですが、人々の意識が一つにまとまると、そういう効果があるかもしれないですね。

Q.政界でそういう例はありますか?
 
A.政敵がどんどん死んで、あれよあれよという間に事態が展開していく。こういう状況は今の日本の政界にもありますよ。現実に名前は出せませんが。 

 
これは本当に“闇の世界”の話で、だれがというところまではちゃんと把握しているわけではありませんけれども、特定の政党に対して、援助、支援している宗教組織がありますね。ああいうところには専属祈祷師がいるわけです。そうすると、そこの祈祷師を使って拝むということがあります。それに対抗するために、また祈祷師を雇う。難を逃れるにはそれしかないのです。全部裏の世界のことです。

 

私たちとしては絶対に関わりたくない組織が存在します。敵対人物を物理的に「消して」しまうコロシ専門の集団もいます。


Q.たとえば、キリスト教徒の外国人の場合でも、そうした呪詛は通用するのでしょうか?

A.そういう場合も、効果はあります。思いというは一種の「念」ですから、相手の体なり心の隙でもいいのですが、どこかにつけ入るものがあれば、こちらの思いが通じてしまうということはあります。深いレベルで意識の交流を行いますから、そこで同じことをひたすら念じ続けるならば、相手にも影響は及ぶでしょう。その相手がどういう宗教を持っていようが関係ないのです。


ただ、呪いを受けにくい体質というか性格の人もいます。本当に何をいわれても全く気にしない。そこまで完全に割り切れる人ですね。本当に強い意思を持っている人というのは堪(こた)えないと思います。

しかし、人間というのは、だれでもどこかに不安とか自分の弱みのようなものを持っているものです。また身体的にも弱い部分というのがありますから、そういうところをついてくるのです。ねらわれたら、避けようがないのです。霊力を持っているグループがやれば、本当に人をコロすくらいの力はあります。

ライトノベル、マンガやアニメの世界では、かなり派手な形で呪術的なものを扱っている様子が描写されていますが、事実は小説よりも奇なりですよ。実際はもっと泥臭い形で「果てしなき闘争」が行われています。勧善懲悪というストーリー自体が成り立たないのです。

 

知らぬが仏の世界です。

 

 

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