皆さま

神道には素晴らしい力が秘められています。神道の祭祀には私たちの未来を明るく照らし出し、生きる力をもたらす人生儀礼がある事からも分かります。

罪、穢れは神様が祓って下さる。厳しい苦行・修行もしなくて構いません。
 

人間は本来自由であり、自分を変えるには祝詞を奏上するだけで良いのです。

大祓詞で罪・穢れを祓うことができます。

厳しい修行など必要はありません。自分を鍛える為に修行をするなら、努力と忍耐を上手く使いこなし、生き抜く事が最強の修行になるのです。

霊力が欲しくば焦らず神々の存在を信じきり、大祓詞を唱えながら神社の空気を肌で感じ心の奥にある本当の神性(心)を出しきれば良いのです。

大祓詞の内容を読めば分かると思いますが、神々の実在と私達は繋がっている事。私達の本性も、また神性への確信から大祓詞が生まれました。私達の本来の姿である神性とは心そのものです。

罪、穢れを消し去り、自分を守るのが祓いなのです。神道では大祓詞で罪や穢れから守り、幸せの道しるべとして神々の実在を教えてくれています。

古事記や日本書記にも記されています。



「神々は我々の先祖なり」

「神々のご加護により、私たちは生かされている」

「神々が宿っている場所は神性の心」


 
本当のパワースポットとは私達一人一人の心の中に神が宿っていること。自分自身の心の中に鳥居を建て神聖な場所を強くイメージできるようにすることです。
 

本性(本心)について間違ってはいけません。誤って自我(エゴ)を本心と認識してはいけません。「本心」とは生まれた時から神々に与えられている「神性」なのです。「自我」を祓った、その奥に神性が見えてくるのです。

 

神代の時代から、日本人は自らを神の子であり神の子孫であると信じていました。古事記や日本書記と同様に、八百万の神々に対して豪族や部族の者達が、その血縁関係を主張した伝承を口伝あるいは記載している事も事実です。


一方で、キリスト教の根底にある人間の「原罪」、人は生まれながらに「罪」を背負っているという教え。また、仏教では、人間の尊さは生まれによるものではなく、自らの行為(業)によるとする業(カルマ)の思想。そして、善い事があった後は悪い事が来る、運命論、宿命論などとも異なります。

 
たとえば、水子供養について説明します。 

なぜ水子は祟るのか?

なぜ日本の仏教は水子の概念を作ったのか?

動物(犬、猫など)は年に2度、発情期があるだけです。

ですが人間は毎月、毎日でも可能です。

中絶はもちろん、昔のように無理やり堕胎すれば身体も弱ります。

病気にもなりやすくなり、繰り返せば命の大切さが分からなくなります。

それを戒める為に「水子」という概念が出来ました。罪の意識、後悔の念と関連づけて。

でも、水子は祟りません。例外として、生まれた直後に子供の命をあやめたり、遺棄してしまうようなことがあります。

無理に中絶した訳ではない女性の場合には、色んな事情あります。病気、怪我、事故、男性からのDVなどで中絶を余儀なくされた。流産や死産。それぞれの理由があるのに、どうして水子が祟るのですか。
 

その上、必ず祟るのは女性だと言われます。

仮に男性の暴力が酷い。無理矢理中絶をさせられた。DVや精神的苦痛による流産、死産など。それでも、女性だけが「加害者」なのはおかしな話です。

人間、一人では妊娠しません。

痛みや苦しみは女性が背負っているにも関わらず、ならば男性にも罪や非はあるはずです。

「母親なのだから仕方ない」という考え方が、その背景にあります。

神道では子とは「神々から授かった子」となります。子を産み、育てるのは、男性と女性の両性の責任であり、女性は男性の分身を生む、素晴らしい体を神から授けられている。男性は自分の子孫(神の子)を生んでくれたと感謝する事を忘れたら罪に変わります。

家庭や親を守り、大事に出来ない者に霊力など与えられません。

水子は祟りません。

私も昔、修行中に水子とはなにかと<神>から教えられました。

現世で苦難の道を歩むことになるかもしれない子や、まだ感情すら発露していない子は水の神。
 

龍神様が迎えに来て神界に戻すだけだと、私は見せられました。

金色の龍神様が手に持つ玉の中に、綺麗な光の玉(水子の魂)を入れて消える姿を見せられました。

皆さまの中に中絶、流産、死産を経験している方がいらっしゃるなら今日限り、そのような過去を忘れて下さい。

女性が祟られ男性は祟らない?そんな矛盾だらけの話に苦しまないでもらいたいと思います。

 

神々は祈る対象であると同時に私達の心にも宿っています。

神霊は私たちの内にも存在し、私たちを生かして下さっています。

だから、自分を労り大切に思う事こそ神様を大事にしていると言えるのです。

 

祓いとは、私達の神性が知らず知らずの内に犯した罪や穢れによって覆われてしまうが故に、その罪、穢れを祓って捨て去り清明の本姿に復することなのです。 

私達の心を祖霊神たる天津神の御心に合わせて1つにする。

天津神と本来の心に帰一するのです。

天津神の御心とは天地の心ですから、天地と窮まりなく発展しようとするのが私達の心の本源にあるものです。

神々の存在を心から信じ自分の命は、神々と繋がり本性は神性のものである。

祓え詞を唱えて「我欲・我執」の本来の心ではない自我(エゴ)の心を祓った後は神の道。

神の救いの手。

それが神道の神髄なのです。
 

そして、大祓詞=中臣の祓詞は神の道を進む為の祝詞になります。

祓いに始まり祓いで終わる。

明日は今日より、もっと楽しみたい、笑えるようにと願いながら柏手を打って下さい。



麗月 謹上再拝

 

 

註.仏教では、水子(すいじ)は戒名の位号として扱われ、人工妊娠中絶や流産、死産により死亡した胎児を指します。水子供養の始まりは、江戸時代に浄土宗の僧侶・祐天上人が水子に戒名を授けて供養したことだと言われています。水子という表現の由来には、命を落としてしまった胎児や赤ん坊を、主に水葬で弔っていたという説があります。
また、水子供養の起源には、古くは「日本霊異記」(平安時代初期)などにもあらわされている地域伝承があります。さらに、1970年代に建立された寺院のキャンペーンが「水子供養」の言葉の浸透と全国的な信仰ブームを引き起こしたともいわれています。

 

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