秦霊性心理研究所

 

所長 はたの びゃっこ

こんにちは。

 

私の話は一回休みでしたが、その間に麗月によるとてもディープな話が出てきたので、面食らった方もいらっしゃると思います。

けれども、ほとんど表に出てこない呪術関係者の内部事情を知る立場としては、ごく当たり前のことです。

 

表に出ない人はいます。

 

たとえば大企業の専属祈祷師・占い師として裏方に徹している人。また、麗月が書いていたように、宗教法人の専属祈祷師として闇の仕事に手を染めている人。そして、表と裏の顔を使い分けながら活動している人もいます。あと、海外とのネットワークを持っている人もいます。いわゆる秘密結社絡みの人です(これは陰謀論でもフェイク情報でもありません)

 

以前なら絶対に表に出なかった人が、意外な形で「チョイ出し」しているケースもあるので、分かる人には判別ができると思います。

 

 

昔は近所によく当たると評判のおじちゃんとかおばちゃんがいたりして、占いぽいものもあれば、失せ物探し、簡単なお祓い(でも憑き物が落ちたように解決する)、病気治しなど色んなワザを持っている人がいました。

私が子どもの頃に覚えていることでは、隣に住んでいたおばちゃんに頼んで、病気でほとんど動かなくなっていたセキセイインコを手に包んで治してもらったことを覚えています。その後、10年ほど元気にしていて天寿を全うしました。

 

 

なので、そういう人たちが周囲にいるのが当たり前だった時代もあったのです。

 

最近は、 すっかり見かけなくなりましたけれど、活動の形態も大きく変わって一般人の中に紛れて暮らしている人ならいるはずです。これは確信をもって言っておきます。

 

さて、本題に入ります。


シャーマニズムとは神と人間との間を巫覡(ふげき;シャーマン型霊能者)が司り、宗教的儀礼を行うことによって神がかり(トランス)となり、神の託宣を告げる呪術的儀礼を意味する概念です。

巫覡という語は古代中国で活躍したシャーマンをさす言葉で、古代中国、殷や周の王権に仕えた「巫師」以来、秦/漢の時代にも盛んだったようです。

 

 

 

 

シャーマンは神と人間の宗教的仲介者として独立したものというよりは、神意識(=非人称的意識場)にアクセスして、これと一体化(憑依)することのできる特殊な血統および特性を持った人間のことをさします。日本では巫覡のことを巫女(ミコ)と呼びますが、これはまさに御子/神子(カミの子ども)という本質を持った人間のことです。

巫女は交戦に際してその呪能を強めるために媚飾を施し、邪霊を払うために邪眼を用い、軍の先頭に立って敵に呪詛を掛け合うという役割を担っていました。

 



また、部族内部の勢力抗争や宮廷内紛、政敵呪詛、妻妾間紛争に巫女の呪術はしばしば用いられています。

日本では奈良/平安の時代に藤原氏を中心とする宮廷内紛において呪術戦が行われたことは有名です。当時の呪術の「呪」とは「言霊」による呪詛で、「術」とは「動物霊」を用いるテクニックだとする説もあります。

この考え方に私も同意します。ただし、このブログでも紹介した「意識の拡張モデル」で表現するならば、意識=情報=(非物理的)エネルギーという変換を行いながら、物理的次元、気の次元、微細次元(アストラル次元)での複合的トランスコミュニケーションとして、奈良・平安時代と同様な動機から個人的、組織的な抗争が現代でも行われているというのが、私の得ている感触です。

 

 

 

 

 

 

これはほとんど表沙汰にはなりません。闇から闇へと葬られていく話です。

シャーマン型霊能者あるいは巫覡は血統として自然発生的に各種のサイキックな現象を起こすことが簡単にできる人々です。その特徴はすなわち…

1.オニ、物の怪、妖怪、動物霊と呼ばれきた「非人称的意識場」を自由自在に操作することが可能。彼らにとってはこれらの意識存在はすべて「カミ」と呼ばれる。

 
2.儀礼的行為や呪法を学習していなくても、それらの存在をイメージしたり、意識の焦点づけをするだけで、意識場を活性化することができる。


 

3.意識場とのリンクを確立できるようになると、自然に身体が動き、口から言葉が出るようになり、その言動が後で本人が(今生において)いまだ学習したことのない古来の儀礼的行為だったり、真言、呪文だったりすることが判明することもある。


4.意識場とのアクセスに際しては「ミクジ」という形で、その姿や声を幻視、幻聴する。数時間に及ぶ深いトランス状態でそれが起こることもあるが、日常場面で突如発生することもある。


5.トランス状態でのアクセスが困難な状態の時には、夢見中に「ミクジ」を下ろす。

 
6.「非人称的意識場」との契約や取り引きによって呪力を授かるのは下位アストラル次元につながっている巫覡である。彼らの中にはランクの低い非人称的意識場に支配、操作されて破滅する者もいる。これらの意識場の機嫌を損ねて「とり殺される」というパターン。

7.いわゆる心霊戦(呪術戦)においては、それぞれの習得している技のレベルだけでなく、これらの「非人称的意識場」の本来もっているエネルギーの差やエネルギーの開放度、さらには意識場のランクによって勝敗が決する場合が多い。

8.ただし、先天的巫覡の場合は、アクセスできる意識場の種類も豊富であり、次から次へと使用する意識場を変えて対処できる。「捨てるカミあれば、拾うカミあり」で、その選択を自分でしてしまう。命を張った戦いのときに、無自覚的に本人の霊的結界となる意識場が勝手に動いて防御してくれるのも先天的巫覡の特性の1つ。


 

この辺は過去記事を読んでいただかないとつかみ所がないと思います。

 

 
これが「血がカミを自然に呼び込む」という巫覡の本来の姿というものです。


中国・四国地方、そして九州地方には非常に古い時代から脈々と受け継がれてきた呪術の系譜が残っているような印象を私は持っています。

 

日本古来の自然崇拝(アニミズム)あるいは原始神道、神仏分離以前の神道、密教、修験道、陰陽道、蠱道などに加えて、中国や朝鮮半島から伝来してきた諸教と習合した形で、今でもひっそり受け継がれている技法があります。

歴史学的や民俗学的にそれがどのように解釈されるのか、私の専門を超えているので断定はできないにしても、日本人の精神文化史的に重要な働きをした渡来系氏族の影響も、呪術関係者たちの血統の中に今も息づいているのではないかと思わせるようなことがあります。

 

この手の話は、来年になってから系統立った記事としてアップする予定なので、今回は予告編だけで終わります。

 

ごきげんよう。

 

運営母体

 

 

ブログ村の応援もよろしくお願いします。

 

呪術師 麗月のブログ - にほんブログ村

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村

 

bed6e7a8efd802a95f8af33d332555db_95d2affcb17b857