菊 9月26日(火)

 

四条烏丸にある「四条センター」に行きました。

吉田富夫先生の「中華人民共和国の異見者」の4回目の講義です。

この講義のために、新幹線で2時間、3時間かけて来られる方もいるというのに、

徒歩で通えるなんて、今のわたしの状況は恵まれています。

大切に考えないといけないと思います。

 

さて、今日も吉田節は、健在。絶好調でした。

先生が、最初に中国へ行かれたのは、1965年。まだ、国交も開かれていない文革の前でした。

貨物船で行かれたそうです。

そのときの中国は、貧しかったが、人々は希望に燃えるきらきらしていた目をしていたと、

おっしゃいました。

 

しかし、そこから、チベタン・マスティフのお話になりました。

チベタン・マスティフ。かつては、チベットに生息する希少種の大型犬でした。

ライオンに似た威厳があり、トラと勝負しても勝つことがあるらしいです。

この強さが中国の富裕層の人々に気に入られ、冨の象徴として飼われるようになりました。

一気に繁殖が進み、数が増えたそうです。

ところが、今は、飽きられてしまい、捨てられて大都市の中でも野生化して、問題になっているそうです。

「今の中国は、わからん。そんなわからん者がいい加減な事をしゃべっているんですから」

 

それと、もうひとつ。気になったお話がありました。

先日、ノーベル賞作家の莫言について、中国のメディアが先生のところに取材に来たそうです。

(先生には、莫言の日本語訳書が何冊もあります)

そのとき、先生の書斎で写真を撮られたのですが、その書棚にあった「張春橋」の文字の入った

本を、メディアの方が抜き出して撮影しました。

張春橋は、文革を推進した4人組のひとりです。

それほどに、今のメディアは、思想に関してびくびくしているそうです。

習近平は、以前の中国のように思想統制を進めようとしているらしいです。

 

さて、今日の本題のテーマは、「北島と朦朧詩人たち」。

1980年前後、権力の空白時代に起きた詩の運動です。

前時代の評論家に「朦朧として、何を表現したいのかさっぱりわからない」と批判されたことを

逆手に取って、自分たちでも「朦朧詩」と称するようになりました。

それまでの時代が、「わたしたち」を表現していたのに、対して、「我」「自己」を明確に自覚して

表現するようになりました。

 

学生のころ、文革期の中国の小説を読んで、わたしが何だかもの足りないなと思ったのは、

まさにこの点「わたし」という視点が欠けているということでした。

「朦朧詩人」読んでみたいと思いました。