7月20日(火)

 

毎日毎日猛暑が続きます。

そんな中ですが、奥飛鳥に行ってきました。

 

10時5分、近鉄吉野線「壺阪山駅」に到着。

そこから歩きます。

 

 

すぐに子嶋寺に着きました。ほんとに駅の近くです。

このころは、まだ暑さもそれほどには感じず

飛鳥の田園風景いいな、とか人のいないさびれた風のお寺最高とかって

呑気に思っていました。

 

 

 

 

観光地として有名な京都の清水寺は、2代目を継いだ延鎮と

東山で修業中だった坂上田村麻呂が建立したそうです。

清水寺はこの子嶋寺の末寺ということになります。

 

子嶋寺を出て、田園地帯を歩き、キトラ古墳を横目に見て、

 

 

 

少し迷いながら

 

 

(この上に神社があるのではと思ったのです)

 

やっと呉津彦神社に着きました。

 

 

 

この神社名に含まれる「呉」という文字から、中国の南部の呉や百済と

何だか関連がありそうというのは、容易に想像できます。

この神社の所在地「栗原」という地名も「呉原」から来ているそうです。

 

 

呉原寺(栗原寺)跡。

案内板がありました。

「竹林寺」は「呉原寺」の別称ですが、6世紀末坂上大直駒子が建立しました。

坂上氏は東漢氏から出てきた一族で、征夷大将軍になった坂上田村麻呂が

有名です。

この付近からは瓦も出ていて過去には礎石も確認されているそうです。

 

 

案内板を過ぎてどんどん歩きました。

 

 

 

ゆるやかな上り坂。

おまけに舗道の照り返しがきつい。

どう考えても、人間が真夏に歩くようにはできていない道です。

 

 

空は美しい。夏の空です。

 

 

男綱(おづな)

 

 

毎年1月に五穀豊穣を祈って、神事が行われるそうです。

 

更に歩いて龍福寺に着きました。

 

 

 

龍福寺の近くには、遣隋使として中国に渡った南淵請安の墓があります。

 

またここで迷いました。

 

 

この写真ではよく見えないのですが、この写真に見えている道ではなく、

右側に向かって行くべきだったのです。

 

 

それでも、何とか請安先生のお墓にたどり着きました。

 

 

すみません。写真を回転させないままに貼り付けてしまいました。

 

お墓を出て、またまたどんどん歩きます。

まめに水分を補給しないとヤバい感じになってきています。

 

 

写真で見ると、こんなに美しい空なんですが・・・・・・

 

 

関西大学の飛鳥文化研究所がこんなところにありました。

前を通り過ぎて、また頑張って歩きます。

 

 

ほんとに、あっつい!

 

やっと着きました。

宇須多伎比売命(うすたきひめのみこと)神社です。

 

 

やっとです。

が、階段が見えてしまいました。

 

そば近くを流れる川辺で、まずはお昼。

阿倍野のコンビニで買ってきたおにぎりがぬくぬくになっていました。

 

 

奥飛鳥の美しい景色を堪能しながらの帰り道。

 

 

道も少し下りになってきているので、ここまで来るとほっとしました。

 

 

 

坂田寺跡に着きました。

この寺は、鞍部多須那(くらつくりべのたすな)が

587年用明天皇の病気平癒のため、丈六の仏像と寺を建立したそうです。

仏師として有名な鞍作鳥は、多須那の孫になります。

 

ここから石舞台のバス停まで急ぎました。

赤かめのバスは一時間に一本です。

2時58分発のバスにぎりぎりで間に合いました。

飛鳥駅まで15分ほどでした。

 

 

近鉄電車で、阿倍野橋まで帰りました。