以前、ある男性巫師から、いろいろ興味深い話を聞く機会がありました。Aさんと呼ぶことにします。

 

Aさんは、若い頃から体が弱く、両親が信心深かったためもあって、自分の体 を鍛え直したいという動機から、いろいろな宗教に入ってみたわけですが、なかなか<悟りの境地>にまでは達しなかったそうです。

 

会社員と農業を兼業しながら、結婚もしていたのですが、45歳の時に離婚して「修行の道」に入りました。翌年、余命宣告を受けるような病気にかかり、絶望して何度も自分で命を絶とうとしたこともあったそうです。

しかし、その度に、何か目には「見えない力」に命を救われ、それ以後 その力に導かれるまま、山に入って修行を積みました。

彼の病は完治してしまい、それ以来1日1日を精いっぱい生き抜く気力も湧いてきて、「楽しい、うれ しい、しあわせだ」という気持ちを抱きながら巫師としての活動をされていました。

実際に会ってみて、本当に明るくて気持ちの良くなるような印象の人物でした。

Aさんは修行の過程で、瞑想中に自分の過去生を4つ前にまで遡って見るという体験をしたと言います。その中で、今の自分の人生に大きな影響を与えている過去世が1つ前の人生だったことに気づきました。

この人生でも、Aさんは宗教家だったと言います。この人生では、45歳で死亡し ている事が分かりました。滝に打たれて行を積んでいるとき、滝の水圧で脳震盪を起こして死 亡したときの様子がありありと見えたそうです。Aさんは前世でも妻子を捨て、宗教の道に入ったわけですが、荒行を積んでいるときの事故で、結局自分の「使命」が未完成なまま終わったことを知ったのです。

このように、宗教上の修行のプロセスや、瞑想をしているときなどに、自分の前世や過去生と思われるビジョンが見えてくることがあります。Aさんの場合は、過去生での日常生活の細かいところまで再生できたと言います。



このようなエピソードは、巫者の世界ではごく当たり前の体験で、いわゆる「宗教因縁」にまつわる内容を含んでいます。

 

 

 

 

 

でも、これが本当に自分の過去の人生かどうか、ということになると何とも言えません。否定もしない代わりに肯定もできないのです。なぜなら、過去にAさんが言うような人 物が実在して、どのような生活を送り、どのようなことをしたのか、その人物に関する記録が何らかの形で残っていて、事実関係が裏づけられていないためです。

 

 

いわゆる輪廻転生について、このブログでは何度か取り上げましたが、これをただのお話として受け流すのではなく、もしも可能ならば、その証言について検証してみることも大切だと考えています。実際に、転生型事例の研究が行われていますし、報告されている事例の中には過去生人格が特定されたものも数多くあります。

 

 

日本でも「過去生セミナー」というものを見つけることが出来ます。講師の催眠暗示によって、参加者を深い瞑想状態へと導き、特殊な意識状態に入った人が「生まれる前の自分」の記憶を辿っていくというテクニックが使われます。


このテクニックを心理療法の形にしているのが、前世療法と呼ばれるものです。心身の不調を訴える相談者に催眠をかけ、自分が生まれる前の人生に戻るように「暗示」を与えて、「前世の記憶」を呼び戻します。その記憶を蘇らせることによって、なぜ今の自分に問題が生じているのか、今抱えている悩み事や生きる上でのつまづき、身体の病気の原因が前世での出来事にあることを洞察していくというわけです。

 

 

過去生セミナーや前世療法はキリスト教的な世界観に対する「対抗文化」として、主としてアメリカで芽生えた「ニューエイジ」の1つの形態といえます。「前世」や「来世」といった生まれ変わりの信念をもたない欧米人たちには、このような発想が非常に斬新に映ったのでしょう。


しかし、このようなやり方で出てきた「体験」が、本当にその人の「前世」や「過去生」と呼んでよいものなのかどうか、疑問が生じます。なぜなら、それは催眠暗示にかかった状態で述べられたもので、本人の「空想」や「想像」の域を越えていないものが多く含まれているように思えるためです。


まず前提として、過去生セミナーや前世催眠のセッションに参加する人々は、まず「生まれる前の自分のことを知りたい」という欲求をもって会場に臨むはずです。また、暗示をかける人も参加者のそういう欲求を満たすための手がかりとなる「過去生のイメージ」を喚起するように誘導します。


そうすると、自分の望んでいるようにさまざまな「過去生のビジョン」が見えてきて、あたかもそれが生まれる前の自分だったように「演技している」可能性も捨てきれないわけです。


こうした「記憶」を呼び起こすような手続きがすべてまやかしである、と言っているのではありません。しかし、人間はとても想像力の豊かな動物です。催眠暗示状態で得られた体験や呼び起こされた記憶が、事実関係と一致していることが確かめられて初めて、それが単なる空想だったといえなくなるわけです。前世療法の現場でそのようなデータが得られたならば、それは一考の価値があるでしょう。


催眠状態下での過去生への退行は、治療目的としては一定の効果はあるようです。「癒やし」という文脈からは心理的な効果が重要なのであり、事実よりもそちらが重視されます。

 

 

 

 

 

 

しかし、転生型事例の研究者たちは、それらがデータとしてはあまり価値がないと考えてきました。実際に過去生の記憶を持つ子供たちに対して退行催眠を実施し、追加の検証可能な情報を引き出せるかどうかを試みた研究もありますが、どれも成功していません。

かつては催眠が記憶力を向上させると考えられていましたが、今ではそれは事実ではないことが分かっています。催眠は、混同や偽記憶といった記憶の歪みを促進します。つまり、空想と客観的な体験が混同される可能性が常にあります。

 

たとえば、クリプトムネジアでは、人は自分自身を過去に読んだり聞いたりした出来事の中にいると想像しますが、意識的に忘れてしまいます。

 

それに、催眠は非常に暗示を受けやすい状態です。<過去生>に戻るように指示されただけで、人はそれを想像することができます。また、単にトラウマの源に戻るよう指示されたとしても、<過去生>がそのまま思い出されるわけではありません。

過去生への退行催眠には、時折、クリプトムネジアではない事実に基づく情報が現れることがありますが、過去生人格の詳細が確認されたことはほとんどありません。

 

 

よって、この技法は転生型事例の研究の観点からは不向きなものだと言えるわけです。

 

 

ここで、前世療法を一種の心理療法だと考えるなら、自分が抱えている問題、悩み、心身の不調について、輪廻転生という信念に沿って意味づけを行うことで、「態度価値」を与えていると見なすことが出来ます。


ヴィクトール・フランクルは、20世紀の精神科医であり、ロゴセラピー(ロゴスによる療法)の創始者でした。彼は第二次世界大戦中にナチスの強制収容所での体験を経て、「意味の探求」という概念を発展させました。その中で、「態度価値」という概念が重要な要素となっています。

 

 

 


フランクルによれば、「態度価値」とは、人が状況や環境に対してとる心のあり方や態度のことを指します。彼の主張によれば、外部の状況や環境は制御できないかもしれないが、人々は自分の態度を選択することができると述べています。

例えば、悲惨な状況に置かれた際でも、人は自分自身の態度を選択できると主張しています。フランクル自身がナチスの強制収容所で遭遇した厳しい状況の中でさえ、自分の心のあり方や考え方を選ぶことができたと述べています。このような態度の選択が、人の尊厳や意味の追求にとって非常に重要であると考えました。

その結果、フランクルは「態度価値」が人間の心の自由と尊厳の源泉であり、どんな状況においても最後の自由として残されていると主張しました。彼の理論は、困難な状況や苦しみの中でも、人は自分の態度を選択し、その態度によって意味や目的を見出すことができるという点に焦点を当てています。


このブログで何度も述べていることではありますが、霊性の概念には「生きる意味と目的の探求」があります。この問題について、何も考えないよりも思い悩んだり、深く内省するプロセスが重要です。

 

自分の人生にどのような意味や目的があるのかは、最終的に自分自身で選んで決めることですが、人からサポートを受けることで後押しにつながることもあります。その点において、輪廻転生という信念は、人間が直面する困難や苦悩に対して、意味を見出すきっかけを与えてくれるのかもしれません。自分の経験に意味を見出すことで、人は精神的な成長や癒しを見出すことができることは間違いはありません。

 

 

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